都内某所 某IT企業のオフィスフロア
都内某所 某IT企業のオフィスフロア
時計の針はすでに23時を回っているが、辺りにはまだ沢山の社畜達が残っている。
そのフロアの隅、小生は死んだ魚の様な目をしながら、半笑いでパソコンのキーボードを叩いている。
ハァ・・ハァ・・・
(カタカタカタカタ)
・・おかしい・・
(カタカタカタカタ)
なぜ、誰も帰ろうとしないっ!!!!!
◆
3ヶ月前、小生がこの職場に転職してやってきたタイミングで『ノー残業デー』というシステムが導入された。
その名の通り残業せずに定時で帰るという日で、小生の記憶に間違いなければ今日なはずであるが・・
ぐぎぎ、誰も帰らないのかな・・?
周囲で働いている他部署社員の様子も伺ってみるが、7割くらいの人が残っている。
う~む、まるで帰る気配なしだな・・
・・・
ここってブラック企業だったのかなぁ~・・
定時ダッシュ、それは人類の夢
自席から部屋の扉までわずか数メートル
この数メートルに存在する分厚い空気
この壁を越える為、日々挑戦する彼らを人はこう呼んだ
なんて設定どうだろう
ランナーズNo.1 埜下樹理 (ノノシタキリ)
通称『ドージン』
同人活動をしたいので家に帰りたい系女子
◆
ぐぅ、何とか理由をつけて家に帰りたい・・
帰ってお菓子バリムシャしながら漫画描きたい・・
ヒョコン♪
パソコンのチャット欄に新着メッセージが送られてきたアイコンが点いている。メッセージの送り主は・・。
ようドージン(^ω^)
今日はコミケの当落発表日じゃなかったのか?
あいつ・・
ランナーズNo.2 持田速人 (モチダハヤト)
通称『コモチ』
娘とお風呂に入りたいから帰りたい系男子
当選してたよっ!!!
だから早く帰って原稿の続き描きたいんだよっ!!!(○◇○)
おお、当選おめでとう
で進捗は大丈夫か?w
良くないから帰りたいの!!ヽ(`Д´)ノ
でも周りは全然帰らないし、帰りづらくて・・・何なのこの職場(=_=;)
ふっ、帰り辛いねぇ~・・
・・・
ドージン、お前確か今日の夕方17時に、
30分の打ち合わせ予定を入れていたよな?
う、うん・・
たわけが、もし打ち合わせが長引いたらどうする気だ?
17:45の定時を過ぎるかもしれんだろうが!!
だ、だって、参加者全員が集まれる時間がそこしか無くて(´Д`;)
ふ、俺なら適当な理由をつけて昼前11時にやる
参加できない者には、後で個別に説明しておけばいいのさぁ
そんな横暴な・・
要はあまちゃん、ベイビーって事さ
(結局、お前もこの時間まで残っているくせに・・)
そしてベイビーとはこうやって使うんだっ!!!
勢いよくノートパソコンを閉じ、おもむろに立ち上がるコモチ。
(なっ!!?)
あ~~~~~~~~~~~~~~・・・
(ごくり)
そうだったー(棒読)
子供が風邪で、妻にもうつって大変なんだったわー(棒読)
そんな訳で申し訳ないですが、お先に失礼しますわー(棒読)
出た!!
伝家の宝刀『子供をダシに使う』!!!!
コモチの近くに座っていた先輩社員が声をかける。
持田君も大変だね~
娘さん、まだ2歳だっけ? 心配だろゥ~
仕方ないよねェ~
早く帰って面倒見てあげなさいなァ~
いやぁ~仕方なくてすいません
仕方なくて・・
・・・
颯爽とコートを着て、カバンを片手にドージンの後ろを横切るコモチ。口元には邪悪な笑みが浮かんでいる。
(新刊楽しみにしていますよ、破壊王おはぎ先生?)
(くっ、会社で人をペンネームで呼ぶな!)
それじゃあ皆さん、お先に失礼しますー
帰宅したコモチ。
あの理由だと、なぜか皆とがめないんだよな・・
既婚者の特権か・・・うぅ結婚したい・・
◆
帰社したコモチの向かいの席、小生の脇から熱心にキーボードを叩く音が聞こえてくる。
(帰りたい・・帰りたい・・)
(カタカタカタカタ)
パソコンのモニターに映っているのはSNSサイトだった。どうやら仕事をしている訳ではなく、『帰りたい』というつぶやきをひたすら書きこんでいたらしい。
ランナーズNo.3 桐嶋もも (キリシマモモ)
通称『†綺螺羅†』(キララ)
某ネットゲームの姫
ネットの世界に帰りたい系女子
桐嶋さん、仕事頑張っているアピールうざいな
コモチに先を行かれイラつく小生が悪言を吐いた瞬間、ピクリと止まる綺螺羅の手。
・・・
SNS上で何者かが綺螺羅へメッセージを送った様だが、その内容を見たまま固まっている。
TO:綺螺羅 お前うざい
・・・
あれ?静かになった
◆
小生の向かいの席、派手な格好の女性がひじをつき綺螺羅の書き込みを見ていた。どうやら綺螺羅へメッセージを送ったのは彼女の様だ。
最初は面白い人かなと思ったけど・・
何か鬱陶しい奴をフォローしちゃったな
ランナーズNo.4 山田華 (ヤマダハナ)
通称『ビッチ』
六本木にくり出したい系女子
まあいい、とにかくチャンスが来たわね
『じゃあ私も帰ります』権の行使チャンスが!!!
小生の左手に座っている小太りの男性が、こちらの様子を伺っている。どうやらビッチと同じ様に『じゃあ私も帰ります』権を行使しようと機を伺っている様だ。
ランナーズNo.5 油谷慎吾 (アブラタニシンゴ)
通称『コーラ』
定期的な糖分摂取を必要とする系男子
『じゃあ私も帰ります』権・・・
誰かが場の空気をうまくまとめて帰った後、それに乗じ自然な流れで帰る事ができる権利
ただし何人も続いて帰ると不自然さが生じる為、ひとりのみ有効!!
すなわち早い者勝ちの権利・・
すなわち早いもの勝ちの権利
・・と思えるが・・
ここぞとばかりに立ち上がり、小生は勢いよく言葉を言い放つ。
じゃ、じゃあ小生もそろそろっ!!
あっ、私もそろそろ帰りま・・
負けずとくい気味にかぶせてくるコーラ。だが我々の様子を見計らってビッチがわざと大きな声で問いかけてきた。
ちょっとお二人さん?
お仕事で連絡事項があるのですがね!!
!!?
ぶい!!?
まず埜下さん!!
HKT社の開発プロジェクトの件ですが
私の担当分は完了しました
以降の開発は埜下さんの分が完了しないと着手できませんので!!
うぐっ!それは今・・
スケジュール押してますので、明日の午前中には終わらせてくださいね!!
それから油谷さん!!
部長から伝言です!!
ぶ、部長から!?
明日の午前中までに、月次定例の会議資料を用意して欲しいとの事です!
これは必要なデータです!!
はぁ?もっと早く言ってくれよっ!!
私も今日言われたので、文句は部長に言ってください
ぐぎぎ
言われたのは今日の朝だけど・・
急に畳みかけられて言葉を失う我々、そしてその隙をビッチは見逃さなかった。
そんな訳で
くっ、なぜ2回言った
声高にキメ台詞を言い、カバンを小脇に抱えてしゃなりと帰宅したビッチ。
あ~お疲れ~
やはり効果絶大・・
話を広げる要素も無いので、すんなり帰すんだ・・・
◆
小生の手には新しく淹れたコーヒー。一度閉じたノートパソコンを再度開き、何の意味も無いのだが、帰ろうとなんて全然思っていませんでしたよという素振りをする。何の意味も無いのだが。
タイミング良く仕事のバトンを渡し、動きを封じた後に権利を行使する・・
前にもやられた手をまたも・・くっ、落ち着け・・
コーヒーをごくりと一口飲み、小生は鍵のかかった自席の引き出しをそっと開けた。
中にはかなり痛々しいデコレーションがされた、通販で買った10得ナイフがあった。
くそ~毎日毎日遅くまで残業残業
糞虫共めが・・
どうしようもなくなって辞める時は、この聖剣『エクスカリヴァー』の封印を解いて・・
やぁ埜下君
遅くまで頑張ってて仕事熱心だねェ!!
おあっ!! お、お疲れ様ですっ!!
慌ててエクスカリヴァーを引き出しに隠す小生。
まだ仕事が残っているのかな?
え、ええ・・
明日の午前中までに仕上げれば良いのですけど、間に合わないかもしれないから残って終わらせようかと・・はは・・
ふむ、明日やれる事は今日やる
素晴らしいねェ~
5時間前から帰りたくて仕方ないですけどねっ!!
ランナーズの天敵 近藤爆 (コンドウバク)
通称『サービス』
残業こそ至高の思考
それに比べて、持田君も山田さんも早く帰ってしまって、ヤル気というのを感じないねェ
帰ったの23時過ぎですが・・
(イライラ)
山田さんも自分の仕事が終わったのなら、周りを手伝ってあげて欲しいなァ
まぁ役割分担がありますし・・ハハ・・
雑談している暇があったら、さっさと仕事して帰りたいわ・・
(イライライライラ)
油谷君もまだやっていくんでしょうゥ?
いやまぁ、終電が僕にとっての定時みたいなものですよ(大嘘)
コーラのやつ、うぜぇ・・
(イライライライライライラ)
いいねェ
社会人ならば仕事への責任何よりも優先しないとねェ
彼らは社会人としては失格と言う事かなァ
こちとらサークルスペースもらった以上、新刊を出す責任があるんじゃ!!!
仕事の責任なんか後回しなんだよ!!
サービスのあまりの言い様にブチ切れた小生は、引き出しに隠した聖剣エクスカリヴァーを構え、大声で叫んでしまった。
なっ・・
・・・(汗
はぁ、はぁ・・
・・一体何の話かね・・
というか、それは一体何なんだねェ・・
はぁ、はぁ・・
はぁ
・・・
・・・
・・・
辺りが静まりかえる。
はっ!?
その静寂が小生を我に返させた。同時にこの場をなんて収めるか、脳内のモーターが回転し出す。
あ、いや・・これは・・
う、うむ・・
ど、ドージン・・?
しゅ・・
宗教上の理由で帰ります!!!
エクスカリヴァーを逆手にもって、何かの偶像物のように見せてみせた。
何!!?
これも宗教的なアレです・・
そ、そうなのかねェ・・?
小生の熱量によって、年に2回、大きな同人誌即売会が行われるイベント会場の幻影が、周囲の人間に見えたとか見なかったとか。
・・や、やぐらとは・・?
まぁ別に何も疑っている訳ではないので・・
じゃあ、お疲れ様ッス!!!!
もう勢いだけで押し切り、その場から逃げる様に帰る小生。ポカーンとしたサービスとコーラへのフォローは諦めた。
・・・ま、まぁ
何か変な空気になったし、そろそろ自分も帰ろうかと思いますわ・・
う、うむ、私もそうしようかな・・
二人は荷物を片付け帰る支度をすると、先程からだんまりを決め込んでいる背後の男に挨拶をする。
じゃあ課長、お先にしつれいします
お疲れ様です~
帰宅するサービスとコーラ。
ランナーズの直属の課長
通称『カチョウ』
◆
一人取り残された綺螺羅。自分も帰りたそうに課長の様子を伺っているようだ。
・・・
・・・
先ほどからまるで反応の無い課長に勇気をだして声をかけてみる。
・・あの、課長・・?
私もそろそろ帰りたいなと・・
・・・
あ、あの~
・・・
・・・ぅ
!!!!!!!!?
反応が無い原因が分かった綺螺羅。
・・・・むっ?
おぉ、だいぶ寝てしまったようだな
・・・
おや桐嶋君
こんな時間まで残業とは宜しくないな
は、はい・・すいません・・
仕方ない時もあるとは思うけど、月40時間に残業が収まるように上手く調整してね
帰りの身支度をして席を立つカチョウ。
それじゃあお疲れ!!
帰宅したカチョウ。
・・・はぁ
おもむろにSNSへつぶやきを書き込み始める綺螺羅。
上司が帰らないと、部下が帰りづらい事に奴はいつ気付くのか?
気付いてくれるその日が来るまで、ランナーズ達の戦いは続くのだった
完
書き込んだ数秒後、また硬直する綺螺羅。
TO:綺螺羅 仕事しろ
・・・
ドージンの引き出しから聖剣を取り出し、奇声と共に降り暴れる彼女は、その日終電を逃したという。
つづく...