ルシュト

くくくっ、あはは!
これで、やっと殺せる!


先ほどまでと違って、視界はむしろクリアだった。

いや、世界は依然として血に満ち満ちていたけれど、単にもう気にならなくなったというだけか。


突然変わった“俺”に、魔獣すら戸惑っているようだった。
いや違う、戸惑ってるんじゃなくて怖がっているのか。

真っ白だった仮面を真っ黒に染めて。
殺意だけを帯びた俺を?

ルシュト

あは、なんて愉快


ずっと。
ずっと殺したくてたまらなかった。

だってそもそも、ふざけているにもほどがあるじゃないか……殺さない、“殺したがり”なんて。



もう一度クククッと笑った時、周りに倒れている人間たちが目に入る。
一番近いのは、ああ、もう死んだのだっけ。

残念だ、殺せない。


じゃあ他は……と辺りを見回して、気絶している男を見つけた。
赤の模様の入った装甲は、すでに血と区別できなくなっているけれど。

ルシュト

こいつ、えっと……ああそうだ、ササムだ

ルシュト

あれ?こいつから——殺せばいいんだっけ?


言っておいて、ああ違うと思い出した。
確かこいつは“僕”の友達だ、親友だ。
友達は殺しちゃいけないのだ……多分。

ルシュト

とりあえず、魔獣は殺していいんだよな?


そう言って魔獣を見れば、魔獣は低く唸りながらも俺に攻撃する意思を見せた。
愚かしいな、全く。


だけど魔獣は知らないのだから仕方ない。


どうして、色卓の中でも数番目に幼い僕を皆が選んだのか。

どうして、わずか十五歳ほどの子供を、皇帝にまで祀り上げたのかを。

ルシュト

仮面には色ごとに特徴がある――
クロの特徴は、欠点のないことだからだよ


普通、仮面ごとに使える武器は限られる。
白にその制限はないが、しかしそれは、白はむしろどの武器も満足に扱えていないということに過ぎない。

だが、黒はその反対。
どんな武器でも十全に使いこなす。

加えて黒の面は、軍国中を探せど点面すら存在しない。
唯一無二の最強――それこそが、黒の面なのだ。

ルシュト

さあ、殺してあげる


俺が踏み出せば、魔獣は初めて後ずさった。

怯えている?
立場が逆転したことに気づいて?

ルシュト

今更気づいたの?
――もう、遅いよ


言い終わるより前に、俺は跳んだ。

そのままアカの弾丸を撃ち、ミドリの拳パーツで殴り、ダイダイの剣で切り、モモの爆弾を爆破した。


魔獣の巨躯が地面に倒れて、地響きのように揺れる。
上がった土煙で見失わないように、俺はその体をつかんだ。

仮面で強化された握力に、ぐじゅりとつかんだところの肉がつぶれる。

ルシュト

あはは、まだ死んでくれるなよ?
まだ殺し足りないかんなッ!


もう一回。さっきと同じ攻撃を全て同じところに。

もう一回。もう一回。もう一回。もう一回。もう一回。もう一回。もう一か——。

陛下


声のした方にそのまま俺が打ち込んだ拳は、すんでのところで避けられた。

俺の後ろに立っていたのは、真っ青な仮面の男。

ルシュト

なんだ、アオじゃねぇかよ。驚かせんな

それはこちらのセリフです。
いきなり撃ち込まないでくださいませ


そう言って、アオは仮面を外した。
現れたのは、俺より少し年上の、精悍な美貌。

――うっかり、死にたくなるではないですか

ルシュト

あーはいはい、悪かった


死にたがり《スイサイド》のアオ。
彼は常に、死に場所を探している。

それと陛下。その魔獣……
もう、死んでおります

ルシュト

え?


振り返ってみれば、確かに息絶えていた。
俺の攻撃し続けたところだけ、異様に損傷が激しい。

ルシュト

うっわ本当だ。なんだ、もう死んだのか

陛下、魔獣は大事な資源なのですから
あまり傷めないで欲しいのですが

ルシュト

言うのが遅ぇよ


興醒めした俺は、クロ化を解くことにした。
そもそも、体にもそれなりに負荷のかかる所業だ。
“僕”の異様な睡眠量の多さも、もとはこれに起因しているのだし。

ルシュト

シュヴァルツ、起動停止


――起動停止、認識しました。停止中、停止中――

毎度毎度この声には嫌気が差した。
今度、チャに言って改善してもらおう。


――停止作業終了、停止します――


すぅと、体から、心から黒が引いていく気がした。

ルシュト

ああ……やっぱり僕、“なっちゃった”んだ……


目の前の、魔獣の死体、というより残骸を見て、僕は深くため息をつく。

次に確認したのは、仲間たちの無事だ。
いや、そもそも魔獣に襲われた時点で無事ではないけれど、それはだって……仕方ないだろう?


クロになるのは嫌だった。
僕は死にたがりでないから、死にたくはならないけど。
でも誰かを殺してしまったら、壮絶な自己嫌悪くらいには襲われるのだから。そう、普通に。


ともかく僕が殺してしまったものはいなさそうだ。
良かった。

確認を終えアオに向き直れば、アオもちょうど魔獣の損傷具合を見終わったようだった。
白の仮面である僕を見て、何だか不思議がるように口を開く。

やはり陛下が一番仮面アリとナシでは違いますね

ルシュト

そりゃあ、僕は……あんなに、おかしくないから

そう、ですか


アオは何かもの言いたげだったが、よくわからなかった。

ルシュト

それにしても、なんでこんなに来るの遅いんだよ

呼ばれた時にはもう、陛下だと分かっておりましたから、まぁ大丈夫かと

ルシュト

僕があっちになりたくないの、よく知ってるだろうが

ええ、それはもう知っておりますが。
されど我々とて……あちらの陛下が戦われるところを見たいわけでして


はぁ、とため息が出た。
結局この国には、“殺したがりの信者”ばかりってわけだ。

ルシュト

じゃあ、お前が倒したってことで、
処理は頼んだ

陛下はどうされるのです?

ルシュト

救援信号はすでに出したようだし
しばらくすれば、後援の救助部隊が来るはずだからな……それを待つさ

了解しました


アオは、装甲姿のまま、丁寧に頭を下げてきた。

これから本隊のほうに向かうらしい。
ついでに第六班戦線離脱の報告もしてきてくれるそうだ。

アオは仮面をかぶりなおして、

ああ、そうでした


背を向けて立ち去ろうとしたその瞬間、陛下、と小さく言って振り返った。

一つ言い忘れました

ルシュト

……なんだ?

陛下は“クロ”をお嫌いになりますが、しかし、あちらもまた……
いえ、あちらこそが、本当の貴方様なのだということを、お忘れなきように

ルシュト

……


僕は何も答えなかった。
アオはそんな僕に何を言わず、今度は黙って向き直って、もう僕のほうを見ることなく魔都の奥へと進んでいった。





一人残されて、僕、そうだと思い出した。

ササムに声をかけられて、忘れてしまった疑問、それは。

ルシュト

もしも魔獣が神の使いならば――
それを殺す僕たちはいったい何なのか、だ


同じ神なのか、それとも――

――悪魔、か

ルシュト

……くだらない


そう、考えるだけ無駄な、くだらないことだった。

ふと見た僕の手は、すでに“死なせたがり”のような真紅に染まっていた。

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