従者にうながされて白髭の老魔術士が入室してきた。
クーゲルハイム学校長のお目見えだ。
流麗な刺繍が施されたローブは威厳に満ちているが、
面立ちは、そこらへんの村の村長のようで、いまひとつパッとしない。
胸像の正体は彼だったようだ。
従者にうながされて白髭の老魔術士が入室してきた。
クーゲルハイム学校長のお目見えだ。
流麗な刺繍が施されたローブは威厳に満ちているが、
面立ちは、そこらへんの村の村長のようで、いまひとつパッとしない。
胸像の正体は彼だったようだ。
通達のとおり、諸君に今期の教官を任命する
レオグリフとマナグレースが深く一礼した。
……
私も申し訳程度に頭を下げる。
ここに配属された以上、一応は……上司になるのだ。
いやはや、三教官に一度に辞められた時はどうなることかと思ったが……
こうして、無事に新しい教官を迎え入れることができて安心している
諸君には、無限の可能性を持った原石の研磨に全力で当たってもらいたい
奏魔術担当、マナグレース教官
はい
君には本当に感謝している。よくぞ我が校の要請を引き受けてくれた
どういたしまして。困っている人を見ると、放っておけない性分なんです
……
何だこいつ……
うさんくさいことこの上ない。
聖魔術担当、ルカ・ウィスタリア教官
……
マナグレース……いったい何者なんだ?
自らの意思で異動してきたようだが、噂を聞く限り、殊勝な人物だとは思えない。何か裏があるに違いない。
ウィスタリア教官?
……あ、はい
おっと。油断していた。
というか、この老人の声が小さいのが悪いのだ。
君の話は聞いている。とても優秀な……その……何だ……
言葉の続きが出てこない。
ものすごくイライラする。
相手が部下だったら怒鳴り散らしているところだ。
後ろに控えていた従者が、そっとクーゲルハイムに書類を手渡した。
おお、そうだった。アルネフォロス中央魔術研究院の特務研究官だ。中央の官職を我が校に迎えたのは……
百五十年ぶりです
そう、百五十年ぶりだ。これも、わしが毎日欠かさず天空の神に祈りを捧げていたからに違いない
君のような優秀な魔術士を迎えることができて、とても嬉しく思っている
はあ。光栄です
クーゲルハイムは指を舐めて書類をめくると、
ふーむ、経歴もたいしたものだ。王国暦四百八十四年、第二聖人ガルシュアの月、北の都市ルイールで生まれる
七歳の時に風呂場で転んで頭を打ち、気絶中に真理のかけらを見つける
……!!
なんと経歴書を読み上げ始めた。
その後、天空教会直轄の高等魔術学校に入学。一年目に認定聖魔術士と、片手間で習っていた騎士剣術の免状を取得
おい、馬鹿、やめろ!
ボ ケ 老 人 !!!!!!
二年目には、防護魔術の論文が認められて表彰を受け――
校長!
経歴書には誰をも唸らせる経歴が綴られている。
しかし、アレクシスによって追記された決定的な汚点が――読み上げられては困る箇所が、ひとつだけある。
三年目……に……
クーゲルハイムの言葉が止まった。
彼の視線はある一点に注がれている。
……
苦い表情を浮かべて顔を伏せる。
どの項目に視線が注がれているのか、容易に想像できる。上の連中によって追記されたであろう、あの事件――。
ルイール市民音楽祭、踊り部門準優勝。これはすごい。いつかご披露願いたいものだ
沈黙は意外な言葉で破られた。
え?
クーゲルハイムは何事もなかったかのように、経歴書を返して微笑んだ。
ルカ・ウィスタリア教官。神の名のもとに子ども達を正しく導いてくれ
……
尽力しましょう
先ほどよりも、幾分か丁寧に頭を下げた。
単なるボケ老人ではないのかもしれない。
最後に、君は……
従者が耳打ちするよりも早く、本人が答える。
レオグリフ・ミードですっ
おお、そうだった。歳を取るとこれだ。すまぬな、若きガレア黒魔術学博士よ
……
……はぁ!?
ガレア黒魔術学博士号は、一分野を立ち上げられるほどの魔術理論を独自に樹立した証明だ。
黒魔術学においては最高の名誉に当たる。
これを得られなくて苦労している壮年の黒魔術士を何人も知っている。
こいつが……ガレアの博士?
この、馬鹿という言葉を人の形にして、服を着せたような男が?
嘘だろう……?
レオグリフは緊張した面持ちでクーゲルハイムを見つめている。
君はまだ本採用ではない。君の実力を見極めなくてはならん。そこでだ
グーゲルハイムは紙筒をレオグリフに手渡した。
彼は緊張の面持ちでそれを広げる。
どうやらドマーニ王国の地図のようだ。
左上の……赤い丸印がついている。わかるかね
中央には王都グラチア。
少し北東に進んでこの町グリモワルト。
丸印は、そこからさらに東に進み、街道を外れて湖を渡り、平原を越えた先についている。
スプリングヒル……?
うむ。『永遠の雪原』を越えた先にある、辺境の町スプリングヒル。そこに行ってもらいたい
見た限りでは、辺境とはいえ街道から極端に離れているわけではない。
途中まで馬車を使えば二日ほどでたどり着けそうだ。
ここは商人の一族が統治している。ひどく閉鎖的な町だ
商人なのに閉鎖的なんですか?
うむ。自分達の商用馬車しか出入りさせない。手紙の配達も管轄外だ
グラムの占術結果には、その町の名前が挙げられていた。過去に例のないことだ
グラム?
天眼アリーシャ・グラム。理の天秤のお抱え占術士よ
理の天秤が運営する初等魔術学校には、入学経路がふたつあるの。ひとつは覚醒済みの子どもを対象とした試験で選ばれる一般入学
もうひとつはグラムの占術で選ばれる特別入学
特別入学が認められた子どもは、入学金も学費も寮の居住費もすべて免除。特待生扱いになるわ
毎年この時期に、そのラッキーな子ども達に入学通知が届けられるのよ
なるほど。つまり。その町に行って、選ばれた子どもに通知を渡して、連れてくればいいんですね
そのとおりだ。同意が得られない場合には、無理に連れてくる必要はない
クーゲルハイムは封筒をレオグリフに手渡した。蝋で封が施された白い封筒だ。表面には住所も名前も書かれていない。
レオグリフは封筒を見て目をこすり、まばたきと凝視を繰り返してから言った。
あぶり出しですか?
……
痛って! 何すんだよ!
すかさず右手を振り上げるレオグリフ。
反撃の手を、クーゲルハイムの言葉がとどめた。
スプリングヒルに居住する子ども。グラムの占術はそこで途切れていた。ゆえに宛て先は不明だ
……どうするんすか?
そこで君の目端を利かせるのだよ
目端って……
レオグリフは困り顔で封筒を眺めた。
何度ひっくり返してみてもまっ白のままで、文字が浮かび上がってくるはずがない。
どれほど優秀な魔術士でも、見えないものを見ることはできない。
それは占術士の仕事である。
グラムにもう一度占ってもらうわけにはいかないのですか?
それは無理
何?
死んだわ。途切れた占術結果を残してね
なっ……
命と引き換えの占術だ。無下にはできまい
……わかりました。任せて下さい
うむ。最低条件は、読み書きができる十二歳以下の子どもだ。覚醒しているかどうかは瞳を見ればわかるだろう
真理のかけらを手に入れた人間の瞳は、普通の人間のそれと少し異なる。
瞳孔の周りにうっすらと環が浮かんでいるのだ。
これは『真理の環』と呼ばれ、覚醒した人間を見分ける唯一の身体的特徴になっている。
ただし非常に薄いため、瞳を凝視しなければ見つけられない。
閉鎖的な町では、事情を話してすんなり協力を得られるとは限らない。
町じゅうの子どもを片っ端から捕まえて顔を覗き込むとなれば、覚醒している子どもを見つけ出すか、
不審者として自警団に通報されるか、どちらが早いかの勝負になる。
こりゃ大変だな
……
レオグリフは真剣な表情で地図を見つめている。
魔術を学びたいという強い意志があるなら、覚醒していない子どもを連れてきてもかまわない
クーゲルハイムは言葉を切って私を見た。
ルカ・ウィスタリア教官。同任務を与える
へっ?
素っ頓狂な声を上げてしまった。
すっかり油断していたのだ。
同行したまえ。彼ひとりではさすがに心許ない
ちょ、待って下さい! なぜ私が
マナグレース教官には別の仕事がある。君はもう特務研究官ではない
そして、ここにいる限りは私の命令に従わなければならない。違うかね?
っ……
反論できない。
視界の端ではレオグリフがうんざりとした顔でこちらを見ている。
あら、いいじゃない。男同士仲良くやりなさいよ
マナグレースがニヤニヤと笑っている。
良い報告を期待している
クーゲルハイムは従者を連れて去っていった。
マナグレースも鼻歌を歌いながら彼の後に続く。
沈黙と、げっそりとした二人が残された。
……
……
……足、今度は引っ張るなよ。行き倒れの博士
はいはい。ぼっち先生!
痛って! てめ!!
今度は口だけではなく、手も足も出る喧嘩が始まった。
私達が他の職員によって学校長室から連れ出されたのは、それから半時後のことだった。