翌日、俺は終業のチャイムと共にそそくさと教室を出た。

もちろんそのまま真っ直ぐ帰るつもりだった。

なのにそれを見透かしていたかのように、ハルノ先輩が俺の前に立ちふさがる。

やっ、トーサキ君

フユサキです

さーさー、部活行こ!
ヤツキちゃんも待ってるよー

有無を言わさず先輩がぐいぐいと背中を押し、俺は意志とはかけ離れたところに誘導されて行く。

待って下さい、先輩。
俺は入るなんて一言も……

明確な意思表示なんて必要ないわ!
わたしと会話を交わしたそのときから
あなたは部員なのよ!

なんつー強引さだ。

そうは言っても先輩。
入部届けも書いてないわけですし

そうは言っても、部活として認可がおりてないわけですからそんなの要らないわけですし

待て待てぃ。

じゃあ異世界召喚『部』って詐欺じゃないすか! 単なる怪しい集いじゃないすか!

む、全然怪しくないわよ

怪しいから認可降りないんですよ

そんなことないわ!
申請に行ったとき、先生は優しい笑顔でぽむって私の肩に手を置いてくれたわ!

それは憐れまれてんだと思います。

なんでそんな憐れむような目をしてるの、トーサキ君。ウチは至ってフツーの部よ。
ほら、漫画研究部とかあるじゃない、アレと同じよ。所謂ライトノベル研究部よ

じゃあライトノベル研究部って名前にすれば良かったんですよ。
そしたら多分認可も降りましたよ。

そんなの普通すぎてつまんないでしょ!

そこは普通でいいと思う。異世界召喚部なんて名前はキワモノすぎるだろう。

それに。

大体、活動内容だって、こないだのを見るになんか研究してるようには見えないんですが

そんなの漫研だって同じでしょう。
わたし達はちゃんと研究してるし、研鑽も重ねているわ

異世界に行くためにでしょ

そうよ!

そこまではっきり断言できるのはある意味凄いが。

なんだってそんな異世界に行きたいんですか

思わずそう言うと、ハルノ先輩は意外そうに俺を見た。

トーサキ君は行きたくない?

シンプルな質問に、ドキリと胸が脈打った。

……ないですよ。
てかそんな幼稚なこと考えたことないです

でも、トーサキ君、あのラノベ……

頼まれて買いに行っただけですよ。
だからもう俺に構わないで下さい

ヤツキちゃんは?
昨日彼女と話したんでしょ?
彼女を元の世界に返してあげたいと思わない?

なおも取りすがる先輩を見て、俺は呆れたように溜め息をついた。

そんなこと思うの先輩だけですよ

どうして?
こっちじゃ誰の記憶にも残れないのよ。
そんなの辛いじゃない

じゃあどうして先輩は覚えてるんですか。
週末休みや長期休暇だってあるんだ。
先輩だっていつも会ってるわけじゃないでしょう

大体会ってるわ。一緒に住んでるから

わたし一人暮らしだし、お金たくさんあるからヤツキちゃん一人くらい簡単に養えるわ

両手を腰に当て、胸を逸らしてハルノ先輩は簡単に答えた。

まだ多少の現実味がある分、逆に先輩の方がファンタジーな存在な気がする。

そのお金はどこから……

別に危ないことでも楽しいことでもないわよ。親がマンション買ってくれただけ

俺にとっちゃ先輩がライトノベルです

お金持ちお嬢様。
異世界美少女。
怪しげなクラブ。
なんか知らんが巻き込まれた俺。

先輩だけじゃない。今俺に起きてることそのものが、まるで出来の悪いラノベみたいじゃないか。

あれ? トーサキ君、頼まれて買ってただけにしてはラノベに詳しいのね?

意地の悪い先輩の微笑みに、俺はついカッとなった。

だから、俺は――……ッ

しかし俺の怒鳴り声は、背後からの衝撃に掻き消された。

トール、部活行こ――ッ!

ヤ、ヤツ……

急に後ろから抱きつかれて、さっきとは別の意味でカッと顔が熱くなる。

しかも周囲からはどよめきが起きている。授業が終わったばかりでまだ生徒達が残っているのに、美少女二人に詰め寄られる俺。スキャンダルにならないはずがない。

俺は絡みついてくる視線から逃れるように慌てて小走りに教室を離れた。

おっ、部活行く気になった?

ヤツキ、お前、ほんとはこの学校の生徒じゃないんだろ? あんな目立っていいのかよ

だってどーせすぐ忘れられちゃうもの

あんなに大勢に目撃されてるのに全員が綺麗さっぱり忘れるってのかよ?
誰かが何かしらの痕跡を覚えてるだろ

どんな痕跡があっても、私という存在が全く記憶から消えていたら、私には繋がらない。

あれ、おかしいな、って思うことくらいはあるかもね。でも結論が出ないんだから、いつかは勘違いで片付けられちゃうわ。
幽霊と同じよ

確かに、そう言われると彼女の存在は幽霊に酷く似ている気がした。

だがそれなら、オカルト部の方が異世界召喚部よりはまだマシだ。

だったらもういっそ幽霊になってオカルト部にでもしとけよ

……トールは、異世界人は駄目なのに、幽霊なら大丈夫なの?

そりゃ、オカルト部は認可降りてるからな

……

ふとヤツキが黙りこみ、改めて彼女の方を見ると、あの寂しげな表情で彼女はじっと俺を見ていた。

その顔を見て改めて自分の言ったことを振り返ってみれば、随分酷いことを言った気がする。

でも、元はと言えば、異世界だの召喚だのと非現実的なことで俺を振りまわす彼女や先輩がいけないんだ。

俺は別に酷くなんかない。俺は正論しか言っていないはずなのに。

なのになんで、俺は罪悪感なんて覚えているんだろう。

ねえ、トール

再び紡がれたヤツキの声は、だが俺が危惧したような、悲しそうな声ではなかった。

トールって名前、なんか神様みたいでかっこいいよね

いつもと同じ調子で、話の流れに関係ないことを口にしてくる。

唐突な話題だったが、少しほっとして俺もいつも通りの声で返す。

……北欧神話のこと?

そう、それそれ。ハルノに教えてもらったの。神話とかってよくファンタジーラノベのモチーフにされるんでしょ?

結局ラノベなのかよ。

もういいよ、ラノベの話は……

なんで?
トールも好きでしょ、ライトノベル

先輩にも言ったけど、あれは頼まれて買っただけで……

顔を上げると、ヤツキの姿は消えていた。

いつの間にか彼女は場所を移動していて、振り向くと少し離れたところで、彼女が手にしていたのは、俺の鞄で。

止める間もなく、開けっぱなしの俺の鞄を、ヤツキがひっくり返す。

ばさばさと落ちてきたのは、教科書やノートと――

み~っけ!

行き着けの書店のカバーが掛かった文庫本。

ヤツキがそのカバーを外し掛け、慌てて俺は彼女に駆け寄ると、ヤツキを突き飛ばして本を奪った。

「きゃ」と小さな悲鳴が聞こえたけれど俺は構わず教室を飛び出す。そして本を抱えたまま、でたらめに校舎を走った。


暫く走ったところで誰かにぶつかりそうになって立ち止まった。

一度立ち止まってしまうと、それ以上、足を動かせなくなってしまう。


することがなくなって顔を上げると、ちょうど期末テストの順位の掲示が目に入った。

その一位には見覚えのある名前があった。

トーサキ君

ぶつかりそうになった人物が、俺に声をかけてくる。

そんな妙な呼び方をする人なんて他にない。
今しがた目にした、学年一位の名前の持ち主だ。

俯いたまま俺は彼女に問いかけた。

……先輩。

なんで先輩はラノベなんか読んでるんですか?

うん? そりゃ、好きだからよ

そうじゃなくて。
お金持ちのお嬢様で成績は優秀。完璧じゃないですか。ラノベじゃなく文学作品でも読んでれば、変人だなんて思われないのに

うーん、そうねぇ

俺もかなりズケズケと言ったが、変人というのを否定しなかったところを見るに、今までにも散々変人言われてきたんだろう。

わたしんち、親が厳しくて、漫画とかって禁止なの。トーサキ君の言う通り、小さい頃は文学作品ばかり読んでたわ。
名作と言われるようなものは、小学校のときに全部読んじゃった。天才だの神童だの才女だの言われてたわね

人差し指を頬に当て、回想するように視線を上に向けて先輩が自画自賛する。

でも嬉しくなかったしつまんなかった。かといって親にも逆らえないし。

そんなときかな、ラノベに出会ったの。
多分、他の人が漫画を読む感覚で、わたしはラノベにのめりこんでいったの

上を向いていた先輩の視線は、いつの間にか俺へと戻っていた。

失礼なことばかり言う俺に対して、怒りも憤りも見せず、先輩は優しい笑顔を浮かべていた。

小難しい言葉をこねくりまわして諭してくる作品よりも、わたしには魅力的に思えたの。

すごく簡単な言葉で、こんなにあっさり人の心を奪うことができる、ライトノベルがね

名前の通り春風のような軽さで、先輩の声が肌を撫でていく。


俺は先輩みたいに、難しい本なんて読んだことないし、成績だって物心ついたときから中の下で、人から褒められたことなんて数えるほどもない。だから、不思議だった。


……そんな、俺とはまるで正反対の先輩が、
俺と同じようなものを見て、
俺と同じようなことを思っていることが。

トーサキ君も、だからラノベが好きなんでしょ?

俺の心を読んだかのように、先輩がそんなことを言う。

俺は一度もラノベを好きだなんて認めてないのに。

先輩のことも、部活のことも、ヤツキのことも、何ひとつ認めてないのに。

人の評価なんて転々変わるもの、どうだっていいじゃない。
文芸書読んでたら神童。
ラノベ読んでたら変人。
そんなチンケな価値観より、ヤツキちゃんの方がわたしにはよっぽど大事なの

俺は――


ラノベは低俗。文学は高尚。

そんな俺の価値観をチンケだと全否定された気がした。でも、俺だってそんなカテゴライズはナンセンスだってわかってる。

わかってはいても、それが大衆の意見だ。
それもまた、わかってしまってる。

……俺はそんな強くなれないです

周囲の目は気になる。

それはそんなにいけないことだろうか。

生きていく以上他人との付き合いは必要不可欠だ。それには必ず他人からの評価もつきまとう。

だったらそれは、できればいいものであった方がいい。

頑なになる俺にまた先輩が口を開くが、声は後ろから聞こえてきた。

追ってきたんだろう。

振り向くと、ヤツキが肩を上下させ、息を弾ませながらそう言った。

ハルカはハルカ、トールはトールだもの。自分の好きなもの、隠したいだけならそれでいい。

でも自分にまで嘘つかなくていいと思う

……? どういう……

トール、自分に言い聞かせてるみたいなんだもの。
ラノベなんて下らないって

本を掴んだままの右手が震える。

ヤツキの言う通りだ。

こんなものにワクワクしている自分が恥ずかしくて。
だから、先輩を否定してしまった。

同じものを好きなはずなのに、本当なら仲良くなれるはずなのに、周囲の目を気にしない先輩といることで、自分までも奇異な目で見られることを恐れて。

よほどそっちの方が馬鹿らしいと思う。でもヤツキはそんな俺でも否定しない。


……俺がヤツキを、どんなに否定しても。

ホントは、好きなんでしょ?

不覚にも、笑いかけるヤツキのその笑顔が眩しく思えてしまった。



まるで、八月の太陽みたいに。

……好きじゃねーよ、馬鹿

ヤツキが持っていた俺の鞄をひったくって、そのまま俺は帰途についた。

ライトノベルと文学少女

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