第一幕
第一幕
星……。
星……星……。
星……星……星……。
あふれ、こぼれた、星々の光。
360度を包むきらめきの中。
頭上の彼方を見つめ、静かにたたずむ若い女性。
名はサキという。
………………
穏やかな表情で、満天の星空を見上げたまま。
名もなきどこかの宇宙(そら)に向けて、ゆっくりと口を開く。
「拝啓――お元気ですか?」
――風邪などひいていませんか?
おいしいものは食べていますか?
夜はぐっすりと眠れていますか?
楽しい夢は見ますか?
かけがえのない時間が、大切な想いとともに過ぎていきますか?
そして…………絶望はしていませんか?
あなたが漂うこの星空は、ほうき星の十月十日(とつきとおか)の営みです。
星を愛し、光を産み、希望が駆け巡る……
「だから私は願うのです」
銀河をさまようあなたへ、私の想いが届きますようにと
いまだ星空は応えてはくれません。
ただその美しい輝きで励ましてくれるだけ……
今夜もまた途方に暮れて、
私はまた、夜空を見上げるばかりです
星空に産み落とされたように――――流れ星ひとつ。
☆ ☆ ☆
宇宙の涯(はて)。
涯の涯。
はて、ここはどこ? と誰もが惑う涯。
円筒型宇宙船『ウーム』がその涯を航行する。
艦橋コックピット内。
警報音がけたたましく鳴り響く中――。
操縦席で操縦桿を握る男の名は、キャプテン・タカ。
………………
コックピットにあわてた様子で入ってくる船員ボーリ。
メインエンジンが停止したぞ!
同じく血相を変えて飛び込んでくる船員ルーシー。
サブエンジンが遺書を書きだしたわ!
同時多発的にあちこちのシステムがダウンしている!
高熱にうなされ、うわごとで別れを告げてるんだ!
なんなのこれ!? 船の各部が次々伝染病にでもかかったみたいだわ!
ここは無重力だ!
“戦艦”が引っくり返って“感染”した例は枚挙にいとまがない!
まさかこの船、未知の病原菌にでもやられたというの!?
ああ、宇宙の涯じゃ、ウイルスだって居留守を使う! だまされ、気づいたときには手遅れだ!
そんな……あたしたち、すでに病の舞を踊らされてるの!?
ボーリが悔しげに壁を叩く。
終わりだ! 俺たち死ぬんだ! この星屑の中、宇宙の藻屑になるんだ!
やめてよ! まだそうと決まったわけじゃ――
決まってるさ! なあ、そうだろキャプテン・タカ!?
………………
無言で、ただひたすら操縦桿を握りしめているタカ。
眉根を寄せ、唇を真一文字に結んだその表情は力強い。
見なさい、キャプテンのあの姿を。
キャプテンは少しも諦めていない。絶望していない。全力で助かる方法を探してるわ
キャプテン……あんた……あんたすげえよ
ハッとするタカ。
――恐怖のあまり気絶してた!
いちばん諦めてるひとここにいた!
キャ、キャプテン! 操縦桿をしっかり!
ああ、わかってる。でも……
でも?
もう操縦桿が利かない。俺の声を聞いてはくれないんだ
なんだって!? 俺にかしてみろ!
ボーリが荒々しく操縦桿をつかみとる。
その拍子にボキッと音がして、操縦桿が根元から折れてしまう。
一同「……………………」
…………ふっ、死神の見えざる力か
あんたの馬鹿力よ!
いいじゃないか、もう。
今の俺たちに必要なのは、死の恐怖をコントロールすることだけだ
諦めるってこと? 絶望するってこと?
銀河の海で死ぬのも悪くない。
海から生まれた命が、星屑の海へ帰っていく。ただそれだけだ
海へ……?
ああ、海へ
…………違う
首を横に振るタカ。
この海は帰るべき海原(うなばら)じゃない。
母の腹から産まれた命が、こんな名もなき海の涯で死ぬことなんて許されない――絶対に!
ボーリから折れた操縦桿を奪い取る。
肩をすくめるボーリ。
キャプテン、そんな壊れた操縦桿ではなにもできない
いいや、壊れそうな運命だからこそ、この操縦桿が役に立つ
正気か狂気か……それともキャプテンの頭もすでに病の舞を踊りだしたのか
あたしはキャプテンを信じるわ。こんな名もなき涯で死にたくはないもの
コントロールを再開する! 俺たちは名もなき涯からの脱出を試みる!
操縦桿を握り、前方のメインモニターをまっすぐ見つめるタカ。
そんな彼にボーリが呆れ顔を浮かべる。
言ったはずだ。俺たちにできるのは恐怖をコントロールすることだけ
ボーリ?
死に場所が、得体の知れない名もなき涯だと思うから恐ろしい
でも…………でもそこに名を与えれば、得体の知れなさは消滅する。
恐怖はきっとなくなる
名を?
名もなき涯に名を。そうすれば――
息を呑むルーシー。見る見るうちに青ざめていく。
待って! ダメ! そんなのダメだわ!
それを無視し、ボーリはタカの背を見つめ、にやりと笑う。
キャプテン・タカ。
あんたはそうやって、最期の瞬間まで壊れた幻想にしがみつけばいい
俺は名もなき涯の名付け親となって、安らかな死を産み落とそう
警報音がさらに高まっていく。
やめてボーリ!
涯に名を与えれば、ハテはハテナになってしまう!
気づいたか。
だが手遅れだ。ハテナはすでにこの船に蔓延している
だからこそやめて!
得体の知れないクエスチョンをこれ以上増やせば、きっと……。
――きっと誰もが正気じゃいられなくなる!
船内に黄色い霧のようなものが立ち込め、三人の姿を徐々に隠していく。
そんな中、タカが懸命に、折れた操縦桿をコントロールする。
絶望するな! 突き進め!
ここは誰もが見上げる夜空の涯!
誰かの想いや願いが必ずここにも届き、俺たちを救ってくれる!
見ろ! 四方を埋め尽くす星の祝福を!
星から星へ一万光年の想いが流れる!
それに応え、無重力の海を越え、
はるか彼方、俺たちは俺たちの命をコントロールする!
全乗組員、配置に着け!
本船は正気を失い、これ以上の航行は不可能と判断! これより名もなき星へ緊急着陸を遂行する!
警報音がタカの声をかき消していく。
至急…………至急配置に着け!
至急! 至急、生きてくれ!
問答無用で生きてくれ!
至急! 至急、運命の歯車を! けしてけっして止まらせるな!
「至急!…………――至急!!」
黄色い霧が濃さを増し、三人を消し去る。
☆ ☆ ☆
産婦人科医院の診察室。
医師が待つそこに、肩で息をした男、ヤマナミが飛び込んでくる。
し、至急来いって、いったいなにが起きたってんだ先生!?
至急、これをご覧ください!
そう言って、A4サイズほどの画像写真を右上へ掲げる医師。
ヤマナミはあわててそれを覗き込む。
女房になにかあったのかい?
至急です!
画像写真を今度は左上に掲げる医師。
さっと素早く、それに顔を向けるヤマナミ。
しきゅうです!
いや、これ以上どう急げば――
これが奥様の子宮の検査画像です
しきゅう違いかよ!
いいえ、すぐに来てもらえてよかった。
事態は急を要し、
その“急”はけっして“杞憂”となるものではありません
予定日はまだ先じゃなかったかい?
硬い表情で画像写真を指さす医師。
これは超音波検査で写した奥様の子宮です。なにが見えますか?
ヤマナミは怪訝顔で、再度画像写真に目をやる。
なにって、子宮には赤ん坊が……――って写ってない!?
綺麗さっぱり、なにも写ってないじゃねえか!
ええ、奥様の子宮は無です。まるで虚ろなブラックホールです
いったいぜんたいなにがどうなってやがる?
医師は深々と息を吐いてから言う。
奥様は子宮外妊娠でした
子宮外……妊娠?
ショックが大きかったのか、よろめくヤマナミ。
とっさに医師が手を伸ばし、その身体を支える。腕を取り合って向かい合うふたり。
顔を伏せたヤマナミの肩が震えだす。
……くっ……う……ううっ……
お気をたしかに。
けれど今は奥様のことを第一に――
く……くくっ……くはははははははっ
おや、笑ってる?
先生、ダンスは踊れるかい?
産婦人科医ですから、おサンバはお手の物です
なら踊ろう。
朝まで、おどろおどろしく踊ろうぜ
ご機嫌な様子で踊りだすヤマナミ。医師はその手を払い、ヤマナミをたしなめる。
しっかりなさい! 現実から目を背けてはいけません!
背けるもんか。俺はうれしくてしかたないんだ
うれしい?
へへ、正直言うぜ、先生。俺、ガキなんて欲しくなかったんだよ
おやおや……これはまた
ふははっ、最低だって思ってんだろ? ああそうさ、俺はろくでなしの最低野郎さ
悪びれもせず、楽しげに語るヤマナミ。
でも先生なら知ってんだろ?
子宮を診るってことは、その女の人生を、ちいっとばかし覗き見るってことだ
何十、何百の人生を覗いてきた先生なら、
我が子の誕生を喜べない親にだって、出会ってきたんじゃないのかい?
おやおや
よせよ、先生。俺は親じゃない。難を逃れた自由人だ
そのとき診察室奥のドアが開き、女が姿を見せる。
ヤマナミの妻、ナミだ。
その腕に、産衣(うぶぎ)にくるまれた赤ん坊を抱いている。
!
ヤマナミに気づいたナミは、胸の中の赤ん坊に優しく語りかける。
ほらあ、パパでちゅよ~。お迎えにきてくれまちたよ~、ほらほらあ~
これはホラーか、ほら話か、その両方か
呆然とするヤマナミに近寄るナミ。
この子を抱いてあげてよ、あんた
そ、それはなんだ?
赤ん坊に決まってんじゃないのさ
バカな……。
俺はたった今、超音波検査の画像をこの目で見たんだ。おまえの子宮を覗いたんだ。
ガキなんかいない。流れちまったんだろ?
ああ、超音波の波に乗って、流れるように産んだのさ
清流のごとき安産でした
怒りの表情で医師に詰め寄るヤマナミ。
騙しやがったな!
騙すだなんて、そんな――
ガキはダメだったんじゃないのかよ!?
そんなことはひとことも
言っただろ! 子宮外妊娠だったって!
それはたしかに。でも産まれたのです。
おめでとうございます。母子ともに健康です
バカを言うな! 子宮外でどうやって――
それこそ奇跡。生命の神秘。
神の差配か、宇宙の理(ことわり)か
きっぱりと告げる医師。
お子さんは子宮外生命体として、この世に産み落とされたのです
宇宙人みてえだな!
ナミは赤ん坊をあやしながら、ヤマナミに声をかける。
あんた、名前はなんにしようかね?
名前?
この子の名前だよ。考えてくれたかい?
ふん、ウニでもアワビでも好きにしな
まじめに考えておくれよ
ねえ、“タカ”ってのはどうだい?
高く高く、人生の大空を、鷹みたいにどこまでも飛んで行けるようにって
おまえの子だ。おまえが勝手に決めればいい
あんたの子でもあるんだよ
違う!
違う?
そいつは海を愛した海女(あま)の子だ
そりゃあたしかに私は海女だ。海にも潜るし、ウニでもアワビでも採ってはくるけどさ
ふん、まさかガキまで採ってくるとはな
なに言ってんだい、あんた
海と寝たんだろ、おまえは!
どこの世界に、海と海女との間に赤ん坊が産まれるなんてことがあるんだよ。
むちゃくちゃじゃないか
むちゃくちゃなのは、そのガキの存在だ!
私とあんたの子だよ。
ふたりが愛し合った証だよ。
そう、“あかし”が“赤子”になったのさ
そんなでたらめ、誰が信じるか!
おまえは妊娠を告げたその日から、十月十日(とつきとおか)かけて、俺をはめやがったんだ!
なんてひどいことを……
そのガキはおまえが勝手に育てればいい
この子の父親はあんただよ
俺には見えるぞ。ガキに着せられた疑惑の産衣(うぶぎ)が
おかしなものを着せないでおくれ。
赤ん坊の産衣は、母親の胸の温もりだけさ
ならば、まがい物の父の温もりは、曇りに曇った疑惑だけだ。
それはいずれ悲劇の雨を降らせ、ガキの柔肌を冷たく打ち叩くぞ
あんた……
俺にはガキは育てられない。今後会うこともない。
ガキの泣き声、届かぬ場所へ。
子宮外でも地球外でも、おまえたち親子がいない安寧の地を探すつもりだ
踵を返し、診察室から出ていこうとするヤマナミ。
その背に、ナミの冷ややかな声が飛ぶ。
逃げるんだね
ドアの前で立ち止まるヤマナミ。振り返ろうとはしない。
そうやってあんたは逃げるんだ。
荒波に乱れた心を抱え、羅針盤もなく、右往左往逃げ惑うんだ
………………
でも……でもいったいどこにたどり着きたいんだい?
あんたはなにに怖れ、怯え、そこから目を背けようとしているんだい?
ヤマナミはナミに背を向けたまま、口を開く。
せいぜい祝え。そして呪え。
今日は誕生日だ。
海と海女を親に持つ、いびつな赤子の
そして腫瘍のごとく俺をむしばむ――疑惑の証の
世界にたったひとつだけの、
いや、宇宙に唯一の……――愚かしい誕生の記念日だ
診察室から出ていくヤマナミ。
ああ、お待ちなさい! もう一度おふたりでよく話し合ってはいかがです!?
ヤマナミを追って、医師も診察室をあとにする。
ひとり取り残されたナミは、柔和な表情で腕の中の我が子に語りかける。
心配しなくていいんだよ。
おまえは私の愛情でちゃんと育てるから。
父親のいない寂しさからも、嵐を呼ぶ疑惑の囁きからも、きっとおまえを守ってみせる
大丈夫。母の温もりは曇りなんかじゃない。暗雲の中でさえ曇らない、晴れ渡った微熱なのさ
その微熱にくるまって、どうかおまえは健やかに育っておくれ
震える睫毛に、かすかな不安の兆し。
でもいつか…………いつか寂しさに心が震えたら。
そのときには、白波微笑むあの海においで
私の中から流れるように産まれたおまえは、きっと銀の大河を容易にくだり――
「あの大海原へたどり着けるはずだから」
ナミに抱かれた赤ん坊が、おぎゃあ、おぎゃあ、と泣きだす。
つづく