壊れる前に、花束を
それから私は、ずっと歩いていた。
沢山のヒトに会ったけれど、皆一様に顔を顰めて私を避ける。
「近寄るな。バケモノめ」
違うの。愛したいだけなの。どうして?優しくしてあげるのに。
やがて、数年が経った時、脚部の指先にヒビが入った。耐用年数はとっくに過ぎた部品は端から砕け、崩れていく。それを無視して更に歩き続け、足首まで砕けた時、バランスが取れなくなって道に倒れた。周りのヒトからの刺すような視線から逃れるように這って路地裏へ逃げ込む。
空き地の片隅、コンクリートの壁にもたれて座る。そして、ずっと、空を眺めて過ごす。何度も何度も、明るくなり、暗くなり、雨が降り、日が照り、雲が流れれば少し目で追う。それだけの日々。気付かれていないだけか、壊れたアンドロイドをわざわざ片付けようともしないのか、誰かに触れられることもないまま。空が白く曇った日が多くなってきた、と思ったら、頬に雨が当たった感触がして、レンズが真っ白く濁っている事に気付いた。真っ白な視界の中、強くなってきた雨を身体に受け続けていると、ふと、雨音の隙間に、ヒトの声が聞こえた気がした。マイクの感度を少し上げてみると、微かに、柔らかくて温かい、小さな声が聞こえてくる。
「ふっ……ひっく……」
これは……小さな女の子の、泣き声?
「どうしたの?お嬢ちゃん」
「ふぇっ?!ひっく…だ、だれ…?だ、れか、居るの?」
「驚かせてごめんね?隅っこの、コンクリートの壁の所に居るよ」
ゆっくりと、ゆりかごを揺らすように、柔らかく言葉を紡ぐ。怖がらないで。こちらへおいで。
「……ろぼっと?」
目の前に居るのだろう。本当に久しぶりに、ヒトと相対して会話をしている。それだけで、胸が震える程に感動している。
「こんにちは。お嬢ちゃん、泣いていたみたいだけど、どうかしたの?私はもう何も出来ないアンドロイドだけど、お話を聞いてあげるくらいは出来るよ?」
「……お友達に、ひどいこと、言っちゃったの…」
「うんうん、そっか。ちゃんと、ごめんなさいは、言ったのかな?」
「すぐ、あやまろうと、したの。だけど、みんな、オマエのせいだって。イヤなヤツって、お話させてくれなくって……、みんな、私のこと、嫌いなっちゃった……ぅ、えぇええんっ…ふっ…ゔー……」
お嬢ちゃんは途中から泣いてしまって、言葉に出来なくなっていた。少し迷ったけれど、そっと、手を差し伸べると、肩の辺りに触れてみる。ビクリと小さな体が震えたが、恐怖ではなく驚いただけのようだ。
「そっかぁ。それは、大変だったねぇ。怖かったねぇ」
そのまま、ゆっくりと撫でると、少しずつ、泣き声は落ち着いていった。
「おばぁちゃん」
おばあちゃん?親の母親や、高齢の女性を指す言葉。……ああ、私の事かな?
「なぁに?お嬢ちゃん」
「どうしたら、嫌いじゃ、なくなる、かなぁ?嫌いなの、ヤダ……」
嫌われない方法?それは……、私が知りたいのだけれど。
「うーん、そうねぇ。…………優しく、すれば良いんじゃないかな?」
優しく出来れば。お話し出来ていたら。私が、バケモノじゃなければ、きっと、もっと愛せた。愛されて、いた?
「やさしい、く?」
「うん。お嬢ちゃんは、優しいヒト、好きでしょう?」
「うん!私、おばぁちゃんのこと、大好きだよ!」
「え?」
私?
「分かった!やってみるね!ありがとう、おばぁちゃん!またね!」
「あ、またね……」
優しく…。私、優しく出来てたんだ。まだ、ヒトの役に立つ、事が……。

それから、おそらく毎日、騒がしい幸せがやって来た。
「今日はね、おじいちゃんのお手伝いをしたよ!」
「あのね、迷子のわんちゃんを助けてあげたの!」
毎日、自分がやった精一杯の優しさを報告してくる。
「そうかい、それは、よかったねぇ」
手探りで頭や肩の位置を探り、ゆっくり、そっと撫でる。撫でる度、手の指先が、小さくひび割れ、徐々に欠けていっても、柔らかく微笑み、褒める。今ここで、私がこの子を手放してしまうと、きっとこの子は、ヒトと接する事を怖がってしまうような、間違ってしまうような気がした。私にとって最後の一度であろう出会いを、少しでも、この子にとって良きものに出来たら、いいなぁ。

「おばぁちゃん、これ、あげる!」
「これは……お花?タンポポ?かな?」
「うん!正解!」
お嬢ちゃんは、無邪気に笑う事が増えていった。私がこの子に出来ることは、
「お嬢ちゃん、花言葉って、知ってる?」
私のデータの中で、きっといつか役に立つことを、伝えること、くらいかな。
「はなことば?」
「そう。例えばね。タンポポは、誠実」
「せいじつ……?」
「ガーベラは、希望。コスモスは、愛情」
「お花に、気持ちがあるの?」
ああ、なんて素直な、いい子。
「うふふ、どうなんだろうね。でもね、お花の姿を見て、色んな気持ちを感じて、誰かにその気持ちを贈りたい人が居たんだよ」
「ん〜……?」
「気持ちは、色んな形で伝えられるんだよ、ってこと」
「う〜ん……?そっかぁ……」

「今日は、結構降るわね。あの子、どろんこになってないかしら?」
降り続く雨音の強さに、やんちゃなお嬢ちゃんを想ってコトリと首を傾げる。その時、突如、ショート音が響き、真っ白な視界が暗転する。弾けたように跳ねた体が傾き倒れる。咄嗟に右手を地に着いて支えようとしたが、右手は端から砕け、そのまま地面に倒れ伏してしまった。
「あっ?ガ……そっカ。頭ノひビから雨ガ入ッテ…アァ、今度こソ、おわり、カナァ。……フフ、幸せ、ダッたなぁ。最後に、チャント、役に立テタ、のカナ」
真っ暗闇の中、静かに、幸福感に包まれた終わりを待つ。その時、
「おばぁちゃん!」
「お嬢チャン……?」
騒がしい幸せが、やって来た。小さな体で、必死に駆け寄ってくる。
「おばぁちゃん!どうしたの?どうして倒れて……あぁっ!腕が……!」
「イインだよ、オ嬢ちゃン。こっちへ、オイデ」
「おばぁちゃん、あのね、あのね、私、謝れたの。ちゃんと、ごめんなさい、出来たの!仲直り、出来たの……」
そうかい。それは、本当に、良かったねぇ。
「あノね、おジョうちゃん。バラの、花言葉」
もう、時間がない。
「バラ……?」
「うん」
最後に、どうしても伝えたい。
「ご、ホン」あなたに出会えたことの心からの喜び
「キュうほン」いつもあなたを想っています
「ジュういっ、ポン」最愛
「ひゃク、いっポン……フフッ」これ以上ないほど愛しています
「よツバの、クローバー……」どうか、幸せになって。
最後の力で、左腕を上げ、小さな体を抱き締めた。全身が砕けていく中、ノイズの隙間から最後に聞こえたのは、柔らかくて、温かい音。

壊れる前に、花束を

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