#贈物
#贈物
本当のことが一つだけとは限らない。ある一つの事実が存在するとき、その事実を受け止める側によって様々な事実が生じてしまう。真実とはそれらすべてをつなぎ合わせた多面的なモノである。
……ない……
ここにあると思った。いや、あるはずなのだ。オレがここで落としてしまったのだ。それしか考えられない。
陽の沈みかけた公園はオレンジ色の霧がかかり霞んでいる。
尾根篤弘と名乗る謎の男が現れる木の下のベンチの前でオレは屈み、彼女、トキノヤアインが身につけていたピアスを探していた。陽が完全に沈んでからでは闇に紛れて見つからなくなってしまうだろう小さな丸いピアス、銀色に光を照り返すそれは全く見あたらなかった。
こんなところで使いたくなかったんだが……
……尾根さん……出てきてくれますよね?
尾根さんがオレの捜し物の手伝いをしてくれるわけがない。ましてや昼のこともある。彼が出てこないことも充分にあり得る。それでもオレは呪文を唱えた。わらにもすがるような気持ちだった。
――オリフタエノ オリフタエノ
我は汝を請う
故に我が前に汝の姿を現したまえ……
一回目は呟くように、二回目ははっきりとした口調で唱えた。情けない気分だった。自分自身がばからしくちっぽけなモノに感じた。三回目の呪文は声にならなかった。
無駄だ。そう思ったから。でも心は叫んでいた。
オレは、どうしたらいい?
……そうだなぁ。
自業自得とまでは言わないけれど、
そんだけ反省しているなら良いんじゃない?
声は上から。オレは見上げて声の主を捜した。彼は木の上にいた。
尾根さん……
悪かったね、すぐに出てきて
あげられなくて。
ボクが君の会いたがっていた尾根篤弘です。
ぴょんっと飛び降りると彼は優しく微笑んだ。
薄暗い公園。空の果てに残るトワイライトもいずれは消える。街灯の明かりを頼りに二人で木の周辺を探す。
悪いけど、今回はボクが
お金を払うんじゃなくて、
君に払ってもらうよ。
そのつもりでいてね。
営業外労働だし。
落ち葉が増えてきた公園での紛失物探しは楽な仕事ではない。ましてや、探す対象が直径二ミリほどの小さなピアスであればなおさらだ。
中学生からお金を巻き上げる
つもりなんですか?
やっぱりここにはないのだろうか? 否、そんなはずはない。
ここで彼女から受け取って、彼女が去った。その直後からすでにないのだから。オレは尾根さんの台詞に適当に返しながら、なくしたときのことを思い出していた。
人聞きの悪い言い方しないで欲しいなぁ……
そうおっしゃるなら、
ボランティアでお願いできませんか?
アインがオレにピアスを渡す振りをしただけで、本当は受け取ってなかった、とか?
うーん……考えておくよ。
そう言えばヤノミツル君、
君は君の兄からボクのことを聞いて
調べていたみたいだね
……!? なぜそれを……。
オレが思わず手を止めて、彼の方を向いたのは言うまでもない。
教えてあげてもいいよ。ボクの正体
不適な笑みを浮かべ、彼はベンチに腰を下ろすよう指し示す。
休憩しようよ。
アインと別れてからゆうに二時間は経つ。
疲れないのかい?
立ちつくして戸惑うオレに、彼はベンチに座った状態でさらに誘う。オレはいろいろと考えあぐねた結果、渋々彼の隣に座った。
街灯の明かりのみが照らす公園。息が白くなりそうなほどに冷えてきている。
――何故迷った?
しばし続いた沈黙は彼のその一言で消滅した。
怖いと……そう思ったからだと思います。
正直そうなのだろう。尾根篤弘の正体。別にそんなことを知ったところでどうというわけでもない。だが興味があることは事実だろう。現にオレはここにいるのだから。
そっか。君はボクが考えていたより
素直な子だとみた。君の質問に答えよう。
ただし、君の心の問いかけのみだ
心の問いかけ……?
まずはこれを羽織ってて
急に彼は着ていた黒のダッフルコートを脱いで、オレにかぶせた。昼間の暖かさのために薄着をしていたのでとても助かった。
すみません……
いいっていいって
言いながら尾根さんは自分のマフラーを巻き直す。そういえば尾根さん、真冬の格好だったんだなぁと思う。
さて……君は自分の目に頼りすぎた生活を
送っているね。目に見えるモノ以外は
存在していないのではないかと、
知らずのうちに脳で
処理をしてしまっている。
まぁ、君の兄、ヤノタカアキ君にも
言えることだけどさ。
ボクとしては、みんなもそう感じて
しまっていると思う。
誰もが思い込んでいる。
大人になるためにプログラムされていく
モノの一つだから
ボクは、それは間違った考え方だと
思うんだけどね。
同じような思考回路でないと、
お互いを理解し、情報を交換するのに
不便だから、同じような規格にそろえて
設定を組み込んでいくのだろうね。
悲しいことだ。
彼は淡々と語りだした。オレは聞きながら頭の中を整理する。
物事を多面的にとらえることは
重要だと考えている
円柱の投影図って描いたことあるだろう?
上から見た図と横から見た図を書き取るの
あれみたいな感じでさ。
一方から見ただけじゃ、
それ自体がどんな形をしているのかなんて
決定できない
別の視点があって
初めて見ていた物が見えてくる。
この世界はこうやって見ていかないと
“本当”を見分けられないと思うんだけど。
どう?
彼はオレに意見を求めたけれど、何も答えられなかった。ただ納得して頷くだけで精一杯だった。
オレは……
頭で考えたことではない。心で感じ取ったままの言葉が自然と溢れる。
オレは“知らない”という事実を
知っているだけです
でも、知らないから
それを明らかにしたいなんて気持ちは
ありません。
並んだ言葉や数列を
片っ端から詰め込むだけで、
それらの繋がりすら
見出せないちっぽけな器です
――オレが欲しがっていたのは、
きっとあなたの正体なんかじゃない。
あなたに会うための口実が欲しかった。
そして、トキノヤとの繋がりが
欲しかった……そうなのかもしれません
冷静になって自分を見つめ直すのもいいかもしれない。本当の自分なんてものは存在しないと思うけど、知らない一面なら発見できるような気がする。
多面的な自分の存在。
決して多重的なものではなく、それぞれがある一つのモノの連続した一面として。
アインのことが好きなんだね
尾根さんのその一言で、オレの顔が火照るのを感じた。
た、たぶん……
その彼女が見つめている存在がボクだから、
気になるわけだ
トキノヤがあなたに好意を持っているのを
分かっているんですね……
ならどうして彼女の気持ちに
応えてあげないんです?
彼はしばし口ごもった。
……ボクが、ボクだから、かな……
彼女は寂しいコだよ。
つっぱねて気丈に振る舞っているけれど、
肝心なことに関しては心を閉ざしている
初めて彼女を見かけたときに、
彼女の孤独を感じてしまった。
どうにかできないかなって
構ってやっていたんだけど、
失敗したかな
きっとボクじゃいけないんだ。
彼女にはボク以外の誰かが必要
君のようなコがいて良かった
彼の作った笑顔の中に、寂しげな感情が潜んでいるのを感じた。
ボクがつけているピアスは、
元々はアインのモノだったんだよ。
彼女が身につけているピアスの片割れでね。
落ちていたのを拾ったから
返そうと思って会ったんだけど、
そのまま持っていてくれって
彼はずっと閉じていた左手をオレの前に差し出した。
手を出してごらん
言われるままに右手を差し出すと、その上に何かを置いた。銀色に照り返す小さな光。探していたピアスだ。
消毒して、返すといい
意地悪そうに笑った彼の顔をオレは見続けることなどできなかった。これで返せる、その気持ちがいっぱいで涙が出そうだったから。
ありがとうございます、
ありがとうございます
何回繰り返したことだろう。何度も何度も頭を下げて感謝した。今度は無くすまいとしっかり握りしめて。
もう、なくしたりするな。
それは彼女の大事な……
突然の強風に台詞はそこで途切れ、代わりに別の誰かがオレを呼ぶ声がした。
その声は、オレがよく知った人物のものだった。
ヤノ君! やっぱりここにいたんだ
カワハラ。どうしたのさ、こんな時間に
自転車を置いて公園の入り口から走ってきた少女はクラスメートのカワハラミツキ。息を切らしている様子から慌ててここに走ってきたことが見て取れた。
大変なの! ヤノ君、
落ち着いて聞いてちょうだいね
君の方が落ち着くべきだろう、そう思いながら聞いた彼女の続く言葉にオレは絶句した。理解し、思考がはっきりするまでの時間がやたら長く感じられた。
『――アインが事故で病院に運ばれた――』
オレははっとして視線の先を変えた。
おい、尾根さん、聞いただろ!?
尾根さんの姿を探すが、その姿は見あたらない。オレが着ていたはずのコートも、そのぬくもりを残したまま消え去っていた。
……え?
尾根さんと話していたの?
カワハラが不思議そうな顔をする。
あぁ。カワハラに声を掛けられる直前まで
確かにいたんだ
やっぱりあれは幻であったのだろうか? 狐に化かされていたのだろうか? この辺だと狸の方か?
あっ
右手をそっと開く。受け取ったピアスがどうなっているのか知りたかった。
どういうことだ?
対になったピアスが二つ並んでいた。
一方はアインのものだろう。もう一方は……。
カワハラ、トキノヤがどこに運ばれたのか
分かるか?
ぎゅっと握りしめて気を取り直す。
任せて。そのために迎えに来たんだから
サンキュウ
言って俺たちは公園の入り口に向かう。
尾根さん、オレがあんたを
トキノヤのところに連れてってやるよ
ちらっと公園の中央にそびえる木を見やって、病院へと急いだのだった。
次話『記憶』