― 二日目 ―
― 二日目 ―
鳥の声がかしましい。
クルーゼはぼんやりと目を覚まして、
そのにぎやかなさえずりに顔をしかめた。
………………
クルーゼの家は森の中に建っていたから、
朝、鳥の声がするのはいつものことだ。
けれども、今日は格別にうるさい気がして、
クルーゼは思わず呻いた。
……っるさいなあ……
うるさーい!
クルーゼは思わず叫んだ。
といっても、家の中で叫んだところで、
窓の外では相変わらず、ぴーちくぱーちくかしましい。
鳥に八つ当たりしても仕方ないか……
クルーゼは渋々ながら、起き上がることにした。
ねっむー――
お早う、お兄ちゃん
お早う、クルーゼ。
起こさないから起きてくるなんて珍しいね……
くすくす
うう……たまにはこういうもあるの!
はいはい。じゃあ今日は
ちゃんとゆっくり朝食を食べて出て行けるね
せっかく早く起きたんだから
たまには早く学校に行ってみる!
そうですか……
いってきまーす!
クルーゼー!
暗くなる前に帰ってくるんですよ!
森に消え入る後ろ姿を、兄の声が追いかけたけれど
返事は返ってこなかった。
見慣れた校門。
見慣れた校舎――廊下……。
それなのに、どこか違って見える。
ほんのちょっと早いだけなのに、
辺りにはまるで人気がなくて
もう登校してるはずの先生たちの気配さえ、
どこにも感じられない。
なんだか不思議
クルーゼは一人呟いて、廊下を歩き出した。
誰もいない廊下――磨かれた床に映るのは
真っ白な光と黒光りした影だけ。
その中をクルーゼ一人だけが通り過ぎていく。
移り変わっていく。
他には何も変わっていくものないのに。
本当に……
他に誰もいなくなってしまったみたい
そういって、角を曲がったその時、
大きな音が廊下中に響きわたった。
見ると、仏頂面した少年が一人。
………………
その足下には、たくさんの本が散乱している。
あ……
あたし、ぶつかっちゃったのかなー
ぶつかった気はしなかったけれど、
気づかなかっただけかもしれない。
あのっっっ
謝ろうと顔を上げる。
………………
けれども、少年は
クルーゼなどおかまいなしに
散乱した本を拾おうとかがみ込んでいた。
慌てて、クルーゼも
残った本を拾い集める。
あの……すみません……
………………
この本、どこに運ぶんですか?
一緒に持ってきます
少年は一瞬目を向けて、そのまま何もいうでもなく
クルーゼが拾い上げた本も取りあげて、歩き始めた。
どうしようかな……
少年は一瞬目を向けて、そのまま何もいうでもなく
クルーゼが拾い上げた本も取りあげて、歩き始めた。
途方に暮れる気持ち半分、
申し訳ない気持ち半分で
クルーゼは少年の後をついていくことにした。
廊下を通り抜け、階段を上がり、
また廊下を進み……
その頃には、クルーゼにも
少年がどこに向かっているのか、察しがついた。
………………
クルーゼは先回りして、図書室の扉を開いた。
どうぞ
………………
少年はやはり一瞬だけ目を向けて
何もいわずに中に入っていく。
クルーゼも後を追って、中に入った。
図書室の中に入るのは初めてだった。
クルーゼは、もともとすぐに家に帰るせいで、
あまり学校の施設を利用する方じゃない。
うちの書斎と
ちょっと雰囲気が似ているかな?
ふと、先ほどの少年のことを思い出して
辺りを見まわすと
少年は本が積み上げられたカウンターの前で
立ち止まって固まっていた。
どうやら置くところがなくて
途方に暮れているらしい。
クルーゼは積んである高さの低いところから
他の場所に振り分けて、
なんとかわずかなスペースを作ってあげた。
これならどう?
………………
少年はやはり黙って、本をおろした。
その時、
予鈴だ!
大変、急いで職員室に行かなくちゃ!
クルーゼは慌てて、身を翻した。
………………
階段を駆け上がり、廊下の角を曲がる。
すると、後ろの方に学級担任の姿が見えた。
クルーゼはラストスパートをかけ、
教室に滑り込む。
はぁぁぁ。間に合ったぁー
おはよう、クルーゼ。
相変わらずぎりぎりね
うううう~
おはようー。
でもでも、今日は一応
早く学校には来てたんだもん
へぇーえ
フォルテは疑いのまなざしでクルーゼを見た。
……信じてないな
そんな話をしているうちに学級担任のヴィルムが
教室に入ってきて点呼用の名簿を取り出した。
ヴィルム
では、点呼を取りますよ
ザワザワしていたのが、わずかにおさまって、
名前を呼ぶ担任の声だけが、教室の天井近くから
生徒たちのいるところまで届いてくる。
決して大きくないその声が、ちゃんと教室の隅まで
届いて行くのが
クルーゼにはいつもちょっとした不思議に見えた。
いつもは騒がしい学校も、授業中だけは
校舎中がしーんと静まり返る。
かりかりと黒版にチョークを走らせる音が自棄に大きく響く。
耳をすませば、
窓の外から街のざわめきがかすかに聞こえて
クルーゼは想いにふけるように、その音に聞き入った。
クルーゼははっと我に返った。
外の音を聞いているうちに
いつの間にかうたた寝していたらしい。
午前中の授業って本当にあっという間ねぇ
うん
クルーゼは寝てたからでしょ
………………
クルーゼの笑顔が凍りついた。
んで今日はお昼どうする?
屋上のテラスで食べようよ
学校舎は斜面に建てられているため
屋上といっても、丘の上の芝生とつながっていて
ちょっとしたピクニック気分が味わえ、
絶好のお弁当スポットとなっている。
屋上の柵のそばに陣取れば、街並みを眺めながらの
普通の屋上気分が楽しめて
一粒で二度おいしいロケーションだった。
遠くには、谷を見下ろす白い山々が、
青空をふちどるようにぐるりと浮かんで見える。
山に囲まれた小さな谷の中は、いつでも暖かかった。
今日もいい天気ね
ホント。このところ、あまり風が冷たくなくて、歩いててもすっごい楽~
歩いていても?
……何か問題でも…?
クルーゼの場合、
走ってるから、
風の冷たさが問題なんじゃない?
そんなんじゃないよ~
谷の中は暖かかったけれど、
今頃の気候は、一年中で最も心地良かった。
風もほとんどなく、陽射しもうららかで
気を抜くと、魂が抜けてしまいそうなほど……
というか、
かなりの人数の生徒が昼食の後、
昼寝を決めんでいた。
芝生の上って、日が当たってるとすごくあったかい~……
……はっ。あら?
私ったら、こんなところでうたた寝してたみたい
ZZZZZZZ……
ちょっと! クルーゼ!
起きてよ。午後の授業が始っちゃうじゃない
……ん~~~……
ほら、もお。いくわよ
……ん~~~……
フォルテはクルーゼを引きずって、屋上を後にした。
少しだけフォルテと仲良くなれた。
………………
本を使って、あてられたものが朗読をする。
その中から、知らない単語を書き取りをする。
作業をしているようで、手元の小さな黒板に
書きつけをしている字が、ぐねぐねと曲がって行く。
文字がまっすぐ書けないー
クルーゼは心の中で叫びながら、
必死で瞼を今にも落ちそうになるのをこらえていた。
― 2時間経過 ―
響き渡る高らかな音に、クルーゼは
はっと我に返った。
……やば…
クルーゼ、よく寝てたわね
あはは……なんか今日、
特に眠かったみたい
クルーゼ、当てられてたのに、
全然起きないんだもの
えー! 当たってたの?
当たってた。朗読を読む係
起こしてくれればいいのにー
そんなの、起こしたわよ。
クルーゼが起きなかったんじゃない
ひええ……
そんな……
まぁ、クルーゼだけじゃなかった
けどね
……そーなんだ。
ちょっとホッとしてみたり
カイー帰ろうぜ
おーう
級友たちは三々五々、雑談をしながら、
既に散りはじめていた。
じゃ、委員長、フォルテ、また明日!
カイはそういうと、他のクラスメートと一緒に
教室を出ていった。
さて、と。クルーゼ、
今日はこれからどうする?
用事あり?
クルーゼは授業が終わると、ほとんど
まっすぐ帰ってしまっていた。
けれども今日はどことなく、放課後の学校に残ってみたい気になった。
んー特に用事はないよ
そう? 時間あるんだったら、うちの部活来ない?
そうだなぁ……
どうしようかと考えたところで
ふと「図書室」という言葉が頭に浮かんだ
図書室……。
ふと、何かが
クルーゼの頭の中をかすめた。
何か……最近、学校の図書室に関する話題が
出たことがあった気がした。
多分……気のせいではなく……
あっ
そういえば、
図書室に用があったんだ
どうしたの突然?
お兄ちゃんに本を頼まれていたの忘れてた!
あれ? でも今
図書室閉まってなかったっけ?
そうなの?
でもとりあえず行ってる
じゃあね!
そういうとクルーゼは
教室を出ていった。
階段を降りて、廊下を抜けて
渡り廊下を通って、また階段を登る。
その突き当たりに、
ひっそりとした佇まいの図書室がある。
― 閉館中 ―
“閉館中”か……
クルーゼは図書室の扉の前で
途方に暮れた。
街の史記に関する本ってすぐ必要なのかなぁ?
しょうがない。
また今度来るか
しばらく扉の前で唸ってみたものの
ねばってみたところでどうにもならない。
クルーゼは肩を落とし、図書室を後にした。
お遣い果たせなかったなあ……
まあ、仕方ないか。
今日はまっすぐ帰ろうっと
ただいまー
お帰りなさい
クルーゼ
着替えたら、夕食のお手伝いを
お願いできますか?
はーい
学校での慌ただしい一日が終わると、
家では、いつもの通りの静かな夜が待っていた。
クルーゼの住む上ノ森では、
森の中に家々が散在していて、
昼間でも、人の行き来はほとんどない。
夜になってしまえば、なおさら。
辺りにはフクロウの声が聞こえるばかり。
静かな森は
いつもと何も変わりはないようだった。
っと……。そういえば
頼まれていた本だけど、明日でもいい?
ええ、もちろん
そう、よかった。
今、図書室が休みみたいで借りられなかったんだ
休み?
」
うん。このところずっと閉室してるみたい
そうなんですか……
………………
何か急ぎなの?
いえ、そうじゃないんです。
学校なのに図書室が休みなんて、
生徒さんたち自習が出来ないんじゃ
ないかなって…
ちょっと心配になったものですから
そうなの?
まあ、クルーゼはあまり遅く学校に残ると
帰りが遅くなってしまいますから、
どちらにしてもあまり関係ないですね
……お兄ちゃ~ん
保護者というのは
いろんなことを心配してるもんなんです
はぁい
保護者……ねぇ?
クルーゼ?
ううん、何でもない
本はそんなに急いでませんから、いつでも構いませんよ
了ー解ー
……さて、寝るか
夕食が終わり、自室に戻ると、真っ暗な部屋に
一筋、わずかな光が射し込んでいた。
………………
その細い光の道をたどるように、カーテンを
開けて、窓の外を覗けば、
消え入りそうに細い月が
西の空に傾いて見えた。
うすいむら雲が流れ、三日月を霞ませ、
その光と言葉にならない言葉を交わしているうちに
瞼を開けていられなくなった。
眠……………
一日の疲れがどっと出て、
もう起きてられないと思うと
他のことは何もかも忘れて、早々に
ベッドに潜り込んだ。
― 二日目終了 ―