茂浦徳介

……

埴谷義己

……

 埴谷が茂浦の自宅へ向かうと、丁度部屋から出てどこかに行こうとしていたらしい彼と鉢合わせる。茂浦は逃げるでもなく、

茂浦徳介

まだ何か?

 と笑顔で言っている。今は少しその笑顔が気味悪いが、埴谷は気付かれぬように隠したテープレコーダーのスイッチを入れた。
 本当はこの人の良さそうな青年を信じたいという気持ちと、事件の犯人かも知れないという不安を悟られぬよう、埴谷は出来るだけはっきりと言葉を放つ。

埴谷義己

少し、確認したいことがありまして

茂浦徳介

……構いませんが

 少しの沈黙の後、彼はそう言った。彼の口元が少し笑っていたような気がする。

埴谷義己

貴方は最初の被害者である伊藤初の恋人だった。……本当に、それだけですか?

茂浦徳介

それだけ、とは?

埴谷義己

伊藤初を殺したのは、

 胸がきしりと痛む。真実でなかったらどうしよう。恵司を信じていないわけではないが、仮に自身が恋人――椎を殺したと言われたら、そしてそれが無実の罪であったら。きっとそう問いかけた人物に対して酷く腹が立つだろう。愛する者を失ったのに、その苦しみすらわかってもらえないようで。埴谷は高鳴る鼓動を抑えるために、片手を胸に当てる。刑事になって、こんな感情を抱いたのは初めてに近いだろう。
 ――でも、だったらせめて違うと言って欲しい。
 ほんの少しの期待と疑念を込めて、埴谷はゆっくりと言葉を舌に乗せた。

埴谷義己

貴方じゃないんですか、茂浦さん

 真実を確信したような顔をその時の埴谷はしていなかった。むしろ、泣きそうな顔だったのだ。その証拠に、隣に居た音耶は顔を伏せている。

茂浦徳介

……

 埴谷が顔を上げると、茂浦は埴谷に合わせるかのように俯いていた。そして、小さく肩を震わせる。泣いているのだろうか、恵司の推理は外れたのだろうか。いや、むしろ少し外れていてほしいと埴谷は願っている。だが、やはり現実は冷たいものである。

茂浦徳介

……ふふっ

 茂浦は笑っていた。肩を震わしていたのは笑いを堪えていたかららしい。小さく漏らした声を契機に、彼は高々と笑い始めた。

茂浦徳介

なぁんだ、今更そんなことを聞くんですか。だったら何なんですか?

埴谷義己

は?

茂浦徳介

……

 開き直っているのか、首を傾げて笑っている茂浦。埴谷は驚きで少し声を出してしまったが、音耶はどうやら茂浦に呆れているようだ。

茂浦徳介

人って、死ぬ前のあの解放される直前の姿が一番美しいんです。彼女がそれに気付かせてくれたんですよ

 本当に幸せだというように語る彼は、傍から見れば狂っている。だが、きっと彼は本気でそう思っているのだ。だからこそ犯罪者を見慣れたはずの埴谷でも狂気を色濃く感じるのだろう。仮初の狂気ではこうはならない。

茂浦徳介

でも、あの一瞬だけしか輝かないんです。だから、僕はそれを追い求めた……。何かいけないことですか? 美を追求するのは自由ですよね?

駿河音耶

美の追求が一方的ではいけないんですよ。一人の感じ手だけが幸せになるのは美とは言いません

 言葉に詰まっていた埴谷の代わりに、音耶が言葉を返した。単純に罪を責めるというよりは、間違った常識を正すようなその口調に、茂浦は不快感を露わにしている。

茂浦徳介

女性だって、美しい姿にされることを望むでしょう。それは当然の事なんですから、幸せに違いないですよ

 その言葉を聞いた途端、音耶の表情が曇った。反論出来なくなった、というよりかは彼の逆鱗に触れたのだろう。彼の兄の恋人が殺されていることもあるので、そのせいかもしれない。兄弟仲は非常に良いらしいので、兄の事も自分の様に怒りを感じるのだろう。
 穏やかな口調の中に静かな怒りを孕ませた音耶は、表情を変えることなく言う。

駿河音耶

貴方は何もわかっていない。それは貴方自身のエゴだと気付かないんですか? あんな雑な扱いで、彼女達が満足するとでもいうのですか? ただ切り裂いただけで美しくなるとでも?

茂浦徳介

ただ切り裂いた? 違いますよ。いつかの心中物に従って――

駿河音耶

それすらままなってないド下手糞に語られて堪るかっつってんだよこの素人が

 突然音耶が口調を荒げた。言葉の意味は埴谷にはよく分からない。しかし、嫌な予感はした。その言葉が普通の常識で語られるような内容ではないことは察することが出来る。兄がネクロフィリアだとすれば、弟もそうであっても不思議ではない。
 音耶の剣幕にたじろぐ茂浦に駆け寄り、埴谷は彼の手を抑えた。音声は録音済みであるし、危険人物であるのは確かだ。このまま彼の自宅を音耶に確認してもらえばいい。埴谷がそう思った矢先だった。

茂浦徳介

何をするんだッ!

 強い力で抵抗され、驚いた埴谷は不覚にも力を緩めてしまう。その隙に抜け出した茂浦は、いつの間にか包丁を手にし、不敵に笑んでいた。
 犯人が凶器を所持している可能性が高い――。音耶も言っていたことだが、流石に身に着けているとまでは思わなかった。埴谷は心の中で舌打ちをする。――すっかり形勢は逆転してしまっていた。

茂浦徳介

あはは、やっぱり刑事さんも人間ですねぇ。そうですよねぇ、危険に直面したら怯んじゃいますよねぇ

 最早人のいい笑顔ではなく、下卑たそれに変わってしまった彼の笑みが埴谷の目に映る。ひらひらと、まるで玩具を扱うように刃を振る彼は酷く楽しそうに見えた。
 このままでは逃げられかねない。こうなった以上は現行犯で逮捕も可能なのに。
 埴谷は何も出来ず、ただ怯えてしまう自分を恥じることしか、出来なかった。
 

第一話 ⑧ 歪んだ愛のその果ては

facebook twitter
pagetop