梅雨入りと共に異例ともされる事件が起こるとなれば必然と人はひしめくものだ。
 未だ絶対王権の座を譲ろうともしない王都には、その日、尋常ではない数の野次馬たちが広場に集まっていた。異常事態ともいえるこの状態に、根も葉もない噂話だけがどよめきとなって波を打つ。

Ars

一体何の騒ぎ?

 ほとんど偶然にこの王都を訪れた通りすがりの少年は、何事かと思い適当な野次馬へ問う。

Dirk

ん、なんだおめぇ、知らねぇのか

Ars

なにせ田舎モノだからね、王都の瘴気は山までは届かない

Dirk

そりゃそうだ

Dirk

……

Dirk

勇者様が処刑されるんだってよ、今日、正午に

Ars

ふぅん

Ars

勇者様、ねぇ……

Ars

それでこんなゴミの日みたいに集ってるんだ

Ars

皆抗議に来てる、って訳でもなさそうだね

Dirk

八割怖いもの見たさだろうさ

Dirk

どうせ、また偽物だったんだろう

それはまた無様に、正午を告げる鐘が鳴る。いつだったか解放の音を高らかに謳ったあの鐘も、いつのまにかただの音を打ち鳴らす青銅の板に降格していた。

Dirk

お、はじまるみてぇだ

 視線の先には、めったに使われないはずの処刑台が鎮座している。
 あの場所で誰かが血を流す様を、恐らくこの国の住人たちは初めて見るだろう。だが、田舎モノの少年からしてみればこの光景は少なくとも二度目だった。

Ars

そのようだね

 野次馬たちのざわめきが一層高まる。
 そんな邪魔者たちの姿を縫うように視線を飛ばせば、処刑台の階段を上る人物を視界に捕らえることができた。

00

……。

 勇者としての装備を剥がずにあの場へ立たせるのは、せめてもの情けなのかそれとも別の意図があるのか。
 どちらにしても、まぁ見事にそのままの姿で現れたものである。これから死ぬというのに、随分と堂々としているではないか。今から凱旋に向かうといっても初見ならば簡単にそう思いこむだろう。
 それほどに、勇者の姿からは恐れというものが見あたらなかったのだ。

Ars

あぁ、そうか

 神官らしき人物の建前など聞くこともせず、少年は、その処刑台に立つ勇者の瞳の奥に揺らめく願望を見る。
 いや、それを見抜いたのは少年だけではないだろう。戦火に焼かれ爛れた誇りを持つ者たちも、きっと勇者の、彼自身としての本懐を直感的に感じ取っていたに違いない。

殺せ

 しかし、それを感じ取るに到らなかった誰かがばかげたことを呟いた。

殺せ!

そいつの首を落とせ!

裏切り者!

偽物に死を!

勇者に死を!

 まるで一滴の雫が大波を引き起こすように、舞台は大荒れの否定と悪意によって悪天候の兆しを見せる。
 偽栄、悲鳴、罵倒、罵声、あらゆる感情を叩き込まれたはずの彼の表情は、大海を凍らせるほどに冷ややかであり、自然体であった。

00

あぁ、分かっている

 ──くすりと屈託のない笑顔でみせたそれはもう、いっそ哀れで仕方がないと戦友たちは言葉を失った。

 執行時刻の鐘が鳴る。

なんて顔だ、泣いてもいない、笑ってもいない

化け物め、これでおわりだ

どうして彼が死ななきゃいけなかったの? 誰も悪くはないはずなのに

偽物の勇者なんて、これで何度目だ

……失望

当然の報いだ

おい、おい、なんで皆とめねぇんだ? どういうことだよ、国の恩人だろ!?

哀れなヤツだ

この時代にさえ生まれなければ、きっと

おぞましい、おぞましい、これでようやく悪夢もおわる

00

──すまない

 静寂が包み様々な思惑が飛び交う中で、それはなんの抵抗もなく命を手放し、手向けられる花もないままこの世を去り、断片的に彼を知るものすらも表舞台から姿を消す。 

 ……興味を失った野次馬たちが広場からいなくなった頃、いまだ血の残る処刑台に少年は花も落とさずにため息を零す。

Ars

お前、死にたかったのか

 ここで断たれた血が、いかなる腐敗を呼び起こすのか。
 王都に知るものはもういなかった。

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