私の虫の居所が悪かった理由は、実は、あの試験の後エルミール先生と喧嘩をしたからだった。あれから何度も脳内で反芻しているけれど、思い出す度に、気が滅入る。

私たちの武器が何か、お分かりになるかしら、コリーヌ

学校の応接間、シャンデリアの下で、向かい合わせになったエルミール先生と私は、言葉を交わしていた。なんだかよく分からない試験を受けさせられて合格してしまった私は、どうやら魔術以外の授業も、今後八ヶ月は免除されるらしい。それだけ聞いたら、先生は、これまたなんだかよく分からない、不思議な質問をしてくるのだった。

質問が曖昧で、なんとお答えすれば良いか

事態が掴めていなかったから、お茶を濁しておいた。

そうね、端的に聞きましょう。貴女は何故、十四にもなってコルセットを着けたことがないの

それは

答えに迷う。自分自身、散々葛藤していることだ。先生は、私が未だに女になろうとしないことを批判しようと言うのだった。それでも、私は、誰かに、何かに、束縛されることが、どうしても、堪えられない。

必要性を感じないからですわ。あんなに窮屈で痛いもの、なくったって私の魔素は枯渇しない。皆がコルセットを着けるのは、生まれ持った魔素量が少ないからでしょう

馬鹿!

ピシャリと、エルミール先生は私に感情をぶつけてきた。嫌だ嫌だ、何故大人は、気に入らないと声を荒げるのかしら。けれど、言わんとすることは分かっている。生まれ持った純粋な魔素が枯渇したら、少女はもう女になれない。

良い、コリーヌ。神様は、男性ではなく女性に魔術の才をお与えになった。そして、魔素を生み出す才は、逆に男性にしかお与えになっていないの。使った分の魔素を自分で修復出来るのは、生理前の、未だ男女の分化が始まっていない少女だけなのよ。今は大丈夫でも、貴女の魔素はいつ切れるか分からない。貴女も、もうコルセットを絞める時期なのよ。分からないわけないでしょう

私は文化的クリスチャンで、神の存在を、というより神父達が真に神の代理をしているということを、俄かには信じていない。それは一因でしかないけれど、私の感情を爆発させるトリガーには十分で、些細な文言に揚げ足をとった。

元々魔術は悪魔の力だったんでしょう。だから、原罪という魔性を秘めている人間には、魔術が使える。神様の名を出すんなら、私たちは知恵の実を齧る前の、交渉のないアダムとイヴの時代にこそ戻るべきだわ。コルセットを絞めるというのは、蛇に唆されて知恵の実を齧ることと相異無いわ。私は縛られたくない。今のままで良いの。放っておいて

両の目からは、いつの間にか涙が流れていた。けれどこの涙も、半分は演技で流していたから、虚空から冷静に先生と自分を眺める私もいた。
先生は、深く嘆息して、穏やかな調子で言う。

実はね、先程の試験は、教皇庁からの特別試験だったのよ。貴女は素晴らしい評価を受けたから、今夜からペルピニャンを出て、バルセロナからバチカンに戻る教皇猊下の護衛をするの。そこには、西ヨーロッパ中の才ある少女達が集まるわ。バチカンに着いたら式典があって、その後集められた少女達が世界中で教皇庁の任務にあたるのよ

もちろん貴女もそう。コリーヌ、貴女程の才女なら、教皇猊下の直接の任務も任されるかもしれない。これは大変名誉なことで、貴女の輝かしい将来が約束されるわ。それでね、もちろん任務では日夜魔術を使うことになる。このままコルセットすら着けず、魔素の供給を受けずにいたら、貴女はすぐに性を失うことでしょう。私はね、貴女が幸せでいられればそれで良いの。でも、このままだと貴女はあらゆる幸せを失うことになるわ

一瞬置いて、先生は力強く懇願した。

お願いだから、コルセットを絞めて

それでも、私は、

コルセットなんて、絞めない。

野営地からは、いつも家で見るよりも星が美しく見えた。彗星が星屑を瞬かせながら飛びゆく様を目尻で捉えつつ、私はアンケに淹れてもらった紅茶のカップを傾ける。期待はしていなかったけれど、それなりに美味しく淹れてくれたから、私はアンケをちょっぴり気に入った。
結局、コルセットは着けていない。先行きは見えないけれど、私は今の自分がとても好きだ。

Coeur 第一幕 終

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