『出てけ』『いやだ』の問答がしばらく続き、埒が明かぬ一進一退の攻防に私の苛立ちはついにピークへ達する。
 私は『オルガマニア』の身体を強引に引き剥がすと、バシッと言ってやることにした。

どこの世界に、知らないやつから突然セルフケアの手伝いをしますって言われて納得する人間がいるのよ。
貴女なんて買うんじゃなかった。一年の返品保証付きだったし、今から突き返してやろうかしら!


 すると、ここにきてようやく『オルガマニア』がしおらしくなり、床を見つめてしばらく思案したあと、小さく頷いてその整った表情に深い陰を落とした。

あなたに必要とされることが、私の存在価値だったから、帰る場所もないから……でも、あなたの言い分も確かだよね

私が迷惑をかけました。ごめんなさい、出ていきます

わ、わかればいいのよ、わかれば


 静々と立ち上がった『オルガマニア』は、背を向けたと思ったらふと、振り返って私を見つめた。

な、なによ

あの、いらない服とかあったらもらえるかな? 
さすがに裸のままで外にでるのは、その……まだ冬だし……


 冬だからとかそういう問題ではないとは思うけれど、こればかりは仕方ない。私は小さくため息をつくと、タンスから下着とシャツ、クローゼットから古いコートとスカートを取り出した。『オルガマニア』の体型に合った要らない服を見繕うのはなかなか難しい。
 『オルガマニア』はその間、それまでの喧騒が嘘だったと思えるくらい、捨てられて雨に濡れた子犬のように、痛々しいほど大人しくしていた。
 私から手渡された服を、『オルガマニア』はおぼつかない所作で身にまとっていく。人間の身体を手に入れたばかりなのだから仕方ないのかもしれない。ブラは私が着せてあげた。
 しかし、着終わったら着終わったでなかなかに映える。元々の素材がいいのだから、これなら何を与えても着こなしてくれるのかもしれない。

ねえ、貴女ここを出てどこに行くの?

さっきも言ったでしょ。行く場所なんてどこにもないよ。
ねえ、この充電器持って行っていい? 私のだからいいよね。これないと行き倒れちゃうもん

いいけど、どこで充電するのよ

どこかで適当に盗電するわ

いや、ダメでしょ



 私は急に、『オルガマニア』を外へ放り出すことが、なんだかとても恐ろしいことのように思えてきた。彼女は自分の存在理由しか知らない。外のことや人間の常識など何もわからないのだ。当然、彼女の言葉を鵜呑みにしたならば。
 ちょっとくらいお金を握らせておくべきかと思った。しかし、そんなことで根本的な問題がどうにもならない。これだけの美人が寄る辺もなく街をさまよっていたら、辿る道は……。
 それに彼女は性にも奔放だ。いや、本当に奔放なだけだろうか。私には、彼女のオ◯ニーへの姿勢が、一本筋の通った真摯さにも見えてきた。

だからといって、ここで引き止めてどうする? 人間の形をしているとはいえ、アダルトグッズと一緒に生活するなんて考えられない

……本当に? 私が一緒にいることを望んで、彼女を買ったんじゃないの?

最後にひとつだけいい?


 玄関に立った『オルガマニア』が、私に向けて言った。

プライベートな部分に踏み込んでごめんね。でも、あなたはオ◯ニーをとても恥ずかしいことのように思っているけれど、これは決していけないことなんかじゃない。
たしかに話しづらいことかもしれない。でも時には自分の欲求に正直になって付き合っていくことも大事だよ

だって昨日、あんなに気持ちよかったんでしょう?


 性懲りもなく、恥ずかしい言葉を口にする『オルガマニア』。私もいい加減慣れてきた頃だ。けれど、いかに卑猥な言葉を用いても、そこに下卑た感情は一切含まれていない。
 その唐突なオ◯ニー論は、思わず納得してしまいそうな雰囲気を漂わせる。それは理屈が正しいかどうかよりも、彼女の言葉に人をたぶらかすための思いが込められていないという事実が、ダイレクトに伝わってくることのほうが大きいのかもしれない。
 だって『オルガマニア』は、私にとって最も恥ずかしい時間を共有して、肯定してくれた存在なのだ。
 私が今更何を、彼女の言葉を疑う余地があるだろう。

じゃあ、いいオ◯ニーライフを

ちょっと待って


 その言葉に、ドアノブへ手を伸ばしかけていた『オルガマニア』の動きが止まる。

その……私も鬼じゃないからね。貴女を家に招いたのも、元はといえば私だし

その責任が全くないわけじゃないから……行くところないんだったら、しばらくここにいてもいいよ


 反応は早かった。
 『オルガマニア』は目を輝かせると、鎖から解き放たれた犬のように、私に飛びついてきた。

本当? 本当にここに居ていいの?

た、ただし。あくまで居候だから。ちょっとでも粗相をしたらすぐ出て行ってもらうし、帰るところとかきちんとしたら引き取ってもらうからね

ありがとう! お礼と言っちゃなんだけど、今日から頑張ってご奉仕を

それはいらない! 貴方を使ってそういうことをすることは、絶対ないから!

え、何? じゃあ私が見てる前でひとりでするの? そういうのが好きなんだ。マニアックだね

しない! しないったらしない! もう金輪際、あんなことはしません!

我慢したら身体に毒だよ。不肖『オルガマニア』、精一杯お手伝いさせていただきます


 やはり居候を認めるべきじゃなかったか……という後悔も少し生まれたけれど、あまりにも嬉しそうな『オルガマニア』の姿を観ていると、そんな思いもどこかへ失せてしまった。

 すると、『オルガマニア』が急に私の胸に顔を埋め、肩を小刻みに震えさせていた。
 そっか。なんだかんだ言っても、右も左も分からない世界に落とされた、ひとりぼっちの女の子だ。出てけと言われても、とても寂しかったし、とても怖かっただろう。
 私は彼女の肩をそっと抱きしめた。

ちょっと、嬉しいからって何も泣く事ないじゃないの。ほら、そんなに震えないで

あ、バイブ機能のスイッチ入っちゃってた

出てけオラ!


 こうして、私と『大人のおもちゃ』との奇妙な共同生活が始まったのだ。




 第四話へ続く

pagetop