ベ……いえ、時任真也(ときとう しんや)

 呟いた途端、リーシャの顔がエラく緊張した。

 狼狽とまではいかないが、この男の登場はだいぶ意外だったらしい。
 それにしても、着ている服を含めて、辛気くさい男だった。

 どこかの高校の制服に見えないこともないが、ブレザーは色が灰色でなんのマークもない。

 しかし、高校の制服にしては男の顔がやさぐれすぎだし、さらに言えば冷酷過ぎる。こいつは、とても健全な高校生には見えなかった。

けっ、このクソ女に加えて、新手かよ!

 俺はさりげなくリーシャから離れ、わざとらしく一芝居打ってみたが、当然ながら、もう遅かったらしい。

今頃、誤魔化してどうなる……馴れ合ってたのは、見え見えだろうがよ

 見かけの割に野太い声音で、しかも殺気が漂う声だった。

言ってみなきゃわからんじゃないか。こう見えても俺は、女の子には愛想いいんだよ。巻き添え食わせたくないしな

 俺の言い草を聞いてリーシャがこちらを見たが、しかし声に出しては何も言わなかった。なぜか、戦闘待機状態みたいな姿勢で、じっと時任と呼んだ男の出方を窺っている。

 もっとも、時任本人はリーシャには構わず、最初からじろじろと俺だけを観察していた。

昼間から散々騒いでくれたようだが、てめぇは何者だ?

教えてやってもいいけど、その代わり、なんで人の血を吸うのか、そっちも教えるか? 等価交換の原則って言うだろ?

 開き直った俺は、堂々たる取引に出る。
 しかし、時任は忌々しい顔でリーシャを見ただけだった。

おい、いつからこいつと通じてたんだ、貴様

勘違いすんな、シケ面

 俺はわざとにこやかに遮ってやる。

別に彼女から聞いたわけじゃないね。おまえらもう散々、目立ってんだよ。先日も、教師に噛みついた事件があったばかりだろうが? 吸血がどうのなんて話は今更なんだ、抜け作!

 言いたい放題で罵倒すると、意外にも時任は笑った。

はははっ、ちげえねぇ。まあ、あの野郎のミスは尾を引くと思ったが、まさかおまえみたいなのが出てくるとは思わなかった。来るなら、先に警察だろうと予想してたさ

そのうちそっちも来るんじゃないかね、あちこちの世界を知る俺が言うのもなんだけど

 同じく笑いながら、俺は言ってやる。

ほら、この国は世界的に見ても、嘘みたいに犯罪に厳しいからさ。誰が来たって、好き放題に振る舞えるわけないんだ

 人がせっかく遠回しに教えてやったのに、時任の反応は鈍かった。
 上の空で何か考え、やがて一つ頷く。

いずれにせよ、おまえはここで殺しておく。で、リーシャは連れ帰って、ちょっといろいろ吐いてもらうか

誰がよっ

 俺ではなく、ツンデレのリーシャが言い返した。

いつからあんたに、そこまでの権限ができたのっ

知りたいか

 
 ニイッと、時任が嫌な笑みを浮かべる。

なら教えてやるが、たった今からだ、裏切り者が!

 すっと片手を上げた途端、リーシャがやたら切羽詰まった声を上げた。

逃げてっ

 一瞬だけ俺の方を見て叫ぶと、自分も大きく背後へ跳ぶ。

 想像以上にとんでもない跳躍力で、リーシャの底力を窺わせた。

 ただ……今それだけ跳躍するということは、あの時任の攻撃範囲がそれだけ広いってことになるわけだ。

頼んだ、レイフィール!


 何かヤバい予感がした俺は、ほぼ同時に叫び、奥の手を具現化しようとした。
 まさにその時、時任を中心として渦を巻くように真っ白ななにか

が広がり、一斉に俺達の方へ飛んできたからだ。

くっ

シールド!


 忠実な戦士の声が響く。まさにギリギリで間に合った。

 ボディースーツみたいな戦闘衣装を着込んだ女性が俺の前に現れ、盾になってくれた。彼女の眼前で、殺到してくる吹雪みたいな何かが綺麗に弾かれてしまう。

なんだぁ?

 時任は大して慌てることもなく、顎の辺りを撫でた。

 その間も、こいつから迸る白いなにか――おそらくナイフ状の氷の粒みたいなのは、相変わらず切れ目なしに俺を狙って飛来する。

 マジで、横殴りの吹雪みたいなものだ。今のところはレイフィールが全てシールドで止めているけど、弾かれた礫(つぶて)が周囲の壁を壊し、道路にガンガン穴を穿っている。剣呑すぎるだろ。

 すぐにレイフィールを出さなきゃ、俺があんな風にズタボロになってたな!

器用なヤツだな、てめぇ

 むかつくことに、さしたる緊張感もナシに時任が言う。

部下の報告じゃ、武器まで具現化して人格が変貌したそうだが……今度は光輝く女戦士を呼び出したか? そんな真似のできるヤツぁ、俺の時代にもあんまりいないぜ

驚いたか、クソ馬鹿。俺がそう簡単にやられるかって!

 未だに真っ白な攻撃が止まらない上に、あいつの余裕は全然消えてなかった。むしろ、愉快そうな表情になって、俺を眺めている。 

 少しはレイフィールに驚けよ、むかつくヤツだな!

おもしろいな、もっと何か見せてみろ。感心して、拍手くらいはしてやるかもしれんぞ

ははは、言うじゃないか。よぉーし、レイフィール! 思う存分、やっちゃってくれ!

 大きく敵を指差した刹那、レイフィールが満を持して時任に飛びかかる。

 俺はその結果を見ずに、背を向けて全力で走り出した。

じゃあ、そういうことで!

あ、てめえっ

 時任が後ろで声を上げたが、無視した。
 せいぜいレイフィールとやり合ってろ。

ええっ。ちょっと!

 後ろの方で目を丸くしたリーシャに、俺は駆け抜け際に忠告してやった。

この間にズラかろうっ

啖呵切ったくせに、逃げるのっ!?

逃げるさ、そりゃ!

 俺は胸を張って言ってやった。もちろん、走りながら。

敵の戦力もわからないのに、闇雲に戦う趣味はない……まあ、だいたいは

 
 昼間の公園は例外だからな。
 釣られて走り出したリーシャに、懇々と諭してやった。

戦うにしても、リーシャからあいつの戦闘力を聞き出してからだろ。元々俺、万歳アタックは好みじゃないのっ

 説明し終わった時には、幾つか角を曲がって、明るい通りの方へ逃れた後である。レイフィールの有効操作範囲はまだまだあるので、十分に逃げ切れ――

わっ

 快調だったのに、途中で俺はもんどりうって倒れた。
 胸に刺すような傷みが走り、押さえた口元から鮮血が滴ってくる。周囲で通行人がざわついたが、それどころじゃない。

どうしたのよ!

 律儀に一緒に立ち止まったリーシャが、慌てて俺の背中を撫でてくれた。
 案外、いい子らしい。

……呼び出したレイフィールが倒されたことによる、カウンターショックだよ

 俺はざらついた声で答えた。

あの時任ってヤツ、もうレイフィールを倒しちゃったらしい

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