第12話 中年男

霧湧村村長室。

 村長室には宝来雅史と月野姫星と山形誠の三人が残った。
「それでは何か気になる事がありましたらご連絡ください。 失礼します」
 村長の日村に報告が済んだ田中宏和は駐在所に帰って行った。
「それで、お二人はこれからどうなさいますかな?」
 村長の日村が政史に訪ねてきた。雅史としては有力な手がかりが無い以上は、ここに長居するのは不要ではないかと考え始めていた所だ。
「そうですね。 当日の月野美良の足取りは大体分りました。 これ以上長居してもご迷惑になりますから、一旦引き揚げようかと思います」
 雅史がそういうと日村は頷いた。
「あぁそうだ。 神御神輿を執り行う事にしたんですよ。 御神体が不在のままでは縁起が悪いと、村の年寄りたちが嫌がってましてね」
 急に思い出したように誠が雅史に向って話し始めた。
「えっ、そうなんですか?」
 雅史は村長に訪ねた。
「ええ、些細な事なんですが怪現象の報告の数が増えて来てましてね」
 日村は渋々という感じで返事してきた。村で怪現象が発生しているなどと知られたくないようだ。

 日村の話によると、霧湧村の中程を流れる増毛川の堤防に、長さ約百メートルに渡って亀裂が発生しているのを、村人たちが見つけたと連絡してきたのだ。
 今の所、けが人や家屋への被害はなかった。見た感じでは、すぐに崩れ落ちる可能性は無いだろうと思われている。
「地震などで亀裂が発生するのは良く或る事なんですが、最近は地震などが起きてなどいないんですよ。なぜこうした亀裂ができたのかが丸で分からないんですよ」
 現地調査を行った村役場の職員は言っていたそうだ。元々、小川のような小さい川なので、河川の決壊のような騒動にはならないが、用心に越した事はない。国土交通省に調査を依頼するつもりだとも言っていた。


「実を云うと宝来さんたちがいらっしゃる前にひと騒動がありましてね……」
 日村が目頭を揉みながら話し始めた。相次ぐ異変で村人たちが騒ぎ始めたのだ。
「やはり、マガツカミ様の神域を、泥棒たちが汚したので、祟りが起きているのはないか?」
「このままでは作物が実るか心配だ」
「春先に行っていた神御神輿をもう一度やってみてはどうか?」
「神御越しを二回もやるなんて聞いた事が無いぞ?」
「秋にお帰りを願う神様がどっかに行ってしまったんだから、もう一度御出で願うのさ」
 村人たちが役場に詰めかけて、受付係の担当を口々に責めあげていた。皆が心配し始めていた。
「そんな事は無い、これから長老たちに集まって貰って地鎮祭を行うつもりだ。 それまで落ち着きなさい」
 村の長老たちに集まってもらい、春に行われる神御神輿を実行してはどうかと提案するつもりだった。
 村の郷土史に略式のやり方が書いて有ると、力丸爺さんが言って来たんだそうだ。泥棒が死んだ噂を聞いた年寄が、ウテマガミ様の祟りだと怯えているので、村長の日村はその話に飛びついたようだ。
 春に行われる神御神輿には神主を呼んだり、「石勿(いしもち)」、「神楽勿(かぐらもち)」、「錫杖歩(しゃくじょうぶ)」らが三日間の間、滝打たれて禊ぎをしたりと、色々と手続きを行うのだが、今回は沐浴だけで済ませるのだそうだ。
「私は祟りなんて信じていないが、村人たちが落ち着いて生活できるのなら、それに越したことはないでしょう」
 日村は現実主義者だ。神様の祟りだの災いなどの戯言は頭から信じていない。しかし、村人たちの信仰まで否定するつもりなどない。祭りを執り行う事で皆が安心してくれのならそれで良しと考えているのだ。
「私には村社会の安定を保つ責任があるんですよ」
 村長はそう言いながら笑った。


「良かったら見学して行きませんか? もっとも春にやるような正式なものでは無くて簡略化したものですけどね」
 誠が雅史に提案してきた。折角来たのだからとの親切心なのだろう。
「はい、ぜひそうさせて下さい…… あっ、でも山形さんの家に御迷惑をお掛けするのでは無いでしょうか?」
 雅史は誠に宿泊の都合を尋ねた。
「家は何日でも大丈夫ですよ……」
 誠はにっこりと笑って快諾した。結局、雅史と姫星は誠の自宅に泊めてもらうことになった。
「すいません、何日もご迷惑をお掛けして申し訳ありません……」
 誠の自宅に移動して誠の両親に挨拶をした。本当なら二泊で帰る腹積もりだったからだ。
「いえいえ、いいんですよぉ。 お祭り見て行って下さいね」
 誠の母は愛想よく言った。夕食の時に役場で聞いた怪現象のことを話してみたところ、他に発生しているのだと誠の母が言ってきた。


 ちょっと山の奥に入った所にある家で毎晩十時ぴったしにチャイムがなるのだそうだ。ピンポンダッシュにしては時間が一定だし、田舎なので遅い時間は人通りも無い様な所だ。玄関に応対に出てみても誰もいない。家人たちは震えあがり”マガツカミ様の祟り”だと噂していた。
「家も似たようなことあったけど、たぶん近所のアマチュア無線の影響では無いでしょうか?」
 雅史が自分の実家で遭遇した、謎のピンポンダッシュの話をしはじめた。
「そんな事が有るの?」
 姫星が尋ねて来た。
「アマチュア無線基地局の指向性を持った強力な電磁波が、チャイムを誤作動させる事があるんですよ」
 雅史が電磁波がインターホンの電線を伝わってチャイムを鳴らしてしまう仕組みを説明する。
「いや、この辺にはアマチュア無線を行っている者はおらんのですよ。他に無線と言われるのは村の広域放送用か、携帯電話ぐらいなもんですわ」
 誠が首を捻りながら答えた。アマチュア無線みたいな事をやっていたら噂に上るからだ。
「そう言えば携帯電話の無線基地局は修理出来たんですか?」
 雅史の携帯電話は相変わらず不通のままだった。後で山形家の家電話を借りて月野家に電話報告しなければと雅史は考えた。
「いえいえ、それがですね…… しばらくは動くんですが、すぐに動作が不安定になって、遂には停止してしまうんだそうです」
 誠の母がこたえた。
「携帯電話の工事関係者が弱り切ってましたよ。 何でも幽霊が出るって……」
 そして誠の母は工事関係者から聴いた話をしはじめた。


 霧湧村には見晴らしの良い山の頂上に無線の基地局がある。携帯電話やテレビ放送を中継させる基地局だ。基本的には無人化されているのだが、今回の騒動の最中に故障してしまった。そこで修理の依頼を受けた会社が作業員の広瀬と加藤を二名派遣してきた。
 修理と言っても部品を順番に取り替えるだけだ。それで治ったのなら、該当する部品を持ち帰って詳細に原因を究明する。駄目なら他の部品を取り替えるだけだ。
 作業員はメンテナンスの時にも訪れているので気軽な気持ちでやって来ていた。しかし、いくら部品を交換しても故障が直らず、時間もかなり過ぎているので、一旦会社に引き上げようということになった。
 山道を車で降りている時に、崖のちょっと広くなった場所に来たと思ったら、エンジンがいきなり停止してしまった。
「え? なんだよ……」
 運転していた広瀬が再びエンジンをスタートさせようとイグニッションキーを回した。しかし、セルモーターが回るだけで一向にエンジンがかからない。
「ガス欠? 勘弁してよ……」
 しかし、山に登るときの鉄則として、山に入る前に満タンにしてある。ならばエンジン故障なのかもしれないと広瀬は考えた。
「くそっ、エンジン見てみるわ」
 広瀬がシートベルトを外そうとした時に、いきなり助手席の加藤に手を掴まれた。見ると加藤は頭を振っている。
「あ? 見てみないと解らないだろ?」
 広瀬が加藤に言った。しかし、それでも加藤は頭を振っている。
「…… あそこに何か居る……」
 加藤は自分の肩越しに森の中を指差していた。

『…………』
 その時、窓越しに何かが聞こえているのに気がついた。
「え?!」
 振り返ってみると何やら黒い影が居るのがわかる。灯り一つ無いので暗闇のはずなのにだ。森の暗さの暗闇とは違う種類。深遠の暗闇と表せばいいのだろうか。光が吸い込まれていくような暗闇だ。その黒い陰が少しづつ車に近づいて来るのだ。
『…… ってよぉ……ぉ』
 やがて声がハッキリと聞こえ始めた。それは子供の声のようだ。最初に見ていたのは一人のようだった。
『ねぇー、まってよぉぉぉ』
 また、声が聞こえたと思ったらソレは二人分の影になった。
『ねぇー、まってよぉぉぉ』
 黒い影は正面からもやってきて、ヘッドライトに捕まる前に左右に別れて通り過ぎたのだ。気が付くと車は黒い影たちに囲まれている。
「……増えてね?」
 黒い影は一カ所に固まろうとしているかのように、車のドアにすり寄って来ている。
『まってよぉー いかないでよぉぉぉ』
 子供特有の甲高い声が響き渡る。それも四方八方から聞こえ始めていた。

「なあ……」
 加藤は思った。
”こんな夜中に、しかも人里離れた山の中だ。まともな子供などでは無いのは明白だ”
 そう言おうとしたのだが、広瀬は車の操作パネルから目を離そうとしない。
「…………」
 広瀬は何も答えようとしてくれない。車のエンジンをスタートさせようと懸命にエンジンキーをいじっている。
「なあ……」
 加藤にはソレが直ぐ傍まで来ているのが気配で分かった。
「ああ…… 目を合わせたら駄目だと思う」
 やっと広瀬が答えた。やがて、近づいてきたソレは車の窓を叩き始めた。
『まってよぉー おいてかないでよぉぉぉ』
 ”バンバンバン”と手のひらで叩いているのだろう。暗闇のなから小さい手だけが現れて窓を叩いている。時々、ビチャと音がする。その時には窓に手形の赤黒い跡を残していく。
『まってよぉー いかないでよぉぉぉ ひとりにしないでよぉぉぉ』
 広瀬たちは車の正面しか見ることが出来なくなっていた。どうやらヘッドライトの光の中には、黒い影たちは入ってこられないようだ。だが、車を揺らすことは出来るらしく、右に左にと激しく車を揺らし始めた。
 広瀬は何度目かの挑戦で、やっと車のエンジンがかかった。急いで発進させたかったが、ハンドルが思うように制御出来ない。手も足も竦み上がっているからだった。


『待てって言ってんだろうがっ!』


 エンジンが掛かった瞬間に野太い中年男の声で言われたんだそうだ。作業員二人は、それを合図に車を急発進させて山を下りて来たそうだ。


 誠の母の脚色もあるだろうが、怖さたっぷりに話してくれた。
「工事関係者は災難でしたね」
 雅史は工事関係者に同情してしまった。姫星は……俯いてしまっている。怖い話が苦手だと言っていたのを思い出した。
「村の家々の家電が誤動作を起こすらしくて、みんな困っているんですわ」
 誠がそんな事を言っていた。無線機の故障に、家電製品の故障。雅史は電磁波の影響を疑っていた。
”そういえば泥棒たちも追いかけて来る子供の影に怯えていたな……”
 姫星は誠の母の怪談話を聞きながらそんな事を考えていた。


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