ぴちょん――と、洞窟の天井から伸びた岩石の先から水滴が落ちる。その音が静かな空洞に反響する。洞窟内は薄暗くひんやりとしており、鉄分を色濃く含んだ強烈な異臭が漂っていた。

――ですから、コアを破壊しない限り、ボスは倒せません


 ひそひそと声が響く。
 洞窟内の湿度ほぼ百%となっており、肌に水滴がまとわりつき、汗と混ざる。足元には他人による血の水溜まりができていた。その全てが不快であり恐怖であり、否応なくはりつめた緊張感を与える。

 佐上一晴は、その中でひたすら作戦をつらつらと説明する。今更不快、恐怖などと言っていられない。そんな余裕はなかった。

 辺りは薄暗く、光源は洞窟最奥のたいまつしかない。アイテムによって明かりをともすことも可能だが、それをするとボスに見つかってしまう。

――つまり、単純に言えば、ボスをひっくり返し、コアを直接たたくということです


 一晴の説明が終わる。それを円になって聞いていた三人は、それぞれ表情を作る。

それしか、ないようだな


 一人の重厚そうなアーマーを着こんだ中年が声を発した。体は鍛えられており、巨漢だ。武器はバトルアックスであり、しゃがんでいる横に置かれている。どっしりと構えており、落ち着いた、頼れる空気を醸し出している。一方で左肩からはおびただしい量の血液が流れ落ちている。ここに到達する間にモンスターにやられたのだ。

 その隣の黒い鎧を着用し、身長よりも長く幅が広い大剣を地面に刺し止めている短髪の青年が言う。目は細く、いかにも短気そうな雰囲気だった。

おい、マジかよ。こんな若い――高校生の考えた作戦なんかでいいのか? もっとあんだろ? おい


 そう言うも、皆は沈黙し顔を伏せるばかりだ。一晴以上の作戦を思いつく人物はいないのだ。やがて、弓を持つ長髪の若い女性が肩を震わせ始める。一晴が作戦を説明している時もずっと俯いており、話をきちんと聞いているのか一晴は不安だった。

も、もう……無理よ。死ぬんだわ。私たち。だめよ……勝てっこない、あんな化け物……!


 彼女の上げられた顔はひどく白く、目は虚ろだった。

私は、ここに来るまで――東京でOLしてたのよ!? こんな、戦いなんて、できっこないじゃない!


 皆が黙る中、一晴が苦しげな視線を向ける。

だけど、今ここにいるということは『第二人類試練セカンドダンジョンをクリアした者には望むままの報酬を与える』っていう条件に釣られて来たってことですよね?

はあ!? だからって、こんなの予想してな――

静かにしてください。ボスに見つかります。別にあなたは強制されたわけじゃない。それなのに望んでダンジョンに来たんだ。責めるなら自分を責めるべきでしょう。……あなたはダンジョンを舐めていたんだ

そんな言い方ねえだろ、くそガキ


 大剣の青年が一晴を睨み付ける。負けじと一晴も食い付く。

……生き残りたいんです。こういう状況の時こそ、冷静に判断すべきなんです。誰も死にたくない、そんなことは分かってるんです。作戦通りにやれば必ず生き残れます

黙れ


 一晴は分かり合えないと思い、諦め、仕方なしに口をつぐんだ。

 バトルアックスの巨漢が言う。

どっちにしろ、もう彼の作戦をやるしかない。ここで黙って隠れていてもいずれボスに見つかり、他の七百人と同様に殺されるだけだ

いやよ! ダンジョンから脱出しましょう!

無理だ。ここに来るまで四日かかった。帰りに四日歩く間に、今の俺らの体力じゃ死ぬ。そもそもボスに追いつかれて殺される

どこかに隠れて救助を待てば……!

ここは洞窟ロード型ダンジョン。一本道だ。隠れる場所なんて、今みたいな岩陰くらいしかない。いずれ見つかる。……そもそも助けなんか来るわけがないだろ


 女性は顔を両手で覆い、泣き崩れる。彼女も分かっているのだ。生きて帰るには、ボスを倒し、召喚によって入口に戻してもらうしかない。

グルッ……グルルゥ……。

 突如、近くで動物の低く唸る音が響く。ボス――水竜だ。皆が声を潜める中――、

ひいぃっ!!


 女性が声を上げた。
 彼女の声が洞窟内に木霊する。皆が目を見開く。

………………


 しばらくの沈黙があった後、

 ギギュルゥガアアアァァァァァァッ!

 叫び声により鼓膜がびんびんと痛む中、一晴は叫ぶ。

皆さん、それでは作戦通りに!


 皆の反応を確認する前に一晴は岩陰から飛び出した。作戦開始だ。

 ギュルルゥ……。

あ……がっ……


 岩陰から飛び出した一晴は言葉を失い、目を見張る。目の前には洞窟の直径ほどの大きさがある巨大な水竜が、息を荒げて彼の目の前にいたのだ。圧倒的な動物としての差を感じる。自分が食い殺されるイメージがリアルに脳内を支配した。恐怖により筋肉が硬直し骨を締める。

 水竜の呼吸が、一晴の髪を暴れまわさせる。

 第二人類試練セカンドダンジョンのボス――水竜。

 水竜は重厚な白と青の鱗で全身が覆われており、背びれは長く尖っていた。竜というよりはトカゲに近く、ひれのついた前足からは大量に水を噴出させていた。水は最奥へと流れていく。体内に入れば即死するであろう猛毒だ。

 ググゥ……ガアアアァァァァッ!

 しばらく見合っていたが、やがて大きく切り開かれた口が一晴を襲う。一晴は硬直させていた体をかろうじて捻り、そのまま横に転がりすんでのところでかわす。すぐに起き上がり、振り向く間もなく走った。

 心臓がこれでもかと体を打つ。

 大丈夫、大丈夫だ――。作戦はうまくいく。穴はない。完璧な作戦だ。

うりゃあっ!


 巨漢が水竜の後ろから、後ろ足の踵にあたる部分にバトルアックスを突き立てる。

 水竜は苦しみ、首を激しく動かし暴れる。

 よし、効いている――。ボスと言えども、基本の型は動物に似ている。四足歩行ではあるが、一つの足の腱を切断すれば動きは鈍るはずだ。

はあぁぁぁ――


 岩陰から飛び出してきた大剣を持つ男が、下に構える。すると剣が金色の光を発しはじめた。剣の輝きと共鳴するように、彼の首筋の紋章も輝く。探索者特有のスキルだ。

 水竜も彼に気付く。溜め技の危険を察知したのか、その攻撃直線状から逃れようもするも、腱が断ち切られた影響で動きが鈍い。

――オラアアァァッ!


 溜めが完了すると、大剣が二回りほど巨大化していた。その成長した大剣が下から上に振り上げられる。

 水竜に直撃。しかし、体に傷はつかない。大剣の面で水竜を持ち上げるようにしたからだ。これは直接的な攻撃ではない。

 水竜はそのまま持ち上げられ、ひっくり返された。同時に苦しむ唸り声が響く。

 コアは水竜の腹側にある。

 ――いける。

今だ!


 一晴が叫ぶのと、十本の矢が放たれるのが同時だった。矢は水竜の肉厚な腹を円上に切り取りコアを露出させる。――はずだったが。

だめ! だめよ! 手が震えて……! うまく……


 力なく統率の無い矢が水竜の腹に刺さる。スキルの発動が失敗している。恐怖に負けて集中力が乱れたからだろう。

ちっ! しかたねえ! 作戦続けるぞ!


 大剣の青年が言う。

 逃げろ、もう作戦はやめだ、失敗だ――そう、一晴が声を発しようとするも、巨漢は既に空中におり、バトルアックスを水竜の腹めがけて振り上げていた。

 無理だ。バトルアックスは確かに強力だが、それは対象に直接攻撃ができるときだけだ。肉に向かってなら大剣の方がまだよく切れる。

はああああぁぁッ!


 一晴の考えが声として発せられる隙もなく、バトルアックスは振り下ろされ、ズブンという鈍い音が響いた。続いて、水竜の咆哮。

 しかし、それは肉を割いただけに留まる。

くそっ、やっぱりだめか!


 巨漢が舌打ちをして、もう一撃入れようとバトルアックスを振り上げる。

 確かに何回かバトルアックスで切りこめば、コアまで到達できるかもしれない。

そのままお願いします!

おう!


 彼は怪我をしている左腕も添え、バトルアックスを振り下ろす。――しかし、さっきよりも水竜への傷は浅い。

ッヅぅ――!


 彼の左腕がだらんと垂れる。今の攻撃により、完全に左腕としての機能を停止させてしまったらしい。

 このまま右腕だけでやるなら、あと五回ほど攻撃が必要になる、その時間は――そう一晴が計算していると、大声が響き渡る。

おい、あぶねえ! 逃げろ!


 大剣の青年が目を丸くして叫んでいた。

 水竜が体勢を立て直そうとしていた。このままでは巨漢は水竜の下敷きになってしまう。

なんでだ! 腱は断ち切ったはず……まだ起き上がれるはずが――


 巨漢は走りながら困惑の色を浮かべる。

急げ! もっと走ってください!


 水竜が半分以上起き上がったのを見て、一晴も声を荒げる。

予想していたよりも回復速度が速い、のか――、こんなの、もう勝てるわけ――

早く来い!


 ――ズシィィン、と洞窟が震える。水竜が起き上がったのだ。

あ……あぁ……ああぁぁぁ……!


 青年は呼吸を荒げ、絶望の色を濃くしていた。

きゃああぁぁぁぁぁっ!


 女性が弓を取り落し叫ぶ。

 巨漢は水竜の下敷きになった。すぐに死亡を意味する白い光が彼のいた場所から上がり、天に昇っていった。

 なんで。

 どうしてだ。

 俺の作戦はベストだっただろう。

くっ……っそぉぉ!


 一晴は一瞬我を忘れるが、すぐに頭を冷やす。今は感情に任せて行動している場合じゃない。また新たに作戦を考えよう。となると――一旦水竜がから逃れなくてはいけない。説明する場を設けなくては。

うおおおぉぉぉっ!


 しかし、冷静になろうとしているのは彼だけだった。青年は再び大剣を構え、女性は弓をただただ発射する。

やめろ!


 叫ぶが、二人の耳には届かない。

 ほぼノーダメージの弓に水竜が気付き、女性を見据え、吠える。

ひぃ……!


 女性はその場で尻餅をつく。このままでは殺される――。

くらえ――ッ!


 大剣の男が溜めを終え、剣を薙ごうとした瞬間、

 擦過音と強烈な風が一晴を襲った。

 その中で、確かに彼は見た。

 巨大な尾が振られ、その直撃を受けた二人が壁に打ち付けられ、白い光りへと変わるのを――。

 その場で倒れることで尾をかわした一晴は、しばらく寝転がった後、かろうじて起き上がった。

し、んだ……。俺の作戦で、皆……死んだ……


 自然と、呼吸が乱れる。これが嗚咽なのか、もう判断はできない。目から水分がただただ流れ落ちる。

 一人に、なった。

 もう、作戦も何もあったものじゃない。

 震える足腰でなんとか直立姿勢を保つ。

一人――俺は、たった一人……


 水竜と対峙するも、勝つ方法が何も見えなかった。自分も探索者であり、首に紋章さえあったら――それだったらまだ可能性は見えた。しかし、彼は一般人だ。手に武器はない。身体能力の多少アップしたこの体だけで、どう太刀打ちできるというのか。

 ただあるのは、後悔だけだった。
 もっと別の作戦があったんじゃないか。様々な可能性について想像するべきだったんじゃないか。精神状態をもっと考慮すればよかったんじゃないか。

 どうして俺はこんなことになっているんだろう……。

 キイィ、ギュルルルル……、グオオオオォォォッ!

 水竜が真っ赤な目で一晴を見据え、吠える。

 殺される――。

 彼は覚悟をして目を閉じた。


【第二人類試練セカンドダンジョン、攻略報告書】
 2032年4月7日
 人類試練ダンジョン防衛省 試練政策局 攻略情報課 御中
 静岡県庁 第二人類試練セカンドダンジョン対策課

 静岡県静岡市に2020年より出現し、未知の毒素を放出して太平洋の海中生物の3分の1を死に至らしめていたとされる第二人類試練セカンドダンジョン(洞窟型・地上から海底)は、大規模攻略作戦により攻略されたことをここに報告する。

 攻略日 2032年3月20日
 総投入者数・・・・・・7503人
 総戦死者数・・・・・・7502人
 本作戦投入者数・・・・742人
 本作戦死者数・・・・・741人
 攻略者数・・・・・・・2人
 攻略者 佐上一晴、芳匠千琉華

 投入者数、死者数、攻略者数の間に矛盾があるかのように思える。しかし、これが記録に残る事実である。佐上一晴は投入者名簿に載っていたが、芳匠千琉華は載っていなかった。知ってのとおり、我々は第二人類試練セカンドダンジョンの幻想化半径外を壁で囲み関所としている。内部に入るにはここで登録しないと不可能である。 数字に矛盾が見られるのは登録ミスや名簿の管理ミスであると考えるのが普通だろう。
 しかし、違う可能性についても検討いただきたい。
 驚くべきことに佐上一晴は探索者ではなく、武器戦闘能力を持っていない。

 どうやってダンジョンボスを倒したのか?

 特別な手段を用いたと予想されるが、彼は攻略に関する核心部分を黙秘しているので詳細は不明である。報酬について、本人は

「自分が第二人類試練セカンドダンジョン攻略者であることの絶対的隠蔽」を望んでいる。ランクⅩのダンジョンが攻略されたのは史上初であり、いわば彼は英雄である。
 それなのになぜ詳細を黙秘し、自分が攻略者であることを隠すのか?

 ――彼は、知ってしまったのではないか。

 どうしてダンジョンが出現するのか。

 どうして幻想化が起きるのか。

 どうして探索者が現れたのか。

 知るには高セキュリティコードが必要な、機密事項を――。
 ともかく、人類初のランクⅩのダンジョン攻略者の誕生は、未来への明るい希望となるだろう。

プロローグ、第二人類試練

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