机に突っ伏して眠る恵司の携帯電話が振動する。彼は昨日夜中までネットサーフィンをした挙句、そのまま寝落ちしたのである。画面は今でこそスクリーンサーバーが機能しているものの元の画面を映し出せば常人では見るに堪えない残酷な画像が表示されるであろう。
 不快な携帯の振動にようやく目を覚ました恵司は携帯に映った名前を見ると、寝ぼけ眼のまま応答する。

駿河恵司

……ふぁい

駿河音耶

寝ていたのか……。何時だと思っている

駿河恵司

いいんだよお前と違って定時の仕事じゃないんだから俺は……。で、何だよ朝っぱらから

駿河音耶

悪いがもう午後だ。椎さんがまたダウンした

 椎さん。その名前を聞いた恵司はキーボードを片手で操作すると、何かのアプリケーションを起動する。そこに表示されたログを流し読みで確認しながら、恵司はゆっくりと立ち上がる。

駿河恵司

わかった、すぐ行くわ。埴谷の家でいいんだよな

駿河音耶

いや、ここにいる

駿河恵司

はぁ? 埴谷の奴仕事に連れてきてんのか?

駿河音耶

埴谷に合わせながら周りに隠し通すのは中々骨が折れる……。『彼女が仕事場を見たいと言っていた』とか言ってたが、お前何かしたのか?

 音耶の言葉に、恵司は少し考え込む。少しの時間唸った後、何か心当たりがあったらしく音耶に謝罪の言葉を紡いだ。

駿河恵司

俺が何かした奴だなこれは。多分俺が吹き込んだわ

駿河音耶

……だったら殊更にお前が始末をつけてくれ。警察署じゃお前も入りにくいだろうから、今から移動する。この時間ならファミレスも人が少ないだろう

駿河恵司

わかった。すぐ向かうわ

 音耶との電話を切った恵司は、パソコンの傍にいくつか置いてあるUSBメモリの中からピンク色の物を手にするとそれを上着のポケットに突っ込む。そして、ズボンのポケットに財布があることを確認し、バイクの鍵を手に家を出た。

駿河音耶

ああ、やっと来たか……

 ひどく疲れた様子でコーヒーを啜る音耶が既に座った席から恵司を手招きする。恵司は連れが先に来ていると店員の案内を断りながら辺りを見渡し、音耶の正面の席に座った。

駿河恵司

埴谷は?

駿河音耶

仕事中だ。椎さんなら借りてある

 そう言って仕事用の鞄の中から一台のノートパソコンを取り出すと、恵司に差し出す。恵司はそれを起動し、ポケットからUSBメモリとイヤホンを取り出して接続した。

駿河恵司

症状は

駿河音耶

音声認識が若干バグってる。後は特定の言葉でフリーズ

駿河恵司

了解した

 それを聞くなり作業に入った彼はあるプログラムの修正を始める。プログラム名は“GIB:C-3”。恵司が制作し適当に付けた名前で、GIBはGirl in boxの略称だという。目の前で行われるプログラミングなど微塵も出来ない音耶にとっては兄が何をやっているのかなど全く分かりもしないのだが。

駿河恵司

会話パターンの生成部分で若干誤字ってた。むしろ動いたのが奇跡だな。あと、音声認識の方は単にパソコン本体の劣化がデカいな。このノーパソ買い換えたほうが良いんじゃね

駿河音耶

それをなんと埴谷に説明すればいい

駿河恵司

……早い話が、そろそろ奴が目を覚ましゃ良いわけだが

 一連の彼らの会話から予測がつく通り、埴谷の彼女――椎さんと呼ばれる少女は人間ではない。恵司が作った人工知能を搭載したプログラムが彼女の正体である。いや、人間ではないというのは言いすぎであろう。本来彼女は確かに生きた人間だったのだから。

駿河音耶

本物の椎さん――箱入椎が亡くなってから半年か。確かに大分経ったな

駿河恵司

まさかあいつがここまで歪んでるとは思わなかったよ。俺は単にあいつを励まそうと思っただけだったんだが

 箱入椎は今から半年前に交通事故で亡くなっている。その際、彼女を失った事で、今では考えられないことであるが埴谷は仕事にも全く顔を見せないほど憔悴してしまったのだ。それを見ていられなかった双子は彼のために何かをしてやれないかと、音耶が箱入椎の情報を集め、恵司がその情報をもとに一つのプログラムを書き上げた。それがこのプログラムである。最初のうちは簡単な会話に応答出来る程度の固定パターンを付けただけで、声もたまたま残っていた椎の肉声をそのまま取り込んだだけの物であった。それのおかげで確かに彼は精神的に安定し、仕事にも復帰することが出来た。しかし、それは表面上に過ぎなかったのだ。
 彼はこのプログラムを椎本人だと誤認することで精神を保っていた。それに気付いた双子は、これを作ってしまった罪悪感から少しずつアップデートを繰り返し、今では会話も自動生成が可能な上、合成音声を使用して何でも喋れるようになっている。
 

箱入椎

ふわぁ……おはようギコ君。ごめん、寝坊しちゃった

駿河恵司

っと、よし。悪いな椎さん、埴谷じゃなくて

箱入椎

あっ、恵司さん? ごめんなさい、私、勘違いしちゃった

 ノートパソコンにははにかむ椎の顔が画面いっぱいに映し出される。しかし、彼女のこの顔も写真を動かしているに過ぎない。ある程度限界がある以上、多少の不自然さはあるが、それでも画像も声もまるで生きているかのようであるのは恵司の技量だろう。

駿河音耶

流石だな、恵司。ブラクラを踏む以外にもパソコンが使えるとはな

駿河恵司

一応こっちが本業なんでな。最近はホワイトハッカーも始めようかと思っている

駿河音耶

ただのハッキングならいつかやると思ったが、ホワイトハッカーとくるとは……。お前には無理だな

駿河恵司

失礼な! ハッキングぐらいやったことあるわ!

駿河音耶

お前はホワイトハッカーにはもうなれんな

 恵司は探偵業で生計を立てているわけではない。あくまでそれは彼の趣味であり、時々依頼を受けたとしても依頼料らしい依頼料は受け取らない。やって飯を奢れだとか、そう言う程度のものである。それでも彼が暮らせるのはあくまで彼の本業はシステムエンジニアだからだ。なんだかんだ言って彼にも現実志向の面があるらしい。

箱入椎

いつもありがとう、恵司さん。私、また少しおかしくなってたんでしょ?

駿河恵司

多少、な。心配はいらないさ。最近埴谷とはどうだ?

箱入椎

いつも通りだよ。ギコ君、仕事ばかりで忙しそうだけど、それでも私の事を大事にしてくれてるの。昨日もケーキを買って来てくれたのよ!

箱入椎

でも、今の私じゃ食べられないから……。ちょっとだけ申し訳なかったな

駿河恵司

まぁ、仕方ないさ。気持ちだけ貰っておけ

 会話テストという名の埴谷の個人情報の探り出しを始めた恵司。音耶はその二人(一人と一台)の会話を聞きながら、ふと考えてしまう。

駿河音耶

プログラムの椎さんですら、本物の自分が死んでるという事を知っているのに……。真実から目を逸らしているのは、埴谷だけなんだろうな

 機械とはいえ、まるで感情を持ったように会話する椎。いや、もしかしたら感情のようなものが生まれているのかもしれない。そう思えば思うほど、椎と埴谷の事が哀れに思えてくる。そして、恵司もそう思っているのだろう。だからこそ彼は此処までの技術を持っていても、自分の恋人であった空のプログラムを作ろうとはしないのだ。
 こんなプログラムを作ってしまった事は失敗だった。埴谷以外の者はみんなそう思っている。――当人の、椎でさえも。

EX ① 電脳少女は恋人の夢を見るか?

facebook twitter
pagetop