翌日は土曜で、学校は休みだった。

俺は遅い朝食を食べるとベッドに寝転がって、積んであった本を読みふけっていた。

棚にあるのも、転がってるのも全部ラノベ。親にも妹にも散々馬鹿にされ、オタク扱いされている。

開き直ればいいのだが、俺はハルノ先輩ほど人間ができていない。馬鹿にされれば傷つくし、人からよく思われたいと思ってる。だから捨ててしまおうと思ったことまである。

自分にまで嘘つかなくていいと思う。

ヤツキの言葉が脳裏をよぎって、本の内容が頭に入ってこない。


これが好きなんだと開き直ることもできない。

かといって、嫌いになることもできない。

………………、
あーーー!!!

俺は頭をかきむしって起き上がると、読んでいた本を置いて、本棚を漁った。

ヤツキが言っていた、北欧モチーフのラノベ。もう完結してしまったけど、実はスゲー好きだった。

パラパラとページをめくり、だがふと手を止める。俺、なんでこれ買ったんだっけ。
本は大抵ジャケ買いするけど、これといって好みな絵柄というわけではない。かといって誰かに勧められたわけでもないし、別段北欧神話が好きだったわけでもない。


――自分に嘘を。


今、それは関係ないのに、ヤツキの声が頭を離れない。でも次第にそれも薄れていって、ぼやぼやと霞んで行く。

おかしいと思うことがあっても、結論が出なければ忘れていく。これって……なんだっけ。

妙な胸騒ぎがして、俺は立ち上がると部屋を出た。

どこへいくの、という母さんの声を背に、私服のまま飛び出した俺が向かったのは、学校だった。

土曜で授業はないけれど、スポーツ部のやつらは御苦労なことに学校に集まって練習に励んでいる。だがそれに混じって、もっと御苦労なやつらがいる。

プラカードを下げたハルノ先輩、段ボールに入ったヤツキ。

馬鹿だ。馬鹿がいる。

本気でそう思う。でも楽しそうだ。

俺がぶち破れない壁の向こうにいる、彼女たちは。

……馬鹿だろ、お前ら

先輩達に近づいて、本心じゃない本心を口にする。

こちらを振り向いたヤツキとハルノ先輩は、そんな俺の言い様に怒るよりは、驚いたような顔をしていた。

そんな彼女らに、半ば照れ隠しのように顔を背けて怒鳴りつける。

段ボールじゃ全然リアリティないだろ!
それくらいならせめてチャリだろ!
だいたいトラックより、森で迷うとか本を開くとかタワーに行くとかトイレで流されるとかの方がメジャーだろ!!!??

びし、と指差して叫んだ俺を、ヤツキと先輩がきょとんとして見る。

ぼとりとヤツキの段ボールが落ちた。

入ってやるよ、異世界召喚部!!

そんかわり俺が入ったからには、こんなお遊びみたいな研究じゃ終わらさないからな!!

先輩とヤツキが、ぽかんとした顔を見合わせて――

それから、プッと吹き出して。
アハハハハ、と笑いだす。

照れ臭くなった俺はそんな二人を引きずって、手始めに図書室へ向かった。

本に吸い込まれるって言ったら、やっぱ魔術辞典とかそれっぽいやつだよね!

フツーの辞書とかも読んだことあるよ!

一周回って普通のラノベに吸い込まれその世界に転生の方がイマドキだ!

だのなんだの、馬鹿なことを叫びながら、片っ端から本を開いて吸い込まれないか試してみる俺たち。

これだけで午前中が過ぎて行く。

一度休憩を挟み、購買で軽く昼食を取ったあと俺達が向かったのは。

トーサキくーん!
そっちはどう~!?

駄目だ!
片足突っ込んで流してみたけど変化なしだ!

トール、ちゃんと頭から突っ込んでる!?

あ、頭からはちょっと……

真面目にやってるの!?
俺が来たからにはトイレに流されるくらい朝飯前って言ったじゃない!

そこまでは言ってない!!!

もういいわ。
じゃあ私がやるから!!

きゃーーーー
ヤツキちゃーーーーん!!!
ヤツキちゃんが流されるーーー!!

おい、マジかよ!?!?

人生初の女子トイレ駆けこみを体験するハメになった。

その後、ずぶぬれになったヤツキを一度先輩が家に連れ帰ることになり、俺は人生初の女の子の部屋を体験――

と、ラノベのように都合よくは行かず。

俺には一生縁のない、お高そうなマンションの前でじっと待つ。先輩とヤツキが入っていくときに、自動ドアの向こうでコンシェルジュが「お帰りなさいませお嬢様」というのが聞こえた。

間違いなく今日一番ラノベっぽかった。

さ、次はどうする?

うーん……あとは、森か山で遭難するとか、高い所から落ちて見るとかか……?

もうお昼過ぎちゃってるし、今から森や山に行ったら着くころには日が暮れちゃうわよ

誰のせいだ、誰の。

じゃあ、高い所から落ちる方で行きましょうか~!

でも失敗したらハルノもトールも死んじゃったりしない?

え~、うまくいったら死なないよ~

先輩とヤツキが物騒なことを間延びした声で話している。

確かに失敗したら危険だけど、俺もここまできたら試せることはなんでも試したい。

……プール

へ?

下がプールなら大丈夫だろ!

まだ昼過ぎだ。飛び込み台があるプールに行けば高い所から落下できる。

ぱぁっとヤツキが顔を輝かせ、ぴっと先輩が手を上げた。

十分後に水着持って集合!


そしてその十分後、俺達は市営プールに集まっていた。

先輩はピンクでひらひらのワンピースみたいな水着、ヤツキはオレンジのビキニ。

美少女二人とプールという、全国の男子が涎を垂らして羨ましがりそうな状況だが、それに気付かないほど俺は燃えていた。

今度こそ行けるといいね!

飛び込み台を前に先輩がわくわくした声を上げる。

でも、一緒に飛び込むのは危なくない?

多少危ないくらいの方がやる価値ある!

頬に人差し指を当て、迷っていた先輩も、俺のその一言でやる気になったようだった。

じゃあ、止められる前につっきるぞ!

まるで壮大なミッションを始めるように俺は叫び、一斉に俺達は飛び出した。


けたたましい笛の音と係員の怒声を振り切って、俺達は中空に躍り出る。


「ねえ、トール!」

きっとそれは酷く短い時間だったのに、いやにゆっくりとヤツキが叫ぶのが聞こえる。


「これでもう、私のこと忘れても、平気だね」

なんで。

言葉は声にならなかった。

そんな暇がなかった。

水面がぐんぐん近づいてくる。

なのに、ヤツキの声だけが時間とは別のところで響くのだ。

ヤツキの体が光る。

黒い髪が眩い金へと、黒い瞳が燃えるような赤へと変わっていく。

だって、通じ合えるってわかったから。
だから――

そんなヤツキと迸る光は、まるで真夏の――



八月の太陽。

先輩。なんで、『八月(ヤツキ)』なんですか?

だって、八月に出会ったの。

安直……

でもね、何度ヤツキちゃんを忘れても、名前を聞く度確信できるんだよ。
ああ、わたしなら八月って名前をつけるだろうなぁって。

だって、八月の太陽みたいでしょう?

――夏休み。

成績の悪い俺は、休みに入っても補修のために学校に通っていた。

行きつけの本屋の前を通ると、『閉店』の看板がかかっていた。これで四件目。また行きつけを作らないと。

慣れたことだ。


登校すると、校庭ではスポーツ部のやつらが夏休み中だというのに活動をしている。本当にご苦労なことだ。

帰宅部の俺には関係のないことだが。


パラパラと登校してくる生徒たちに混じって門を通ると、見覚えのある顔に出会った。

ハルノ先輩

呼びかけると彼女は振り向いたが、さして俺に関心などないような無表情。

今日は部活ですか?

ううん、補修だよ。
あんまり馬鹿やってると、内申に響くぞって先生に言われちゃってね

いつまでも子供じゃないし、そろそろ受験勉強しないとね

そう言って、重そうに膨らんだカバンを担ぎ直し、先輩が俺の前を通り過ぎて行く。

――あの中には、きっと難しい教科書や参考書が詰まっているのだろう。



そう思った後に、だけど、俺はその考えを打ち消した。

先輩

え?

自分に嘘をつくのは、ダメですよ!

ふいに、頭の仲に降ってきた言葉を口にして、俺は先輩の鞄をひったくった。

そしてそれを、生徒が行き交う門の前でひっくり返す。

どさどさと、重い鞄の中から落ちて来たのは教科書でも、無論参考書でもない。

ちょ、ちょっと!

本が傷むじゃないの! 酷いよトーサキ君!

そう言いながら慌てて本をかき集める先輩は、文句を言っているのに、声も顔も明るかった。

トーサキ君も手伝ってよ! 早く部活に行きたいんだから!

はいはい、と返事をして、俺は拾ったラノベを先輩の鞄に戻す。

俺も先輩も、今日の補修は、サボりだ。



そんな俺達を、八月の眩い太陽が照らしていた。

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