弁当箱を前に、優希は唸っていた。周りの生徒も優希と同様、めいめいの弁当を机の上に広げている。昼食休憩である。
(うーん……)
(……ニンジンとエノキの明太子和え)
(ほうれんそうと油揚げのお浸し)
弁当箱を前に、優希は唸っていた。周りの生徒も優希と同様、めいめいの弁当を机の上に広げている。昼食休憩である。
一般学校ならば一日の中で最も教室が賑わう時間帯であるが、しかしヤドリギの教室は通夜のように静かだ。 生徒たちは皆、黙々と食事をとっている。
彼らが喋らない理由は二つある。
一つは、食事中の私語が校則で禁じられていることだ。彼らが宿している寄生虫の多くは、食事を通じて感染する。具体的には、生徒の身体や所持品に付着した寄生虫卵およびシスト(休眠状態の寄生虫)が、手指や箸を介して他の生徒の口内に入ることで感染する。この最も日常的な感染ルートを、お喋りと共に禁止する校則がなければ、ヤドリギはあっという間に壊滅してしまうだろう。
もう一つの理由は、このルールを破れば、破った者に発熱や下痢、隔離、手術の憂き目に遭うリスクがある、ということである。
そういうわけで、一同が咀嚼音のみをひしひしと響かせる中、優希は弁当を睨み続けていた。
(さば缶)
(アスパラガスのベーコン巻き)
(のり弁の海苔と飯の間に鰹節の層を挟んだやつ)
(どれも僕が好きで、かつよく使うメニューだ。しかし……うーん……)
優希がふと視線を上げると、早苗のサナダムシが机の上を這っていた。
どーしたの
……当然ながら、これも校則違反である。それも、かなり大胆な部類であり、教師に見つかれば反省文と三者面談の憂き目は免れない。優希は苦笑いし、とりあえず弁当を食べ始めることにした。
* * *
よーし昼休憩だ。食べ終わってない奴は給湯室に移れよ~。
先生はちょっと寝る。
食事の時間が終われば昼休憩となる。この時点で食べ切っていない生徒は、別室へ移動することで食事を続けることが出来る。そのタイミングで、早苗が話しかけてきた。
で、どーしたの
いやさあ。そのさ……。
言いにくいんだけどさ。
ゆーちゃんが言いにくそうにしてるってことは、圭ちゃん絡みね。バレてるから、内容の方を早急に。早急に勇ましく。
ううー。
いや、もし、早苗が知ってたら教えてほしいかなって。
その、ケイのさ。
圭ちゃんの何?
優希は辺りを見回し、一呼吸おいてから、声のボリュームを落として続ける。
……弁当のメニューを。
べ、弁当のメニュー!?
弁当ってあんた……
ちょっと、声大きい!
優希が慌てて早苗を制止する。
……ゆーちゃん、大胆……。
いや、だから小さく言ったじゃん、もー!
早苗が驚いたのも無理はない。というのも、ここヤドリギで「食の好み」は第一級のプライヴェートな話題だからである。何しろ、食事中の接触が無いため、誰が何を食べているかということは非公開情報にあたるのだ。
もちろん、横や斜め前の生徒の食事風景を見ようとすれば見ることは出来る。学校以外の場で、一緒に食事をすることもある。しかし、そうして知り得たことを話題にするのは、特定生徒の下着の色について話すようなものなのである。情報通の早苗にとってさえ、それは同様であった。
……誰かに聞かれなかっただろうか? 優希は心配だったが、まずは早苗に言い訳をしなければならない。
いやさ。兄さんが福引きで映画のチケット当てて来たんだ。その映画、興味ないから僕にくれるって。
それで土曜、明日なんだけど、ケイと行こうと思って。
だから弁当を作っていく必要があるのであり、何ら特殊な意図とかはない。
あるっしょ~~~~。
いやー踏み込みますな、ゆーさん。事実上のデートじゃないですか。
何ら特殊ではない。普段から遊びに行っている。
「じゃあフードコートで食えばええやろ」というからかいを飲み込んで、早苗は言葉を返す。
でも、悪いねー、私も知らないよ。さすがに弁当はね……。
明日の昼休みにサナダムシ這わせてみる? 圭ちゃんの机に。
いやいや、ダメダメダメ。いくら自在に操れるといっても、食べ物に絡むのはさすがに。
ていうか、さっきのも結構やばいって。
奥ゆかしいですなー、ゆーさん。弁当の話はする割に……
おや?
早苗の目線が優希から外れ、その背後に向く。そこには、いつの間にか尾上鯛子が立っていた。
………………
あ、尾上さん。ど、どしたの?
優希が振り返って話しかけるが、鯛子は黙ったまま、
右手を自分の胸の前に構えた。そして、小指と人差し指を立て、残りの指をくっ付けて前に突き出した。キツネのサインである。
………………
??
な、なに……?
その途端、キツネが、いや鯛子の右手が口を開いて喋った。
弁当、知ってる。
え? なっ……
キツネはなおも話す。
腹話術。
口、開きたくなくて、練習してた。ようやく実用レベル。
これで私も会話の輪に入れる。
空いている左手で、鯛子はピースする。
………………
それはそうと、上城石君の弁当、ちょっとなら分かる。
こないだ、口の中を舐めた時に残っていた味が……
なっ………!!
ちょっ、まじで、いや……
じゃなくて……声! 声量!
教えてほしい?
* * *
その日の晩、優希は自宅のキッチンで立ち尽くしていた。眼前には、またも弁当箱。ただし昼間とは違って、空の弁当箱である。これから中身の準備を始めようというのだ。
(………………)
優希。
腹が痛いとかなら、トイレは空いたわよ。料理に戻る前に、よく手を洗う事ね……。
由美(よしみ)兄さん。いや、そういうのじゃないんだ。
じゃあ、空の弁当箱を見つめてどうしようっていうの。排便しないというなら。
明日、映画行くんでしょ。圭君の好み、学校で訊いてきたんじゃないの?
それが……
* * *
爬虫類の血液。多分、ヘビの血ね。
はあ?
すごい精確な味覚だね
そこじゃない
味覚全般が精確なわけではない。舌に取り付いているウオノエのせいで、体液とか生もの系が特に判別しやすいだけ。
メカニズムはいいから!
常識的に考えて、飲んでるわけないでしょ。爬虫類の血なんて……。
……ヒトの赤血球は細胞核が無いのに対して、爬虫類の赤血球にはある。
ぷちぷち感が違う。間違いない。
いや、根拠はともかく、昼食に血を……
まむしの血じゃない?
え?
精力剤ってやつ。圭ちゃんも年頃の男子だからねー。
多分それだと思う
え? え?
ええーーーー??
* * *
……という話で……
ワハハ! そうかそうか、圭君も年頃だからな! 父さんも覚えがあるよ!
あなた、またいい加減な事を。あなた中学校くらいで私と出会った頃、既に女性化してたでしょうが。
……うちの家族、オトコ居ないからなあ。私もよく分からんよ。
福来家は全員がフクロムシの宿主であるため、出生時の性別に関わらず、発達の過程で身体が女性化するのである。従って、信頼できる情報ソースは得られそうになかった。
う~。どうしよ……。
(………………)
(……尾上さん、本当の事言ってるのかなあ。イマイチ掴み処がないよなあ……)
(いやいや、だからって嘘つく理由なんて無い)
(……はず……)
(…………)
(続く)