そして、十五分後。

詰み。かなるの負けー!

……嘘、でしょ……

 圧倒的な負けであった。まるでプロと素人の局みたいだ。僕の駒はほとんど序盤で削られ、後は弄ばれるように詰められてしまった。
 重ねて言うが、僕はその辺の人より将棋は強い。少なくとも、ルールを覚えながらやっている超初心者よりかは、絶対に。
 ――これが、地頭の差なのか?

楽勝だったよー! かなる弱いんだね!

うっ……

 情けない。こんなことが起きるだなんて。

どう? これでシロリが探偵だって信じてくれた?

……うん

 僕は力無く頷く。これじゃあ、認めるしかない。この、どう見ても子供にしか見えない彼女は、僕よりはるかに頭が良い――探偵だ。
 シロリは満足そうに笑い、あくびをした。

ふわぁ~……。お話はこれくらいで終わりね。疲れたし、お昼寝したい。とりあえず、シロリは助手とかいらないから、帰っていいよ

 ……ん?

学長に『今度から用事がある時はシロリを呼び出すんじゃなくて学長が来て。シロリは絶対外出ないから、カツアゲ怖い』って言ってお――

ちょちょちょ、ちょっと! ちょっと待って!

ん、どしたのお~? もう眠いよぉ

 シロリはさも不思議そうに僕の顔を覗き込む。

いやいやいや! みんな大切なことさらっと言い過ぎじゃない!? 何、流行ってるの!? どういうこと、助手がいらないって

 彼女はソファの上に寝転び、アルパカのぬいぐるみに顔を乗せて瞼を半分落とす。

んん、今はまだ探偵だけど、すぐにやめるつもりだからだよー。あ、冷蔵庫の中から練乳取って

あ、うん

 僕は大きな冷蔵庫を開け、最後であろう練乳を取り、彼女に渡す。

中のふた取って

オッケー

 練乳のふたを捻って開け、新品の印である口の封を剥がして渡す。

ありがとねー

 何も練乳をかけるようなものはない。どうするのだろうと見ていると、彼女は唇をぺろりと舐め、先端にそっと口をつけて――

んちゅ、んちゅ……

 飲み始めた。
 飲み……始めた……。
 舐めるではなく、喉をうならせてゴクゴクと飲んでいるのだ。

甘いだろ! それ絶対甘いだろ! 想像するだけで喉が焼けるように甘い!

 そう言うと、彼女は練乳の先端から口を外し、目を細めて僕を見る。

練乳は飲み物だよ? 寝る前の一杯は最高だね

えええぇぇ……

 もしかして、いや、もしかしなくても、この部屋に散らかっている練乳のチューブは、こうやって消費されたものなのだろう。サヴァンには食の偏りがあることが多いらしいが、これはあまりにも偏り過ぎじゃないか……。
 食生活どうなってるんだろう。心配だな。今度から僕が何か作って上げようか。

……ってちがあああぁぁぁう! 食生活どうでもいい!

わわぁ、びっくりした。どしたの?

違うよ! こうじゃないよ! 練乳の話はどっちでもいいの! もう、ほんと、話が進まない! ……なんで探偵やめちゃうの?

 僕が問うと、彼女はうつ伏せから仰向けの姿勢になり、そのまま練乳を吸う。そして、段々と瞼が重くなって行き、

知らないの? まあ知らないなら、それでいいけど……シロリにもいろいろあってね、まあ、とにかく助手はいらないから……あ、出来たら帰る前にお部屋の掃除と洗濯をしてくれるとありがた……にゃむにゃむ……

 ぽとり、と口から練乳のチューブが落ち、彼女は静かに寝息をたてはじめた。
 自由すぎる……。
 時間も遅くなってきたし、埒もあかないので、とりあえず学長に電話してみることにした。僕は携帯を取り出し、連絡帳から『桃園サクラ学長』を選択する。
 数コール後、学長が電話に出た。
『もしもし、哉木さんですか? どうしました?』

あ、学長。今ちょっと時間大丈夫ですか?

 学長は、探偵学校の仕事だけではなく、現在探偵として活躍している人物の一部の管理も任されている。多忙だと聞く。
『ええ、今丁度仕事が終わったところですから』
 よかった。ちゃんと出てくれた。これで電話に出なかったら、完全に騙されたってことになっちゃうし。探偵業務を行わない探偵だなんて、きっと学長も知らなかったに違いない。相談したらきっと何とかしてくれるはずだ。

実はですね、シロリには会えたんですが、なんか探偵をやめ――

あっ

……?

 学長が何かに気付いたような声を上げた。

先に言っておきますが、シロリさんに関する質問は一切受け付けておりません

ん?

応援してますよ! ファイト、哉木さん! それではちょっと今忙しいので!

あれ、今丁度仕事が終わったところって、ちょ、まっ! ……学長! ちょっと! この隠れ毒舌! ロリータファッション! 可愛い!

 切られてしまった電話に向けて叫ぶが、返ってくるのは

ツー、ツー

という虚しい機械音だけだった。

………………で

 えっと。つまり、これは結局、僕が騙されたってことなのか? 学長は、シロリが探偵を近々やめると知っていて僕を助手にあてがった。僕じゃ探偵になれないから、諦めざるをえない状況に追い込んだ、と……。
 待て待て。落ち着け。じゃあ僕が探偵になるには――
 なんとかシロリを焚き付け、やる気にさせるしかない。そういうことだろう。

むにゃむにゃ

 シロリの無垢な寝顔を見て、困った笑顔を浮かべてしまう。

また明日来るか……

 僕は、悪いとは思ったが部屋を歩き回り、寝室を探し当て、彼女をベッドに寝かせてから部屋を後に――する前に、大量の洗濯物を発見したのでそれを選別してから洗濯機に突っ込み、洗っている間に部屋の掃除をし、だだっ広いベランダに洗濯物を干してから帰宅した。

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