この心臓は誰のもの?

心臓を捧げる相手はただ一人。
夢中でその人を愛していた。
頭のてっぺんから爪先まで全てが愛しい。
頭の中、ぬるつく脳みその中を全て理解したい。
60秒、一分と称される時間の中で何度呼吸をする?心臓が脈打つ回数は?まばたきは?まつげの数は?
今日は何本髪の毛が抜けましたか?

溶けた思考が随分と病的であるのは十分に理解しているのだ。
理解はしているが認めたくはない。
だって、認めてしまったら他人とは一生わかりあえないってことになってしまう。
結局、人はたった一人、誰にも理解されずに生きていかなくてはならないのだと。

「じゃあ、お前は、自分の髪の毛が一日に何本抜けるのか知ってるの?今日の昼食で自分が何回噛んだかは?呼吸の回数を把握してるの?」

友人の言葉を聞いて気づく。ああ、確かにそうだ。
自分自身のことでもそんな細やかなこと、知らない。
「(じゃあ、あの人のことも知らなくても、いいな)」

「お前は馬鹿だね。僕は、そんな馬鹿を友人だと思っているから言うけど」
そんな前置きをして彼がいう。

「どんなに好いた相手がいたとしても、その人だけで世界は構成できてないんだから。入れ込むのも程々にしなよ」
彼の言葉に納得できずにそれでは他に誰がいるのかと聞いた。

「友人とか家族とか…いるだろう?大切な人が何人も」
彼の言葉に誰一人頭に浮かばない自分は哀れな人間なのだと思った。

「(結局)」

あの人の全てを理解できないとしても、この心臓はあの人に捧げるべきなのだ。

心臓はあげるから、どうか、愛してほしいのです。





(心臓くらい自分で所有しなさい)

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