どうしてあの子は……

足りていないからいけないんだ

君は羽ばたけない、飛び立つための羽がないからね

風が吹いてアヌメールの髪を撫でた。

案外あっさり出られるもんなんだな

伸びをした先にあるのは道のない草原。振り返れば小さく外壁が連なっていた。

……

アヌメールは嘆息しながら人々の顔を思い浮かべたが即座に脳内から消した。

さて、行きますか

肩に掛けた麻袋。腰に差した長剣。
置いてきたモノはたくさん。
実際は棄ててきたわけではないが、それでもアヌメールにとっては捨ててきたことと同意義であった。このまま本当に棄ててしまったほうが気は楽であろう。

それでも微かな誇りがそれを許さなかった。

俺はずっと飼われるんだろうな

 なら、今だけは。

元から何も持ってない自分が、本当の意味で何も持たずに。

踏み出した足は力強く地を蹴った。

なんもねぇな……

文献を広げるためだとか何とか――実際にはそれもあるが何より逃避のために――の旅は平凡そのものだった。

別に大冒険がしたかったわけではない。

酒場は繁盛を極めていて、ほぼ席は埋まっていた。

俺にそんなことあるとは思わないけど

グラスに入った氷が音を立てる。入っているのはシャンメリーだった。

お? お兄さん相席大丈夫?

……耳?

問いかけられたのに疑問の方が先行して、口から出たのは不躾なことだった。

うん?

女は気にせずにアヌメールの前に座る。ここしか残ってなかったみたいだ。
彼はシャンメリーに口付け唇を濡らした。

どうして頭から獣の耳が……飾りか

いやいや旅人さん、これは正真正銘のものを聞くための耳ですが?

そんな奴みたこと……

そう言ってアヌメールは口を噤んだ。自分の知る世界はあの狭い一角だけだ。

珍しいの?

……あぁ

少女は自身の耳を指先で触った。

私達の種族は貴方達と区別するためにこの耳をつけたのよ

…………

分からない、といった顔ですね。私達の先祖は魔法が使えましてね。今じゃあほぼ血も薄れて指を振ったとしても炎なんて出ませんが

彼女は鼻歌を紡ぎながら指を振ったが変化はない。

この世界には予想以上にこの形の耳を持った奴がいないんだね

俺は初めてだ

まぁそうだよね。世界が違うからね

世界?

ミミのせいか彼女の存在は異質に見えたが、ミミ以外は自分達と同じだった。飲み方も食べ方もいたって普通に口からだ。

昔は一緒の世界に住んでいたみたいだけど、さっき区別したって言ったじゃん? ミミをつけたあとにね、別世界に飛んだらしいのよ

壮大な話だな

そうだよねー。何百年も前の話らしいけど、ここと向こうを繋ぐ技術はもう真似できないって

……うはぁこれおいし

厚切りベーコンと目玉焼きを挟んだサンドイッチを大口で齧り付きながら、女は自分の見解を述べる。相席の許可は結局出していないが、今さらそんなこと気にするものでもないし、アヌメールの興味はすっかり彼女に向いていた。

お前は

……失敬

ん? そんな堅苦しい言い方しなくていいよ

あたしはイヌメッタよろしくー

ベーコンの油で汚れた手をイヌメッタは差し出す。

アヌメールだ

アヌメールね

で、イヌメッタはその繋ぎ目からこっちの世界に来たのか?

うん。でもね、くる時なんか色々と言われてさ。ほぼ聞き流して覚えてないけど

こっちでもミミとかで色々と言われてるぽいけど、きて正解かな? 見たこともない世界をまわるのってやっぱり楽しいわ。平和だしね

平和? そう見えるのか?

うん。魔物とかいないじゃん。え、あたしが遭遇してないだけでいるの?

魔物……?

人襲ったりする異形のモノ。そういえば不思議に思ってたんだよね。何でそういうのいないのに君達は武器を持つの?

指先が鞘を撫でる。これは父から与えられたものだ。
騎士として。

賊とかがいるからな。野生の生き物でも人を襲うようになってしまったモノもいる

なるほど

ならそれに遭遇したことのないあたしは超ラッキーってことか

遭遇率が高かったらこの世界はヤバいな

あたしの世界、歩けば魔物と遭遇だよ

なんだよ……その恐ろしい世界……

生まれた時からそうだったからそれが当たり前かなって。まぁ、魔物の群生地とかあるし、それを回避すればあんまり会わないよ。人のいるところはまさしくそうだし

そうなら余計に外に出ること怖くないか?

それでも見たかったんだよ、あたしはね

こいつは違う、と思った。

俺は逃避だ。見たいと思ったが

 鞘が重い。浮かぶのは父の顔。

お前は騎士としての誇りを持たなければならない。上に立つ者の部品にならない者は不要だ

部品になるのを放棄した。それにすら成れない気がしたから。

こいつの見ている世界はきっと自由だ

欲しいと思ってしまった。手に入らなくても断片でもいいから見たいと……

俺と旅しないか?

うん?

いや、変な意味じゃないだ!

この下心に変な意味は込められていない……多分。

口を拭いていたイヌメッタはその眼でアヌメールの顔を上から下まで見る。

いいよ、面白そうだし。一人で旅するのも飽きてたんだよねー

本当か!?

うんうん。珍獣見る目、ってところだろうけど、あたしもこっちの世界の住人であるあんたを同じ目で見るから。あ、変なことしたら大丈夫! 半殺しにするから!

それ大丈夫じゃねぇよな!!

もう少しだけ逃避しよう。今だけは。あの場所に戻る日は絶対来るだろうけど

その時まで君の世界を覗かせてよ、と笑うイヌメッタに縋り付くように問うていた。

星喰みの水晶‐1‐

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