ロンドン、シティ・オブ・ウェストミンスター。

英国の地海空兵力を支える製造会社ヴィッカースの本社ビルを前にして、ガンジーは急制動をかけた。

ガンジー

インドからイギリスまで12秒、

ガンジー

思ったより時間がかかってしまったのは、おそらく……

お釈迦様

そうです。今のあなたの身体能力は、”お徳ポイント”の残量に依存しています

ガンジー

つまり、非暴力(アヒンサー)で闘えば闘うほど、私は弱くなっていくと?

ガンジー

お釈迦様、そういう大事なことは早めに教えて頂かないと

お釈迦様

だってあなた、取り込み中だとか言って、私に喋らせてくれなかったじゃないですか……

偉大さとは、その者が己の行く道でどれ程の徳を積んだかとも言い換えられる。

すなわちそれは、偉人の戦闘力が徳の総量に依存するという事。

”徳”を消費しながら闘い、そして許してきたガンジーの拳が、肉体が、正確にはその肉体にまとう”徳”の光が、消耗し疲弊しているのは、至極当然の事であった。

ガンジー

なに、あとはここにいる男一人、許してやるだけの事です

ガンジー

では

それは私のことかね、マハトマよ。

どこからともなく届いたその声に、ガンジーは身構える。

直感した。

過激派の者達を煽り立てた武器商人が。

釈迦がその討伐をガンジーに託した、魔の者が。

今自ずから姿を現したのだ。

ガンジー

何奴!

ガンジーの発した言葉は、薄い”徳”の膜を通して自動的に翻訳され、相手の耳にその真意を違う事無く届ける。

非暴力翻訳(アヒンサートランスレイト)だ!

スーツの英国人

ようこそ、ヴィッカースへ

スーツの英国人

はるばるインドからおいでとは驚きだ

スーツの英国人

お茶でもいかがですかな。良いアッサムの葉がちょうど入ったばかりでしてね

ガンジー

ヴィッカース取締役、アラン・ヴィッカース

一定範囲に”徳”の粒子を飛ばし、超高速で情報を集めて顔と名前を一致させる非暴力人名検索(アヒンサーネームサーチ)で、ガンジーは目の前の男の名を確かめた。

だが同時に、その名が仮初めのものであることも、ガンジーは知っていた。

お釈迦様

やはりまた、あなたの悪意なのですね

お釈迦様

魔神(マーラ)よ!

釈迦の一喝と共に、天から注ぐ雷がアラン・ヴィッカースを貫いた。

人を欺く偽りの姿を焼き尽くし、魔の者の正体を今、看破したのだ!

そこに現れたのは、見るもおぞましき醜悪な魔物。

岩と苔の鱗を持った、ビルをも超える巨大な龍魚。それこそが魔神(マーラ)の真の姿だったのだ。

さあどうする、マハトマよ、釈迦よ!

たかが老人ひとり生き返して、

何をどうしようと思ったのかね!?

ガンジー

許すつもりで来たのだよ!

ガンジーは言い放つ。

恐れる事無くマーラを見上げ、惑う事無く拳を構えて。

ガンジー

人と人とを争わす、お前の所業をここでやめれば、

ガンジー

お前の罪はすべて許そう

ガンジー

それで納得できないのなら、

ガンジー

言い訳垂れてかかって来い

ガンジー

全部まとめて許してやるよ、小童が!

不遜なり、マハトマ!

死に損ないめ。
この英国を
貴様の第二の死地にしようぞ!

三障四魔のフィッシュ&チップス、
五臓に詰めて魔に堕ちよ!

ガンジー

非暴力双翼(アヒンサーウイング)!

紅の光が収束し、ガンジーの背に”徳”の翼を為す!

街に被害が及ばぬよう、雲の上へとガンジーは飛ぶ!

貴様に何を言うべくも無し!

ぬらぬらと艶めく赤黒い尾ひれが、小虫を払うかの如く空飛ぶガンジーを追い立てる。

円輪状の岩の鱗が、雨や霰と降り注ぐ。

ガンジー

非暴力超音波破砕砲(アヒンサーソニケイション)!

ガンジーの喉から放たれた”徳”が、波動となって空を震わす。

岩の鱗を一つと残さず、微細に砕いて砂粒と化す!

巻き起こった砂嵐が、マーラの視界からガンジーを隠す。

ごく一瞬の好機!

マーラの頭上にひらりと降り立ち、ガンジーが取るは弓の構え。

マーラが彼を見つけたその時、既に拳に光は満たん!

ガンジー

非暴力迫撃砲(アヒンサーモルター)!

密着状態から放つ、より”徳”を凝縮した非暴力迫撃砲(アヒンサーモルター)が、マーラの脳天を貫通した!

かに見えた、次の瞬間。

ガンジー

ぐほぅ……ッ!

器用に身体を捻ったマーラが、肉厚な平手でガンジーを打ち据えたのだ。

あまりに強大なその衝撃に”徳”の翼は霧散し、ガンジーは真っ逆さまに落下していく。

お釈迦様

ガンジー!

電線と本社ビルの壁面をかすめ、大地に墜落したガンジー。

彼を包んでいた”徳”の光が、激突の衝撃をやわらげ、彼の身体を守ってはいた。

だがその光にもはや力はなく、今にも彼の元から消え去ろうしていた。

ガンジー

く……ッ

ガンジー

”徳”が……尽きてきたか……

お釈迦様

残り……72ポイント

お釈迦様

やはり無駄遣いが仇になりましたか

お釈迦様

いちいち余計なアヒリケーション立ち上げたりするから……!

お釈迦様

このままでは……!

マーラ

さて、もう私と闘うだけの力は残っていないようですね

勝利を確信したマーラは、再び姿を人のそれに戻した。

よろよろと立ち上がるのが精一杯のガンジーと、その後ろの釈迦を嘲笑うように。

マーラ

価値無き宗教紛争が続くほど、大地は邪心に満ちてゆく

マーラ

武器を取らせ、身の丈にそぐわない力を与えてやるだけで、人とはかくも容易く邪心に囚われる

マーラ

今の君も、君を殺した過激派の若者達と、何ら変わりはしないよ。マハトマ

マーラはその右手にだけ、真の姿を顕現させる。

岩と苔の鱗が音を立てて凝り固まり、無骨な剣と化す。

お釈迦様

それ以上は許しませんよ、マーラ!

ガンジーを守るべく放った釈迦の一喝も、もはやマーラの足を止めるに適わなかった。

マーラ

おや、許しに来たのではないのですか。あなた方は

マーラ

そうして綺麗事を並べていようと、決して人の邪心は消えないのだよ

マーラ

故に私もあなた方の前から、決して消える事はない

息を切らし、咳き込み、構えも取れず、ただ立ち尽くすガンジー。

だが、ひび割れたメガネの奥で未だ光を失わない瞳が、迫るマーラを真っ直ぐに見据えている。

ぎり、とマーラの奥歯が軋む。

醜い鱗の刃が、雲渦巻く天を高く指す。

そして。

マーラ

己の生の無意義を悔いながら、地獄へ帰れ!

マーラ

マハトマ・ガンジー!

ロンドンを揺るがす叫びと共に、魔神の刃が振り下ろされた!

つづく!

第三話 闘うは信愛(バクティ)が故

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