理由はあったけれど、やっぱり意味なんてなかったのかもしれない。
 内心を吐露したのならば、いつだって間違っている僕が解決手段そのものを違えているのだろうことくらい、説明されなくてもわかっていた。何しろ僕自身の手で大勢の人間の末路を決定してしまったのだ。革命家の末路がほぼ決定しているよう、僕もまたその責任の追及を余技なくされることはわかっていたし、それは受け入れるつもりでいたけれど、やっぱりそれはつもりであって、現実ではなかったのだろう。

雨天紅音

――赦せなかった

 なるほど、理由としては馴染んでいる。死人のような生者がただ続いていく明日を受け入れ、困難もないぬるま湯の中、茫洋としたままでいることに僕は耐えられなかった。その原因、いや一因が僕にあるとなれば、まずは自分を殺してやりたくもなる。しかし、そう、しかしだ。
 それは、ひどく感情的な理由だ。
 悪いとは思わない。現に、結果はこうして出てしまった。けれどそんな強い感情が僕の中に生まれていた、なんてことに気付けば疑問に首を傾げたくもなるし、あれこれ理屈をつけて納得できる材料を探したくもなる。であれば――行動に付随するあれこれなど、ただ僕が抱いたその感情を正当化するためだけに、後付けされたものではないかと、そんなことに気付けば、落胆もしたくなろう。
 本当に、僕という人間の存在は、どうなっているのだ。

 さて――周囲は、ただただ白かった。

 ごろりと寝転がった姿勢のまま、そこに上下左右の感覚があるのかないのかもわからない状態で、それでも僕は白色を自覚し、己の姿勢を自覚し、さてなんだろうと思いながらも欠伸を噛み殺すような余裕を持っている。
 どこか己という存在に実感が持てず、実像が結ばないような感覚から、なんだろう、おそらくは夢の類のものだと思えたけれど、しかし、これが現実であったところできっと対応は変わらない。こうやって思考することで自己を確認するのは、どこだって同じだ。
 その世界に、黒色が混じった。
 半紙に墨汁を垂らしたかのように、四隅から滲むように白と埋め尽くす黒が発生した瞬間、なるほど僕は中央付近にいてこの白色は大きかったから把握できなかったけれど、ちゃんと四角形をしていたんだと頷く。

 ――本来、人はこうした場合に不安を抱くだろう。

 白は安全領域、黒は危険領域。いや、これが逆であっても、大きいものに対して小さいものが凌駕しようと迫る状況は危機感を煽るもので、それは自然災害などでも顕著だろう。あるいはそれを洪水における領域侵犯を想像させられるから、そんな理由もあるかもしれない。
 だが、壊れながらにして狂っている僕は、それを危険な現象だと理解していながらも、転がったまま見ているだけだった。

 どうでもいい。

 どちらでもいい。

 主体性がないようで、それこそが何よりの主体であることを自覚した僕を、彼女は間違っていると言った。あちらこちらにふらふらと移動するのではなく、中心に立ったまま右も左も選択せず、そもそも選択しないという選択を得るのを常としているというか、かといって諦めるのでもない僕は――やはり、間違っている。
 ぴたり、と黒の浸食が停止した。
 それは僕の輪郭を残す位置であり、それ以上は来ない。つまるところ、僕は助かったわけだ。

 助かった。

 それでも安堵はない。こういう夢はもう何度も見てきたし、黒の浸食度でいえば過去最高だろう。それでも、黒は僕に届かなかった。
それは。
 それはつまり。

アイギス

――なんだお前、また目的を達成できず失敗したんじゃねえかよ

 苦笑つきの言葉が飛来した直後、景色が一辺した。僕は椅子に座っており、彼女はソファに腰を下ろして脚を組みながら煙草を手にしている。
 ログハウスだろうか――過去の記憶にあるのは、ロシアの山間部に存在している、彼女の所持していたセーフハウスの一つ。いわゆる別荘だ。
 彼女は。
 アイギス・リュイシカは。
 もう死んでしまった僕の友人は、くつくつと肩を揺らして笑っている。それを見た僕は得心がいって、肩の力を抜きながらいつものよう、表情を作らずにただ睨んだ。

雨天紅音

失敗したのは、アイギスが邪魔したからだろう?

 今の僕は、きちんと前後関係を繋げられている。二発の弾丸が躰を抜けた感覚はまだあるし、最後にどうにかレッドを破壊することで僕の手段そのものを隠蔽――そして、先ほどの部屋だ。ここが死後の世界だろうが何だろうが、今の僕はまだ死んでいない。その証左は思考で行えている。
 もっとも、どうして彼女がここに居るのか、そこに関しては疑問だけれど、それを解決するための仮説は、それこそいくらでもある。たとえば、僕の記憶が都合よく作りだした夢――とかね。

アイギス

なんだよ、一丁前に恨むってか?

 僕の八つ当たりじみた言葉を受け取った彼女は、聞き流すこともせずそんなことを口にする。だから僕は、身体の感覚を確認するために、ゆっくりと首を横に振った。

雨天紅音

まさか。僕がまだ甘かったってことだろうし、こんな結果もまあいいんじゃないかな。それがどうであれ、出た結果に対して後悔するほど僕は人間ができちゃいないし、完璧主義でもない

アイギス

そうか? お前はどっちかってと、完璧主義にもなれるって感じだろ。主体性がねえ癖に、だからこそどんな主体にもなれるってな

雨天紅音

……で? まさか、アイギスはこんな結果を見越して手を打ってたわけじゃないんだろ?

アイギス

馬鹿野郎、あたしを誰かと一緒にすんな。お前にゃさんざん手を焼かされたからな、嫌がらせの一つくれえしとくのがあたしの流儀だ。ざまあみろ

雨天紅音

それでアイギスの気が晴れたなら、べつにいいんだけどね

アイギス

いや悔しがれよお前は

雨天紅音

そんな機能はついてないね

アイギス

機械の方がよっぽどマシだぜ……

 やれやれといった具合に空を仰ぐ。いやに明瞭な夢だが、たぶんこれは夢なのだけれど、夢ではない。

雨天紅音

どういう仕掛けかな?

アイギス

ん? あー、あたしの術式に関しては触り程度だったな。相手の心象に対して干渉すんのは、別の理由で得意なんだよ。こいつはあたしの特性とは別ものでな

 そんなことを言われても理解できない。できないが、僕と彼女の繋がりといえば、あれしかない。

雨天紅音

ってことは、あの形見か……

アイギス

ははっ、まさかお前がまだ持ってるとは思ってもなかったけどな。こうしてるあたしだって、いわばアイギスって女の残滓みてえなもんだ。いわゆる仕掛けをしたあたし自身を、お前の中で組み立ててるって感じで、そこにゃもちろんお前の心象そのものが必要になる

雨天紅音

つまり、僕がアイギスに逢いたいと思わなければ出てこないって?

アイギス

お前がんなこと思うはずがねえだろ……

雨天紅音

そうでもないよ

 そんなことは、ない。思うくらい無料だ、考えるくらい――表に出さなければ、悟られることもない。ぐだぐだと過去に引きずられるのを自覚して、それでも僕は。

アイギス

あっそ。トリガーにしてんのは、お前の失敗と放棄癖の辺りだな。まあ安心しろ、二度はねえよ。一度きりの使い切り、ちなみにこいつはあたしのツール全部に仕込んである。ま、お前が一緒にしようとした、あの女にゃバレてたみてえだけどな

雨天紅音

あの人なら、無条件で頷けるよ。一度しか直接逢ったことはないけれどね

アイギス

にしたって頭の痛い話だ。そこまでしたお前は、目的のために命を賭けてえのかよ

 それは、当然だ。なにしろ他人の命を奪う方法で目的を遂げようとしているのだから、己の命を賭すのは当たり前――などと、そんな常識をここで口にしてもつまらない。
 大前提だ。
 それでもなお、生き残ろうとするのが、人なのだから。

雨天紅音

どうなんだろう、わからないよ

アイギス

わからねえけど、死んでもいいってか

雨天紅音

まあ一つの手段だからね。もちろん僕だって、死にたいとは思ってなかったし、けれどそれが必要だとも考えていた。それに、僕が死ぬことで目的も達成できるから

 だって――この世界には、もう、いないのだ。

アイギス

そりゃ本末転倒ってやつだろ? 目的を抱いたお前がいなくなりゃ、お前の目的そのものが消失するってやつじゃねえか

雨天紅音

そうだけどね

アイギス

つっても、お前が何をしようとしてこうなっちまったのか、あたしにゃわからねえけどな。何しろ、あたしはただの残滓であって、別にお前の記憶に干渉してるわけじゃねえし

雨天紅音

ふうん……よくわからないけれど、相変わらず不便だね。できることしかできない

アイギス

当たり前のことだろ。つーかなに、あたし死んでんの? 形見とか言っただろ

雨天紅音

うん、あっさりくたばったよ

アイギス

マジかよ……うわ、なんか恥ずかしくなってきた。おいそれ以上なにも言うなよ

雨天紅音

言わないよ。アイギスがどうして死んだかなんて、聴きもしなかったから。ただくたばったって情報を得ただけ

アイギス

お前ね……それはそれで、もうちっと反応があるだろ

雨天紅音

え? 誰だって死ぬじゃないか。それがアイギスだったからって、僕は別にどうとも思わなかったから。特に興味もなかったしね

 僕は死人に興味など持たないから。持つのは、生きていた頃の誰かだ。そして、今までにそんな相手は一人しかいない。

アイギス

かーっ、相変わらず徹底してやがるぜ

 自分の髪を掻き乱した彼女は、本当にしょうがねえ、などと言いながら僕を睨んだ。いや睨まれる理由なんてさっぱり心当たりがないんだけれども。

アイギス

――いつか、言ったな。あたしが、他人から与えられたものと、てめえで見つけた目的とじゃ、違うだろって

雨天紅音

同じだよと、僕は答えたね

アイギス

同じだったか?

雨天紅音

……そう、だね。まあ忸怩たる思いってやつを噛みしめてるよ

アイギス

実際に、あたしら軍人は上からの命令で動く。傭兵だった頃もそうだったけどな、それでも現場じゃ独自の判断だ、成果を上げるためにゃ――生き残るためにゃ、そうするしかねえ。けどな、そりゃあくまでも与えられた条件での目的であって、てめえが考えて達成しようと意気込む目的とは別物だ。ゼロスタート……ってわけじゃねえけどな、誰かが口にしてたアメを奪うほど容易いもんじゃねえよ

雨天紅音

そうだね――失敗を、あるいは成功を想定していたとはいえ、僕はきっとこの結果を、ああ……予想はしていたけれど、この現実を受け止めるには、素直に認めるわけには、いかないくらいの拘泥は持っているようだ

アイギス

だったら、これからどうするんだ? どうせお前のことだ、その目的ってやつは継続的に持ち続けるもんじゃなく、成功失敗に関わらずチャンスはたった一度きり、そういう危うい均衡を孕んでるやつだろ

雨天紅音

アイギスは僕のことをよく知ってるなあ

アイギス

その他人事なの、どうにもなんねえなお前は……

雨天紅音

いやあ

アイギス

褒めてねえし

雨天紅音

わかってるさ。今の僕はまだ、ここから先が想像できていない

アイギス

ふうん? 自覚してんのか

雨天紅音

だから落ち込んではいるんだよ。わかっていたけれどね……そうであっても、落ち込むものは落ち込むよ

アイギス

失敗したから、じゃねえだろ?

雨天紅音

さすが。――その通り、成否にかかわらず結果に対しての感情はない。ただ僕はこのために生きてきたようなものだからね、そして死ぬつもりだったのに、こうしてまだ生きている。けれどアイギスの条件付けもあるし、僕は僕自身が僕の手によって僕を殺すことを赦していない

アイギス

……こっから先、どうやって生きるかってか?

雨天紅音

魂が抜け落ちたかのような抜け殻になるのは御免被りたいところだし、アイギスはそんな僕を見て笑うだろう?

アイギス

わかってんじゃねえか

雨天紅音

それはそれで癪だからね。だからといって僕は――何もせずに流れるだけの人形にはなりたくない

アイギス

我儘だな

雨天紅音

おーい、なんだいそれは。僕は最初から徹頭徹尾、我儘であることを貫いていたはずだけれど?

アイギス

自慢すんな

雨天紅音

してないよ。こんなこと自慢にもならない、――当たり前のことじゃないか

アイギス

それで他人を巻き込んで引っ掻き回すじゃねえかお前の場合……

雨天紅音

あれ、僕でもアイギスを巻き込んで引っ掻き回した覚えないよ?

アイギス

ああ、ああああ、そうだろうぜクソッタレ。あたしが勝手に引き込まれて振り回されてただけでな

雨天紅音

そうなんだ

アイギス

そうなんだよ……ったく、ずっとお前の面倒を見るつもりなんぞなかったけど、そうか、つーことはココで終いか

雨天紅音

残念だよ

アイギス

心にもねえこと言ってんな

雨天紅音

そうでもないよ。ここにきて僕は、よくアイギスの言葉を思い出す

アイギス

なんだ、戦場にでもばったり遭遇しちまったか?

雨天紅音

いいや、間違ってはいないけれど、正しくは僕が戦場にしてやった、だ

アイギス

へえ、やるじゃねえか。――で、やっぱり途中でどうでもよくなったんだろ

 当たりだと、僕は両手を上げて降参のポーズをとる。

雨天紅音

こればかりはね

アイギス

しょうがねえってか? なんつーか、お前の好奇心も原因の一つだよな。結構惚れっぽいだろ、お前

雨天紅音

ああ、……そう言われれば、そうだね

 惚れっぽいというか、何事にも興味を持ってしまう。結局それは僕が持続しない性格である部分が強いため、一つを失えばまた一つを掴もうとする仕草と同じで、浅く広く見聞を得ようとしているからだ。いわば、暇潰しである。時間を持て余すよりは建設的だ。

アイギス

ここまでだって言われてたのに先があるなんてのは、軍部じゃよくある話じゃねえか

雨天紅音

そんな状況が整ってるなら、僕だって迷わないよ。そもそも行軍してるんだから、それをただ続ければいい

アイギス

生きてるんだから、続けろよ

雨天紅音

それが僕にとっては難題でね。もちろん身近に興味があるもの、つまり僕がやり残して放り投げた別の懸案もある。けれど、――どうやら僕は落ち込んでいるみたいでね

アイギス

何も手につきそうにない?

雨天紅音

誰かに背中を押してもらわないと動けそうにない。どうであれ、僕はもう――捨ててしまったからこそ、この結果になって、どういうわけか生き残ってしまったわけなんだから

アイギス

ま、どうしたもんかね

雨天紅音

他人事だなあ

アイギス

え? なに、あたしが真面目に答えを見つけろってか?

雨天紅音

それは御免だ。いつだって答えは自分で出すものだからね

アイギス

だったらあたしが口出しするようなもんじゃねえよ。ただまあ、お前にも可愛いところがあるじゃねえか

雨天紅音

よしてくれ……

アイギス

いやいや、だってこの場所、お前の心象風景だぜ? どう見たってあたしのベースじゃねえか。お前も暇な時に結構遊びに来てただろ

雨天紅音

なんだ、この光景も僕のものだったんだ

アイギス

てめえのことってのは、案外知らないもんだろ?

雨天紅音

でも、知ることはできるからね。――アイギス

アイギス

ん?

雨天紅音

僕は、間違っているかな

アイギス

間違ってる。どうしようもなく、お前はずっと間違えたままだ。つーか、正しかったらもう湯浅あかじゃねえだろ

雨天紅音

雨天(うてん)紅音(あかね)って偽名を使ってたけどね

アイギス

おいおい……怖いモン知らずだな

雨天紅音

語呂の問題ってやつでね。そうか、……間違っているのか

アイギス

おう

 それは、きっと。
 僕は、そのままでいて良いのだと認められた気がして――だからアイギスのことを、友人だと思ったのだろうけれど。

雨天紅音

どうしてだろうね

 立ち上がった僕はテーブルを迂回して彼女の前に行き、腰から拳銃を引き抜いて座ったままのアイギスへ銃口を向けて安全装置を外す。どうして武装しているのか、そんな理由はいらない。
 ここは僕の心象らしいから。

雨天紅音

――多くのものを捨ててきた僕は、けれどどうしたって、アイギスだけは捨てられないんだ

アイギス

何故

 ぱかん、と発砲をするとアイギスの顔を貫く前に、まるで転移したかのようにそれは消えた。彼女の干渉だ。

アイギス

って、あたしの言葉がまだ終わってねえだろ

雨天紅音

いやなんとなく試したくなってね

アイギス

今の狙いだと耳が外れるくれえなもんだろ、殺す気もないじゃねえか

 そうだ。
 僕は、アイギスを殺そうと思えたためしがない。

アイギス

何故だかわかるか?

雨天紅音

そこなんだ……今まで疑問に思ったことが、何度かあるんだけれどね。たとえば一般的には、親代わりの相手だから――なんて理由もあるんだけれど、そもそも僕はアイギスを友人だと思ったことはあっても、親だと感じたことはないし、それならクソッタレなハインドがいたわけで、そうでもなさそうだ

アイギス

ま、そりゃそうだな。つーか上官と部下じゃねえのかよ

雨天紅音

ああそれもそうだっけか。僕としてはあまり、そういう感じはなかったから

アイギス

べつにあたしはそれでいいけどな

雨天紅音

アイギスは、その理由について知ってるか?

アイギス

だから、お前のことだろ……ただまあ、想像はつく。たぶんあたしが特別ってわけじゃねえよ。あたし以外でも、同じくれえの時間を過ごせば、同じような感じになる相手なら何人か知ってる

雨天紅音

その共通点は?

アイギス

あんま言いたくねえ――うおっ、てめえまた撃ちやがったな!

雨天紅音

あ、ごめん。なんか尋問を思い出して、つい

アイギス

こっちだって魔力残量に限界があんだからな……

雨天紅音

最初から時間制限つきってのはわかってるよ

アイギス

ま……情けない話なんだけどな。つまるところそいつらは全員、――あたしじゃ手の届かねえ相手ってことだ

雨天紅音

……はい?

アイギス

呆れた顔すんな。あの女なんかは次元が違うけどな、敵わないと、心底から敵対したくないと、そう思える相手がいるんだよ。つまるところお前は

雨天紅音

僕は

 殺せないとわかっているから殺さない、のか。

アイギス

単純な話だろ

雨天紅音

それはそうだけれどね……考えすぎていた僕がまた落ち込みそうだ。なるほどね、本当に敵対したくないのならば、――目的からも除外する。その通りだよ

アイギス

へえ?

雨天紅音

僕はねアイギス、あなたに教えてもらったことを――忘れたことはない。きっとそれは僕の根幹にも影響してるんだろう

アイギス

誰にも影響を与えずに生きるなんてことはできねえよ。けどなあか、いつか言っただろ。時間は不可逆である、故に人は過去へ戻れない

雨天紅音

言ったね

アイギス

んで、あたしが言ったのも覚えてるよな

雨天紅音

覚えてるよ。――過去へ戻れなくても、過去に浸ることはできる、と

アイギス

惨めな姿を晒すんじゃねえぞ

雨天紅音

僕がアイギスのことを忘れない限りはね

アイギス

それでいい

 けれど、でも。
 これが最後というのならば、一つくらい――恨み言を。
 泣き言を、言ってもいいだろうか。
 拳銃を突きつけたまま、新しい煙草に火を入れるアイギスを見て、僕は、もう納得していて、理解していて、どうしようもないと諦めて、どうでもいいと切り捨てて、それでも、願わずにはいられなかった泣き言を。
 言っても意味のない、言葉を。
 ただ理由に任せて。
 感情に委ねて。
 僕は。

雨天紅音

――どうして、先にくたばったんだ

アイギス

は? ……え、なに? なんて言った、お前

雨天紅音

恨み言と、……泣き言だよ。理由が聞きたいわけでもない、事情なんて知らない。ただ、僕は

 生きていて欲しかったわけじゃない。僕とは違って、アイギスは常に作戦行動をしていたようなもので、危険の度合いでいえば比較にもならないほどだ。いつ死んでもおかしくない、そう理解している。僕もまた、それを理解していたからこそ、死亡の連絡がきたところで、そんなものかと切り捨てることができた。
 できたけれど、確かに僕は、落胆したのだ。
 いや――絶望だったのかもしれない。
 予定が狂ったというか、むしろ、責任を押し付けるわけじゃないけれど、アイギスが僕より先に死ななければ、僕はこんな目的を抱き、転移することなどなかった。

雨天紅音

間違っているなら――どうして、僕を殺してくれなかった

 わかっている、今更だ。
 アイギスがもういないことを、誰よりも理解しているのが僕なんだから、本当にこんなものは、八つ当たりでしかないのに。
 無駄だとわかっていても、僕は言ってしまった。

雨天紅音

そうすれば、僕は

 満足したまま、死ねたのに。
 ――ああ、そうだ、そうだとも。
 自殺志願者なわけじゃない。ただ、僕は自らの死に整合性をつけ、均衡を持たせたくて、命に釣り合わないほどの罪を求めてここに来て、殺されるはずだった。
 だから、失敗だ。
 僕は大きくなった罪ばかりを背負って、それがさもくだらないものだと振舞って、いつものように、どうでもいいと口にして、生きなくてはならない。それはそれで本心だけれど、満足とは程遠く、アイギスと出逢ってから大きくなってしまった不満ばかりを抱えて、続けなくてはならない。
 わかっているさ、それが生きるってことくらい。受け入れている。

アイギス

――甘えるな

 予想通りの返答に僕は動じない。きっとアイギスならそう言うだろうことくらい、わかっていた。だから軽く肩を竦めて銃口を下げる。けれど、僕の予想には反して、盛大に紫煙を足元に吐き出したアイギスは、言葉を続けた。

アイギス

って、言いたいんだけどな……泣きそうなツラしてんじゃねえよ

雨天紅音

え? 僕はてっきり、そういう返しで終わると思っていたんだけれど、違うのかな

 っていうか、泣きそうな顔してるのか、今の僕は。

アイギス

本音と建前。お前との付き合いも長いからなー、あたしの返答を予想してたみてえに、あたしだってお前の考えくらい、だいたい読める。ま、殺してくれなんて頼まれた覚えもねえし、知ったことじゃねえってのも本音だが

 お前の本音も聞けたことだしと、妙に嬉しそうな表情をする。なんだろうこれは、もう一発撃ちこめっていう振りなんだろうか。

アイギス

あたしはな、傭兵から軍部へ入ったクソッタレだ。しかも基本は単独行動、どっちにせよ殺すために導入される手ごまでしかない。お前は本当に、どうしようもなく手を焼かせられるし、面倒だし、その癖に壊れてて狂ってる――間違ってやがった

雨天紅音

酷い言われようだなあ……事実だけど

アイギス

だろ? 文句言うんじゃねえよ。けどな、あたしだって初めてだったんだぜ――お前みたいな危ういのでも、生かしてやりてえと本気で思ったのは

 僕は、そんなことを思ったことすらない。ならばわかったようなことは言えないけれど、だったら。

雨天紅音

僕の望みと、アイギスの望みは、正反対だった……ってことか

アイギス

そこはどうだろうなあ。どうであれ、あたしはどんな状況でも生還できるようにしてやりてえ、なんてことは思ってた

雨天紅音

それで自分がくたばるようじゃね……

アイギス

それを言うんじゃねえよ。けど、嬉しいもんだぜ? 何がどうであれ、お前がまだ生きてるって事実は、妙にほっとする。今のあたしがアイギス本人であるかどうかはべつにして、あたしの願いを直截するなら、間違えたままでも生きていて欲しいよ

 同じことだ。
 わかる。いや、アイギスだってわかっていて言っている。
 僕が彼女に殺して欲しかったと願ったように、アイギスもまた同様の見解で、生きていて欲しいと口にしたのだ。それはただの希望で、夢で、泣き言や恨み言と一緒。もういない彼女の言葉が聞けても、もう――届かない。
 だから僕は、返答もせずに背を向ける。もう去ろうと、そう思って。

アイギス

なんなら、あたしの代わりでも見つければ――

 なんて、クソッタレなことを言いださなければ、そのまま去るつもりだったのだけれど、振り向きざまに早撃ち。やはりそれは当たらなかったけれど。

アイギス

おお、こえーなあ。禁句なのはわかってて言うあたしも何だけど、ちゃんと怒るんじゃねえか

雨天紅音

……あのね、アイギスの代わりなんて、どこを探してもいないさ

アイギス

あたしはお前にとって、重要な位置付けなのか?

 当たり前だと、僕は呆れたように肩を落とす。

雨天紅音

僕が今、こうやって生きてることが証明じゃないか

 こんなことは言いたくなかったと、僕は背を向けたら、なんだか大爆笑しているみたいだった。それはそれで癪な話だ。
 まったく――僕がこうやって、だらだらと生きながらえているのは、間違いなくアイギスが育ててくれたお蔭……いや、原因なのに、それを自覚していないだなんて、それこそ不満である。その上、その代わりを見つけろだなんて。
 できるわけがない。
 僕は、――アイギスのことを忘れたことなんて、一度もないのだから。もちろん代わりを見つけたとしても、そんな面倒なことは御免だ。僕がまたガキに戻って、そいつの傍に引っ付いてなきゃいけないだなんて、反吐が出る。

雨天紅音

――じゃあねアイギス。また逢おう

アイギス

地獄で待っててやるよ

 それなら安心だ、なんて軽口を叩いて僕は外に出る――いや、現実に戻ろうと思う。そこに、アイギスのいない現実に、行こう。
 ただ問題として、これから僕はどうすべきなのかが、わからない。目的もなく、目標もなければ、きっと理由も、意味もない。そんな宙ぶらりのまま、果たして僕は、生きて行けるのだろうか。

雨天紅音

どうでもいいかあ……

 ははは、やっぱり僕は何も変わっちゃいないな。
 やや気が重くはあるけれど、僕は安寧に身を委ねるよう目を瞑る。とっくに扉をあけて外に出ているけれど、外の景色なんてものはない。いや、そもそもこのログハウスだって、ないのと同じだ。
 泡沫の夢、である。
 こんな僕でも、いつか言えるのだろうか。
 ありがとうと、アイギスに感謝を伝えられる日がくるのだろうか。
 いやいや、まったくもってくだらない。これだけの被害を出して、成果を上げて、どうでもいいと諦めて、くだらないと吐き捨てて。
 最後の最後まで、ずっと僕は悪人のままだ。
 さあ――目を覚まそう。
 弱音も泣き言もここに置いて、八つ当たりなんてらしくない感情も捨てて。
 僕は。
 ゆっくりと、瞳を開いた。

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