The pain of parting is nothing to the joy of meeting again.
-Charles Dickens-

忘れてしまっても、また思い出せる。
いつまでも憶えている。

Episode Ⅳ

翡翠海岸、

寄せて返す波が石を転がし、風にのって沖の方から海鳥の声が届いていた。


ー あれはどんな鳥の声か?

空には湿気を孕んだおおきな雲が浮かんでいて、強い影の切れ間から、目に痛いほどまっしろな日差しが差す。眩んだ視界の端々にたくさんの生き物の気配がうごめく。


ーあれはなんだろう。

—蟹か、船虫か、干乾びた海藻か?

姿の見えない光と影のぶつかり合う風景の先に、ぽつり、見慣れぬ先客がいた。

…ふーん、竜の子かァ?

その先客はまっすぐフィールドワーカーの方に向かって歩いてきた。

・・・!!!

フィールドワーカーは頭をフル回転させていた。

ーあれは、なんだ?

随分と細身だが、ヒョロリとした手足の先に生えた大きな鉤爪のカーヴがはっきり見て取れた。

青藍色の肌は明らかに人間ではない。

細かな鱗に覆われた脚がしなやかに動き、歩きにくい砂利浜もすいすいと進んで来る。石を踏み鳴らす足は、大きく、朱い。あれは鳥の脚だ。確かに羽毛がそよぐのも見えた。

ニッと左右に引き上げられた口角は、耳の近くまで裂けている。口はクチバシのようになっていて、ドック・タンの凶悪な歯に引けをとらない、真っ黒い鋭角の牙がギラリと並んで…ハッと気づけば、その顔はフィールドワーカーの顔の間近に迫っていた。

いつの間にかフィールドワーカーと数歩も距離のないところに、見知らぬ”生き物”が立っていた。

ありゃ〜?
もしかして、オイラの言葉が通じてないかィ?

・・・・・ぁ・・

フィールドワーカーはびっくりし過ぎてすぐに声が出なかった。

言葉も通じないくらい遠くまで来ちゃったのかね、参ったなァ…

驚いて固まった顔は相当マヌケに見えただろうが、幸い、相手はこれっぽっちも気にせず話を続ける。

どうしたもんかねェ〜
でもオイラ、怪しいもんじゃないんだ、
あいや、でもオイラたちは妖怪って呼ばれてるし、妖怪ってのはそもそも怪しいヤツのことを云うんだなァ!キャッハッハ!

ひとりでズケズケと話を進めていくこの青年は、自身を「妖怪」だと言った。

妖怪はその字のごとく、妖しく、怪しい、そういう掴みどころのない存在を総称する。
目の前の彼は確かにある意味で掴みどころがないのだが、フィールドワーカーの知る「妖怪」とは全く違う印象だった。つまりとてもフレンドリーで、全くこわいと思えなかった。

おかげでもう落ち着いた。

フィールドワーカーの好奇心がざわめき出した。

妖怪?

な〜んだ、言葉は通じてるじゃないの!!

そうさ、オイラは妖怪。以津真天(イツマデン)の真駄々(マダダ)ってェのよ。見ての通り、怪鳥の姿をしてるが、人を食う事はないからよォ。

真駄々は握手を求めてフィールドワーカーにその大きな鉤爪の手を差し出した。

手のひらの鱗は思っていたよりも柔らかくて、爪の切先はなめらかに鑢られていた。

ひょいっと目星をつけてここまで飛んできたんだけど、もしかしてここいらに人間は住んでないのかねェ…?
アンタはここの子?名前はなんてぇの?
もしかして坊やも妖怪かィ?

クチバシをつぐむ様子はまったくない。真駄々がとてもお喋りな妖怪だ、という事はよくわかった。

しかしお喋りに関しては、フィールドワーカーも全く負けていなかった。好奇心は口をついて次々と質問になって溢れてくる。

ボクはフィールドワーカー。
この庭は全部ボクの土地さ。でも、追い出しはしないよ、君が悪人じゃないならね…!

君は、どこから来たの?遠くから?どうやって?何をしに?何の目星をつけてるって?
妖怪って、イツマデンって、なあに??

へへへ、と頭を掻く彼は、ちょっぴり照れるような、困ったような眉になった。

はあ〜、説明するのは難しいんだけどよォ…
悪い事をしに来たんじゃないんだ。オイラ、探しものをしてるんだよ。

濃く濡れた石が天日をうけてキラキラとちいさな存在を主張し、透明な海がぶつかると音が歓声のように聞こえた。水中の石たちは活き返ったように透明な彩りを見せつけてきて、乾いた灰色の石が水しぶきを待ち焦がれているようだった。

何か失くしたの?ここで?

うう〜〜ん…それが…

失くし物ってワケじゃねェのさ。
それに、オイラの持ち物でもない。

…だから何を探してるのかはっきり分からないんだなァ。それでも、そりゃあとても大切な物で、オイラが探して持って帰らなきゃいけない。

それがオイラの仕事なんだ。

それが、真駄々の仕事。

フィールドワーカーには聞き馴染のある台詞だった。

以津真天、ってェのはそういう妖怪さ。

フィールドワーカーは真駄々に協力すると決めた。

…ボクも手伝うよ。君よりこの辺りの事は詳しいし、力になれる。

本当かィ!?
坊や、ありがとなァ…正直ちょっと困ってたンだ、なんせこの海岸たら見渡すかぎり石だらけで!

ボクも海岸の調査をしにきたところだったから、気にしないで。一緒に探すほうがお互いはかどるよ!

遠くからこの海岸を目指してきたってことは、海で失くしたそれが、きっとここに流れ着いたんだろうって目星をつけたんだよね?

まァ…そんなところだァ。

妙に歯切れの悪い答え方をした真駄々だが、細かいことはどうでもいい、と、早速手分けをして翡翠海岸を探そうという事になった。

それで、どんなものか特徴はわかる?

”白い翡翠”だ。

オイラみたいな哀しい妖怪を呼んだ”遺品”を、はやく探してやらなきゃァな!!

忘れてしまっても、また思い出せる。
いつまでも憶えている。

pagetop