翌日、俺は約束通りに、放課後となる時間あたりに学校の階段へと向かった。
翌日、俺は約束通りに、放課後となる時間あたりに学校の階段へと向かった。
こんなところに幽霊……階段の怪談か……
我ながら面白くないダジャレを呟いていると……
こんにちは
わっ!
ごめん、びっくりさせた?
い、いや、そんなことないぜ?
今のダジャレ聞かれてなかったよな……
ここで話すのもだし、どこかいこっか
よかった、聞かれてなかった
……それと、さっきのダジャレは
聞かなかったことにするね
お、おう……
うわぁ、死にてぇ……死んでるけど
記念すべき初デートをオヤジギャグから始めてしまうとは、何たる不覚。
タカヤ君はこの学校の生徒だったんだよね。家も近くなの?
ああ、ここから徒歩15分ってところかな
……そう
あれ、俺、名前教えたっけ
少しだけ疑問に思ったけれども、彼女は俺をおいてすでに階段をすたすたと降り始めていた。
話きいてねえし!
あわてて追いかけていくと、彼女はふと階段の踊り場で足を止めた。
どっか行きたいところでもあるのか?
……そうだね。タカヤ君のおうち、
行ってみたいな
えっ、俺んち?
そ、そんな、まだ早すぎるだろ……
出会ったばかりなのに
って、俺ら幽霊だった
タカヤくんがどういう風に過ごしてたのか、教えてほしいな
そっか……いいぜ
ありがと
彼女は少しはにかんだように笑う。
それだけで、何だか細かいことはどうでもいいような気分になってくるから不思議だ。
パサ、とかすかな音がして、振り返る。階段の窓のところで、青いアゲハ蝶がはねを広げていた。
……アゲハ、
俺の様子見てんのかな
あの蝶、なに?
何だかイヤな感じがする……
うーん、なんだろうな?
俺はとっさにごまかした。公園住まいのお姫様が俺の居場所を把握するためにとばしてるなんて、彼女だって知りたくはないだろうから。
……知らないなら、別にいいわ
じゃあ、行こう
俺たちは学校を出ると、俺の家に向かった歩きはじめる。生前に通いなれた、通学路だ。本当に女の子と一緒に下校しているみたいで、少しドキドキした。
これで寄り道できたらサイコーなんだけど、店に入っても仕方がないしなぁ
食事もできないし、カラオケだって歌えない。映画ならただで見られたかもしれないと思ったけれど、もう住宅街まできてしまった。
いつもこの道を通って下校してたの?
ああ。妹がいて……まだ中学生なんだけど、
登校の時はあいつと途中まで一緒だった
妹さんがいるのね……
ああ。
……家に帰ったら、あいついるかもなぁ
死んでから三日目。今日は葬式だろう。そろそろ帰ってきていてもおかしくない。
自分の葬式のこと考えるのって、
なんかヤダな
家、行ってみる?
妹さん、もしかしたら
気付いてくれるかも
いや、それはどうだろうなぁ?
死んだその日の夜に帰ったら、
父さんも母さんも妹も……
誰も俺に気づかなかったから
諦めるのには早くない?
死んだその日だったら家族も
混乱していただろうし……
今だったら少し気持ちも落ち着いて、
気付いてくれるんじゃないかしら?
そう……かな?
思えばこの時に、何か疑問に思うべきだったのかもしれない。だけど、俺も心のどこかではまだ、家族や友達に気づいてもらえることに期待していたんだろう。
まだここにいるのに、誰にも見えていないなんて信じたくなかったのだ。
………………
何よりも、俺に家族と会うことを勧めた彼女がどこかさびしそうにも見えて。
この子も、可能性を
信じたいんじゃないか?
そんな風に思えてならなかったのだ。
少し離れたところで、青いアゲハ蝶が追ってきているのを見る。アゲハが俺の心配をしていたことを思い出して、チクリと胸がいたんだけれど。
もう一度だけあって、それで
ダメだったら踏ん切りがつくよな
俺は彼女と一緒に、家の中へと入ってみることにしたのだ。
リビングには誰もいなかった。よくよく考えれば、喪主なのだから、両親には葬式が終わった後にも色々やることがあるのだろう。
佳苗の奴は先に帰ってきているかな?
俺は二階に上がってみることにした。二階には俺の部屋と、妹の佳苗の部屋がある。リビングにいないのなら、部屋にいるかもしれない。
………………
彼女は黙って俺についてきていた。
名前を聞きそびれているのを思い出したけれど、この雰囲気の中で切りだすのもどうかと思って、後回しにする。まずは妹がいるかどうかだ。
あ、いた……
…………
カーテンを閉め切った部屋で、佳苗は机の引き出しをごそごそとして、何か探しているようだった。
…………佳苗?
何やってんだ?
お兄ちゃん……
お前、俺のことがわかるのか?
どうして死んじゃったの?
どうして、ってお前……
お父さんもお母さんも、泣いてるよ?
…………
俺だって……泣きたいよ
気づいてしまった。佳苗は俺に気づいて話しかけてくれたわけじゃない。引き出しの中で探しあてたものに、独り言を呟いていただけだった。
小さなケーキのマスコットがついたキーホルダー。何年か前に家族で行った祭の縁日で射的をやって、あてたやつだった。俺は別にいらなかったけれど、佳苗は欲しがったのでやることにしたのだ。
まだ、持ってたのか……
私だって、いっぱい泣いたんだからね
……知ってるよ、そんなこと!
見ていればわかる。家族が悲しんでいることくらい。友達にだって、泣いてくれる奴がたくさんいるだろう。
――だけど。
すぐそこにいても、言葉も通じない。姿さえ見てもらえない。ちゃんと答えているのに、何も伝わらない。伝えられない。
今泣いている人間のどれだけが、自分のことを覚えていれくれるだろう。
一ヶ月もすれば、あのクラスを満たしている重い空気だって、何ごともなかったかのように消えているだろう。
だから、諦めて旅立つのが、幸せなんだって。
そんなこと、受け入れられるわけがない。
もう会えないんだよ?
佳苗の呟きに、熱くなっていた頭の芯が、すっと温度を失っていった。
会えない。すぐそこにいるのに、届かない。
幽霊と生きている人間がいるのは、同じようでいて、きっと別の世界だから。
じゃあ、会えるようにすればいいのよ
……えっ?
妹さんも連れて行けばいいじゃない。
皆で一緒にいけば、悲しむ人は誰も
いなくなるわ
そう……だけど……
遺体に向かっていくら手を合わせても、想い出の品に語りかけても、そこにもう、高谷隆哉という人間は存在しない。
俺はここにいて、だけどどこにもいない。生きている家族にとっては。
住みなれたこの家に、帰ってこられない日が来るなんて思いもしなかった。
諦めて、死んだことを認めて、見送られて、ここではないどこかに――たとえば、天国と呼ばれるところに行って。
それは幸せだろうか。本当にそうだろうか。
そこに家族はいない。友人もいない。今までの人生で手に入れてきたものは、何一つもっていけない。
それは――本当に幸せだろうか。
みんなこちら側に来たら、誰も寂しい思いをしないし、忘れられることもない……
ああ、そうだな……
アゲハの言葉を借りれば、昼からも夜からも取り残された、永遠の黄昏の中にあるから。一度この黄昏にきたら、元の世界には戻れない。
死という名の夜に向かう以外に、道はない。朝はやってこない。
――それなら、こちら側にきてもらえばいい。
身の回りの人間が全員死んでしまえば、きっと寂しくない。永遠の黄昏も、得体のしれない夜も。
そこにいて触れられる。言葉が伝わる。人間だった頃に当たり前だった全てが、また手に入る。
私も、タカヤ君の妹さんとお話
してみたいな……
彼女の言葉は、魔法のように俺の頭の中に響いた。
全員が幽霊になったら、何もかもが元通りになつような、そんな気がして。
佳苗……
妹に、手を伸ばした。ああ、そうだ。連れて行けばいいんだ。妹も、両親も、友人も誰もかも。連れて行ってしまえば、誰も、泣かなくていい――。
――その時。
突然、部屋の中が炎に包まれた。
か、火事!?
な、何なの……!?
火事じゃねえよ、俺だ!
よく見ると部屋が燃えているわけじゃなかった。佳苗は気づいていないし、燃えているのはトウカイさんとトウカイさんの乗っているバイクだけだ。
って、室内にバイクで
乗り込まないでくださいよ!?
こまけえこと気にするなよ。
俺はお前を助けにきたんだぞ?
助けに……って、あっ……
ひらりと、あの青いアゲハ蝶が部屋の中にふわりと舞って、トウカイさんの肩にとまった。
だから、難しく考えるなと言ったじゃろ。
お前は、案外頭が弱いのう
蝶から、アゲハの声が聞こえてきた。
まったく、だからあれほど悪霊には
気をつけろと言ったのに……
あ、悪霊……?
…………!
このお嬢ちゃんは、死んだばかりの霊を
そそのかして生きてる人間をとり殺す
悪霊って言うことだよ
さてさて、観念することじゃな。
荒っぽいことはしたくないのじゃが……
……やっぱりあの蝶は霊体だったのね。
早くに殺しておけばよかったわ
いまだに名前も知らない彼女は、青い蝶とトウカイさんを交互に睨みつける。
その光景を前に、俺は混乱していた。すぐそこにいる佳苗は、自分の部屋が幽霊たちの争いの部隊になっているなんて気づいてもいないようで。
そもそも本当に、彼女って悪霊なのか?
この期に及んで、俺はまだ信じられずにいる。
学校につい様子を見に来てしまうって、そう言っていた彼女の顔がとても寂しそうで、悪い霊になんてとても見えなくて。
お嬢ちゃんには悪いが、大人しく消えて
もらうしかねえな。他の幽霊や生きた人間を
巻き込む前にな
馬鹿なこと言わないで!
この子が呪い殺されてもいいの?
…………
彼女が盾にしたのは、何にも気づいていない佳苗で。だからもう、疑いようもなく彼女は悪い霊のはずだった。
――それでも。
アゲハ、トウカイさん。
その子を見逃してあげてくれないか?
うつけが!悪霊を放置する気か?
こやつはお主の妹をとり殺す気じゃぞ?
タカタカよ、さすがにそれはねえよ。
あと一歩遅かったらお前も悪霊になっていたかもしれないんだぜ?
でも、大丈夫だった、皆がいたから。
そして、彼女が盾にしたって、妹のことは
護ってくれるんだろ?アゲハ
…………護る手がなければトウカイはそこで
突っ立っておらずに、問答無用でそのおなごを消しておるよ
やりたかぁねえけどな
…………!!
じゃあ、見逃してあげてくれ。
一応これでも、人生……終わった後だけど
初めてのデートだったんだ。
こんな終わり方、やだよ
……? 何を言って……
そうじゃ!この者はお主の妹を
手にかけようとしたんじゃぞ?
そりゃそうだけど……無事だったし、
そもそも俺がアゲハの忠告聞かなかったのが
悪いんだから
シノ姉さんだって、山田さんだって、
最初からあんな風になれてたわけじゃ
ないんだろ?
俺は最初からこんなだぞ?
トウカイさんは規格外だよ
じゃな。お主はむしろ成仏してないのが
不自然なほどに未練がないぞ?
そうかぁ?
自覚ないんだ……
とにかく、さ。悪霊っていってもさ、
無害な霊になる可能性はあるってことだろ?
なら、それまで待ってちゃダメなのか?
それまでに何人が犠牲になることか
わからぬぞ?
止めてやればいいじゃん。何度でも
ははっ、面白れえこと言うな、タカタカ。
悪霊につられて妙なことになった奴は
今までにもいたけど、助けようって言った
お人好しはお前が初めてだぜ?
笑い事ではないぞ……
幽霊になったらさ、誰にも何も伝わらない。
生きてる人が俺のために何をしてくれても、
俺が受け取れるのは気持ちだけ、だろ?
だからさ、わかるんだよ、悪い方向に気持ちがいっちゃうのもさ。
それなのに、死んだあとまで救われないなんて、嫌じゃないか?
…………
彼女は呆然としていた。
佳苗のことはもう目に入っていないみたいで、だから俺は自分が間違ったことをしたわけじゃないと確信できた。
もう一度言うけどさ……
俺と一緒に黄昏公園に来ないか?
貴方、私がしていたこと見ていたでしょう?
そりゃあ、まぁ……
わたしはいじめが原因で自殺した。
人間が憎いのよ。みんな死ねばいいって
思っているのよ?
うーん、そうかな?
本気でそう思っているなら、俺なんかに声をかけずに、生きている人間をかたっぱしから呪ってたんじゃない?
それは……
あくまで俺の推測ではあるけれど、彼女はきっと、生きている人間との繋がりを求めていた。
生きていた頃に救われなかったからかもしれないし、彼女自身ももしかしたら悪霊によってそういう風に変わってしまったのかもしれない。
いずれにしても、わざわざ死んだばかりの俺に声をかけて、その関係者を巻き込むなんて回りくどいことをするのは、無意識に生前に満たされなかった気持ちを埋め合わせたいからなのでは、と。
なぁ、今更なんだけど聞いてもいい?
な、何?
君の名前、教えてもらってないから
…………
彼女は驚いた顔をして、だけど少しだけはにかんだように、笑う。
……奈緒。鈴木奈緒よ。
そして、彼女のまわりが. 淡い光に包まれる。
えっ……?
気づいたらそこには彼女――鈴木奈緒の姿は消えていた。
状況が把握できないでいる俺と、同じく燃えているバイクの上でポカーンとしているトウカイさんと、ひらりと舞う青いアゲハ蝶。
そして、俺たちのやりとりにはまるで気づかずに、キーホルダーを胸にぐすぐすと涙ぐんでいる佳苗。
どういうことなんだ?
どうやら成仏したようじゃのう
えっ……だって、名前聞いただけで……
お主の言葉で未練が晴れたんじゃろう。
全く、お人好しが悪霊を救うとはな……
まぁ、満足して成仏したんなら結果オーライでいいじゃねえか。な?
そっか、でもちょっと残念だな。
仲良くなれそうだったのにさ
デートも途中だったし……
この状況でデートのこと気にするタカタカの無駄な図太さ、嫌いじゃねえぞ
……心底呆れ果てたわ
仕方ないでしょう、初デートだったんですよ
あと、いい加減タカタカはやめてください
部屋が急に明るくなった。
泣きやんだ佳苗が、カーテンを開けたせいだ。夕方の光が部屋に差し込む。空は金色に染まっていて。
ああ、そういえばあの公園で目を覚ました時も、こんな色の空だったな
眩しい光に、目を細めた。
未練に縛られてさ迷っていた彼女が俺の言葉で少しは救われて、この金色の光の中を旅立っていった。
そう思えば、自分がここにいる意味はあったように思う。
突然死んでしまって、生きている家族に、友達に、何もできることはなくても、終りを選ぶだけが道じゃないと思えた。
そうか……だから黄昏公園の皆はあんな風に前を向けるのか
生きている人の世界とは見えない壁でへだたれている、幽霊の世界。
朝を迎えることも、夜にまどろむこともできない、永遠の黄昏時。
そこにずっと居つづけることは、悲しくて、寂しくて、だけどどこか優しい。
タカヤよ。お主、これからどうする?
もう悪霊に引っかかる心配はないかとは思うが、このまま大人しく成仏するか?
青いアゲハが俺の肩にとまった。
蝶から声が聞こえるというのも不思議な気分だ。
うーん、成仏するのがいいんだろうけど……
このまま逝く。通夜を終えて、葬式を終えて、小さな箱に骨を詰め込まれて。
捧げられたお経を聞きながら、四十八日の後に旅に出る。
そこで高谷隆哉という存在は、本当の意味で終わってしまう。その先にもし何かがあるのだとしても、この世界からは消えてなくなる。
それが、一番穏やかで、優しい結末。
永遠に存在し続ければ、自分が容赦なく忘れ去られていく様を見なければいけない。佳苗が俺の年齢を追い越すのだって、何年も先の話じゃない。きっと滅入るイベントに違いない。その時はもしかすると、少しだけ世界を、人間を恨んでしまうのかもしれない。
だから、眠ってしまうのがいい。
さよならを、しなければ。
自分が生きてきた、この世界に。
佳苗
もう一度、名前を呼んだ。
聞こえないのはわかっている。伝わらないのもわかっている。
父さんと、母さんに、伝えて。
早く死んで、ごめんって
ただの、自己満足かもしれないけど。
死にたくなかったけど、
生きたかったけど……仕方ないもんな
届かない場所に、手を伸ばした。
小さい頃のことを思い出す。走って、転んで、泣きやまない小さな妹の手を握って、家まで歩いたいつかの日。
あの時も今日みたいに、綺麗な黄昏だった。世界が金色だった。
……今まで、ずっと、ありがとう
それは、何の偶然だったんだろう。
窓も開けていないのに、何もいないはずなのに。
カーテンが一瞬、ふわりと動いて。
……お兄ちゃん?
佳苗が、振り返った。
タカヤは笑った。多分、見えてはいないだろうな、と思いながらも。
案の定、佳苗は首をかしげて。
…………
だけど、涙をためた目元をぬぐって、微笑んだ。
その笑顔が見られただけで、一瞬の奇跡には充分な価値がある。
自分を悼んでくれた全ての人の幸せを願うだけの、意味が生まれる。
小さな頃のことを、もうひとつ思い出した。
まだ俺と佳苗が小学生の頃だ。亡くなった祖母の葬式の帰り道だった。
人の死を悲しみ泣き続けられるほどは大人じゃなくて、人の死から無邪気に目をそらせるほどは子供じゃなかった。
『お兄ちゃん、おばあちゃんは天国にいけたの?』
『いけたんじゃないかなぁ』
『天国にいけない人はゆうれいになるんだよね?』
『うーん、うちのばあちゃんは大丈夫じゃないかな』
『ゆうれいさんは、天国にいけなかったら、どこにいるのかな』
『うーん? その辺を歩いているんだよ、きっと』
ほら、その辺に。と指さしたら、佳苗は火がついたように泣き出した。
何もいないって、冗談だって、言い聞かせるのに苦労した。今だったら、もうちょっといい答えを言ってやることができるのに。
幽霊なんて、何も怖いもんじゃない。
だって、元は人間なんだから。
――人間と同じように、泣いたり笑ったり怒ったりしながら、日々を過ごしているに決まっている。
――それから、半月後。
タカヤ二乗、成仏しちまったのかなー
トウカイさんが公園に捨てられていた雑誌のページをめくりつつ、呟く。
三流ゴシップ誌の安っぽい誌面に、『納涼! 怪奇特集第一弾 白昼の市街地を疾走する火の玉ライダー』なる見出しが躍っている。
シノ姉さんがその誌面を覗き込んで、げんなりとした。
もう……。この公園の怪談増やさないでよ
あー、タカヤ二乗の所に乗り込むのに、
住宅街突っ切っていっちまったからなぁ
やめてよね。変なオカルトマニアが肝試ししにきたらどうすんのよ
俺はこの公園内で目撃されたわけじゃなないから、いいだろ?
むしろ、シノちゃんの飛び降り癖のせいで、あのマンションがオカルトマニアの間で話題になっているらしいけどね
え、ホント!?
山田さんにやんわりと指摘され、シノ姉さんが慌てふためいた。
バス停からすぐそこ、駅まで徒歩十五分。決して酷い立地ではないにも関わらず、彼女が飛び降りしたマンションは、1LDK三万円の破格の家賃だ。
昔ならともかく、今は怨念つるっと忘れちゃったから、よほど霊感ある人じゃないと見えないと思うわよ
でも、一度悪い噂がつくと、なかなかねぇ
もうそろそろ時効よ
現在進行形でコードレスバンジーを続けているにも関わらず、シノ姉さんは厚かましく時効を主張する。
空が暮れなずむ黄昏時。
薄く流れる雲はオレンジ色。西の金色から東のラベンダーへと、美しいグラデーションで染まっていく。
皆のもの、静かにせい
滑り台のてっぺんにある手すりに腰掛けていたアゲハが、ひらりと地面に降り立った。
すたすたと、公園の入り口にある門へと歩いていく。
誰からともなく、その後ろにぞろぞろとついていった。
全く、遠慮せずに入ってくればいいものを
いや、何か楽しんでいるとこ、悪いかな……っと思って
こやつらが騒がしいのはいつものことじゃ
アゲハは不敵に笑んで、手を差し出す。
ようこそ、黄昏公園へ
白く美しい彼女の手に、俺は自分の手を重ねた。
今だったら、天国にいかなかった幽霊がどこに行くのか、答えられるよ。
生まれだす朝でもなく、死にゆく夜でもなく。
黄昏時で立ち止まっているのが、幽霊なんだって。
だから、もう少しだけ。
俺が好きだった人の未来を、ほんの少しだけ、ここで立ち止まって見ていたい。
もし、生きる世界が恋しくて、だけど逝くこともできずに立ちすくんでいる人がいたら、そっと背中を押してやりたい。
そのために、俺はこの永遠の黄昏の中にいよう。
それは明日終わるかもしれないし、佳苗が俺の年齢を追い越すくらいかもしれないし、幽霊として再会してしまうくらい、先かもしれないけれど。
えーと……? ただいま、かな?
俺は、黄昏公園に帰って来た。ほんの少しの未来が欲しくて。
永遠の黄昏の住人達が、微笑んでいる。
――おかえりなさい。