その箱のことを思い出したのは、甥の結婚式でのことだった。
「僕の一族は5歳になると鍵付きの箱をもらいます。その箱を僕は大切なものを入れるために使っていました。一番最初に入れたのが、幼い日に新婦からもらった手紙です。『おおきくなったらけっこんしようね』という約束を今日果たすことができました…」
そうだ。私の一族の男子は全員、数えで5歳になると鍵付きの箱をもらう。
どういう仕組みだかわからないが、箱は本人であれば触れるだけで開くが、本人以外にはけして開けられない。
どんなものを入れても構わないが箱は死ぬまで本人が所有し、死ぬときには棺桶にも入れられる。一族の本家だけに伝わる妙な風習だった。
甥がスピーチで箱のことを持ち出すまではその存在もすっかり忘れていた。そういえば、私の箱はどこにしまっただろうか。
式は甥のスピーチでお開きとなり、新郎新婦が来賓を見送りはじめた。
私はゆっくりと席を立ち、引き出物を手にして出口に向かった。
幸せそうに来賓への感謝を述べる新郎新婦の笑顔が私の姿を見た途端にぎこちないものに変わる。
わかっている。
四十を過ぎてろくに働きもせず本家に寄生している叔父なんて本当は招きたくはなかったのだろう。
太った身体に、剥げた頭、よれたスーツ、カビの生えた靴。この場に似つかわしくない醜い姿。実家で両親の年金に頼り、定職につかず遊んで暮らす。呼んでも呼ばなくても体裁の悪い親戚の扱いに、彼らは相当苦心したはずだ。
恥ずかしげもなく出席した私のことを内心苦々しく思っているに違いない。
彼らはお決まりの挨拶をしたかと思うとすぐに私の後ろに並んだ新婦の親戚の方へ向き直った。
私としても、新郎新婦の幸せに水を差すつもりはない。すぐに式場を後にした。
そんなことよりも、箱だ。
五歳で受け取ったあの箱に、私は一体なにをしまっただろうか。帰りのタクシーの中で1人考える。
本人でないと開かない箱だが、不思議なことに本人が死ぬと誰でも開けるようになる。葬式の時には箱の中身が一族のものに見られてしまうのだ。
大叔父は博打で稼いだ金の隠し場所を箱の中に隠していて、死後大騒ぎになったと聞く。だが隠し場所には既に金はなく、どうやら生前にその金も博打に使っていたらしいというオチがつく。
家についた。
スーツを脱ぎ、いつものスウェットに着替える。さて、自分の箱はどこにしまっていただろうか。乱雑な部屋をぐるりと見回す。
子どもの時から1日の大半を過ごす自分の部屋。年月が層となって積み重なり、奥の方はもう30年は触れていない。かき分けていくごとにその時興味を持っていた物が発掘されるが、今となってはなぜそんな物に固執していたか思い出せないものばかりだ。
一番古い層となる押入れの奥に、小学生時代の教科書とノートが段ボールに詰め込まれており、その中から程なくして、箱は見つかった。真っ白い、30センチ四方の継ぎ目のない箱。
木でもプラスチックでもないひんやりとした肌触り。箱の上にはノートが乗っていた。
「かんさつ日き」と書かれたそれを見て、記憶が少しずつ蘇ってきた。
たしか、私は何かを箱の中で飼っていたのだ。何を飼っていたか、忘れてしまったが箱の中で30年近く放置していたことになる。嫌な汗が顔から吹き出たのを感じた。
いや、確か途中で逃がしたのか、それとも死んだのか、だった気もする。
ひとまず、「かんさつ日き」を見て思い出すことにした。
「かんさつ日き」
6月9日
へやにへんなものがいたので
はこにいれた
ふとっている
うごかないけど、いきてはいるみたい
かんさつしようとおもう
6月10日
1日じゅうねていた
よるに水をのませたらすこしうごいた
6月11日
1日じゅうねていた
よるに水をのませたら
はこのなかをうごきまわるようになった
なにかたべたそうにしている
あしたあさごはんのパンをあげてみる
6月12日
パンをあげたら、しゃべった
「シジュノマエ」というなまえらしい
喋る?
虫か小動物だと思っていたが、それならば普通「鳴く」と書くはずだ。私は頭の良い子どもではなかったが、それでも喋るなどと書くだろうか。
もしかしたら人の真似をする鳥などだったかもしれない。いまだに飼っていたもののことはもやがかかったように思い出せない。
6月13日
よくしゃべるようになった
べんきょうしろ、うんどうしろ、ともだちをつくれと、おとうさんみたいなことをいう
うるさいのではこをしめた
6月14日
はこをあけたらシジュノマエがないていた
おなかがすいていたみたい
パンをあげたらげんきになった
6月15日
おかあさんにばれそうなので
シジュノマエをおしいれにかくす
6月16日
パンをもってくるとおかあさんにばれるので水しかあげられないといったらおこった
お水をおおめにあげてしばらくおしいれにかくす
6月20日
うごかない
6月24日
水はへっているのでいきているみたい
水をかえた
6月30日
うごかない
水もへっていない
しんでしまったかもしれない
ここで日記は途切れていた。
そのまま忘れようと奥にしまい込んだのだろう。箱の中には何かが入ったままということだ。
私は箱を持って庭に出た。
この、箱の中身を供養しなくてはならない。私が、四十になって定職につかず、実家でゆるく引きこもっているその理由がこの箱の中にあるように思えてならなかった。私が30年前にこの箱に閉じ込めたものが、私をこうしてしまったのだ。
箱に手を触れると、表面に継ぎ目が現れる。
音もなく開いた。
その中には、しわしわに枯れた小さな老人が入っていた。
「なんだこれは」
老人はほとんど動かないが微かに生きているやうだった。日記にあったように水と食べ物を与えると、喋り始めた。
「わたしは、70のお前だ」
「70のお前」
70の、私。
日記に書かれた生き物の名前が脳裏に浮かぶ。
「シジュノマエ」
「シジュウノオマエ」
「40のお前」
そうか、箱の中に囚われて飼い殺されていたのは、私だったのか。
「お前は、わたしを、どうする?」
70の私がじっとこちらを見つめてくる。
「箱から出します。箱に囚われていてはいけない」
70の私は安堵したように微笑んだかと思うと、消えた。
箱の中は30年ぶりに空になった。
一瞬、呆気にとられたが、次の瞬間私は大笑いしていた。
笑いながら、涙が止めどなく流れる。
ひとしきり泣いた後、ふと、この箱に、なにを入れようか、と考えた。
なぜか気力が湧き上がっている。
30年ぶりに、生きていることを実感する。
まずは家を出よう。外で生きてみたい。
私は空っぽの箱を手に、空を仰いだ。