美雨

君とあの雨の森の中で出会う、三年ほど前に、わたしはエルリグに見初められて、強引に契りを交わされました。そして子を身ごもりました。ヴァンパイアの子です

 ガーネットは俺の傍に立ち、俺を立ち上がらせる。

美雨

子はエルリグが引き取り、育てました。それがあなたです

エンリケ

俺がガーネットの……子供?

美雨

正しくはわたしとエルリグの子です。あなたは生粋のヴァンパイアでなく、ダンピールなのですよ

 そんな! 爺さんは俺を引き取った時、父親と呼べとは言わなかった! 爺さんとでも呼べと! そしてファンテを俺の世話役に付けてくれたんだ。

美雨

あなたはエルリグの子。孫ではないのですよ。ダンピールは生粋のヴァンパイアより成長が早い。だから仲間たちから身を守るために、彼はそう嘘を吐いていたのです

 目の前にいる桐原の姿をした者が俺の母親?
 俺は今まで、自分の両親の不在について、何も考えた事はなかった。爺さんとファンテがいれば、それで満足だったから。
 爺さんは俺に嘘を言っていたなんて。

美雨

わたしが村を追い出されたのは、あなたを身ごもったから。理由は分かりますね? 前にも言いました。ヴァンパイアの子を身ごもるような魔女は村においておけないと。だからわたしは、わたしを魔女にしたあなたとエルリグに復讐してやろうと思いました

 やっと分かった。ガーネットが俺にちょっかいをかけてくる理由が。それは恨まれるには当然の理由だったが、子である俺は親を選べない。完全に奴の自己満足のために狙われていたんだ。俺自身は何もしていないのに。

美雨

エルリグはわたしを魔女にした。わたしは彼に復讐する権利がある。だけどそれだけじゃわたしの気は治まらない。だからエンリケ、あなたにも痛みを知ってもらおうと思った。あなたを痛めつければ、この中にいるエルリグも心を痛める。それがわたしには快感なのですよ

 ガーネットの言い分は分からないでもないが、完全に狂っているとしか思えない。俺は呆然としたまま、首を振った。

エンリケ

俺が美晴を殺すのも、お前の作戦の内だったのか?

美雨

君は気付かなかったかもしれないけど、わたしは君にチャームを掛けた。そして血のにおいに酔わせた。そうしたら面白いように美晴を襲ってくれた。美晴にも傾倒しはじめていた君が面白くなかったからね。美晴は道具であると同時に、邪魔者だったんだ。だってエンリケには美雨だけを見ていてもらいたかったから

エンリケ

桐原は俺に、美晴を嫌いにならないでと何度も言っていた! それすら演技だったといいうのか?

美雨

そうだよ。儚げな少女は君の好みだろう?

エンリケ

お前が俺にちょっかいをかけてきた時、桐原が何度も登場していた。あれはお前の魔法なのか?

美雨

君を襲うと同時に、影を操って美雨に君を助けさせたんだ。そうする事で君は美雨をますます好きになるだろう?

 なんてことだ。俺は完全にガーネットの手のひらの上で踊っていたんだ。俺はなんて間抜けなんだ。ガーネットの復讐のために命を落とした美晴に対し、俺の後悔がますます大きく膨れ上がっていく。
 それから、爺さんの行動のために人生を狂わされたガーネットに対しても、俺は同情する気持ちを抱き始めていた。

エンリケ

俺を殺せば満足なのか?

美雨

殺してもつまらないでしょう? わたしは君を痛めつけたいのだから

 ガーネットの復讐心は捻くれている。もうマトモな思考すらできないでいるんだ。それほど長い間、爺さんや俺を恨んできたから、思考が麻痺してしまっているに違いない。
 爺さんを奪い、桐原を奪い、ファンテを奪い、美晴を殺させた。これだけでも俺は狂いそうなほど苦しんでいる。それなのにまだ俺を追い詰めようというのか?

美雨

わたしを魔女にしたのはエルリグです。ヴァンパイアの子を産み落としたわたしは魔女になってしまったんだもの。だからエルリグが憎い。魔女と忌まわしく呪われた原因となった我が子のエンリケが憎い

 憎しみに囚われて、ガーネットはもう正常な心を持ち合わせていないんだ。それだけははっきり分かる。

エンリケ

ガーネット……

美雨

なにかな?

エンリケ

俺はお前に殺されるべきなんだろう。だけど俺からあらゆるものを奪って、それで満足できないのか? 俺の心はもう死んだも同然だ。それをまだ苦しめたいと?

美雨

ええ、苦しめたいですね

 あっけらかんと口にするガーネットは、もはや話し合う余地もないといった様子だった。

エンリケ

だったら俺は逃げる! 追ってこい、ガーネット!

 俺は屋上を駆け下りた。

 俺一人では何も出来ない。
 ファンテは死んだ。
 爺さんもガーネットに捕らわれている。
 誰も宛にできない。
 俺はただ闇雲に逃げていた。そして息が切れ、河原で倒れた。もう動けない。

美雨

追いかけっこが好きだね、君は

 ガーネットは音もなく俺の傍に舞い降りた。

エンリケ

もういい……殺せよ

美雨

ひとつ聞いていいですか?

 ガーネットは俺の隣に腰を下ろす。

美雨

あなたを殺せば、わたしは満足するでしょうか? わたしの復讐は終わるけれど、満足できるでしょうか?

エンリケ

できないだろうな

 俺は体を起こす。

エンリケ

復讐からは何も生み出されない。虚しさが残るだけだろうよ

美雨

答えをください。わたしは復讐を終えたら何をすればいいですか?

エンリケ

俺から全部を奪っておいて、まだ俺に頼ろうとするか。俺はお前が許せない

 俺はガーネットの首を締めあげた。ガーネットは苦しそうな表情すらせず、じっと赤い目で俺を見つめている。
 こんな程度でガーネットは死なないだろう。だけど俺の中の悔恨か、ガーネットを責めろと告げていた。

美雨

わたしが死ねば、エンリケは満足する?

エンリケ

しないだろうな。俺から、俺の想う人たちを奪ったお前を殺して、俺はこれからどうすればいいんだろうな?

美雨

お互い分からないね。だったらわたしは抵抗するよ。そしてまたエンリケを追いかける。君は好きなだけ逃げればいい。永遠に追いかけるから。終わりのない追いかけっこも楽しいかもね。きっとそれが答えだ

 ガーネットはクスクス笑って、俺の縛めを苦もなく解いた。

エンリケ

俺がお前に勝てるはずもない

美雨

分からないよ。君は自分で思っている以上に強いかもしれない

エンリケ

永遠の追いかけっこか。じゃあ俺は逃げる。いや、追いかける。ガーネット、好きなだけ逃げろ

美雨

じゃあ、逃げます。じゃあね、甘ったれダンピール君

 ガーネットはひとつのつむじ風となって姿を消した。

エンリケ

俺は……追いかける

 何もかもを失った俺に怖いものはない。俺はガーネットを捜すべく、ゆっくりと立ち上がった。血の色をした夕日が俺を照らしていた。

さよならの時(後)

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