私が中学生のときに出会った、衝撃的な女の子の話をしようと思います。

名前は仮に、岸谷香織さんとさせてもらいましょう。
岸谷さんは、私のクラスメイトでした。
小柄な体型で、色白で、いわゆる鈴を転がすような美声であった岸谷さんは、何より顔が可愛くて、男子生徒に人気のある女の子でした。

しかしその一方で、女子生徒からはあまり好かれていませんでした。
何も男子生徒にモテていたから……という訳ではありません。
とにかく気が強く、他人が折れるまで自分の意見を主張し続ける性格が、嫌われる理由でした。
弁が立って相手を説得できるのならまだしも、最後は金切り声で相手をまくし立てるだけなので、議論になった相手と和解することは皆無に等しかったようです。

いつもは、私と岸谷さんが話すことはそんなにありませんでしたが、とある事件がきっかけで大きな関わりを持つことになりました。
その事件というのが、文化祭で行われた合唱コンクールです。
私が通っていた中学校は少し変わっていました。
文化祭のコンクールにて各クラス対抗で順位を競うのですが、上の順位を取らないと恥という風潮がありました。
順位が最下位になろうものなら、それこそ大事件です。
文化祭の後に、反省会という名の犯人探しが始まります。
誰かが手を抜いたから、優勝できなかったのではないか?
では、誰が原因なのか?
原因とされる人間には、反省の弁を述べてもらうべきではないのか?
といった議論が繰り広げられるのです。
そのような公開処刑を避けるためにも、何としてでも上の順位を取らなければなりませんでした。

そこで岸谷さんは提案しました。
「合唱コンクールに向けて、朝練をしよう!」
朝練とは、朝のホームルームが始まる前に登校して、朝から合唱の練習をするということの略称です。
みんなはそれぞれの部活があったり、家が学校から遠かったり、家庭の事情があったりと、様々な事情で早朝から練習することを渋りました。
しかしそれを声にしようものなら、それこそコンクールの順位を下位にした犯人とされて集中砲火されてしまいます。
岸谷さんに異論を唱える人は、一人もいませんでした。

そうして朝練が始まった最中、私の親友が体調を崩しました。
仮に名前を、佐川友里恵ちゃんとします。
友里恵ちゃんとは小学生時代からの付き合いで、身体があまり強くないことを知っていました。
友里恵ちゃんは毎日登校するだけでも大変だったのに、休むことが許されない朝練のせいで精神的に参ってしまい、体調を崩してしまったのです。
友里恵ちゃんは親と相談して、合唱の朝練には参加しないことにしました。
それは学校を休まないために、必要な判断だと私も思いました。
友里恵ちゃんのお母さんは、そのことを担任の先生にも伝えたとのことでした。

しかし、岸谷さんにとってそれはとてつもなく許せないことだったのです。
岸谷さんは、友里恵ちゃんがいない教室でこう言いました。
「私たちだって、無理をして辛い思いで早起きをして、朝練をしてるんだ! 佐川さんだけ朝練に出なくていいなんて、おかしいよ!」
私はそのとき、岸谷さんの言っていることにとても矛盾があるなあと思いました。
そもそもこの朝練は、岸谷さんが提案したものです。
それを『辛い思い』とはどういうことでしょうか?
合唱に必要なのはテクニックのみではなく、感情を豊かに表現することだと私は思っています。
楽しんで練習できない合唱に、どんな感情を込めるというのでしょうか?

更に岸谷さんは、クラスのみんなに友里恵ちゃんの陰口を聞いてもらうだけでは飽き足らず、友里恵ちゃんの自宅に電話をかけました。

「なぜ合唱の朝練に来ないんですか!」

その電話を受けた友里恵ちゃんのお母さんは怒り、一連のやり取りを担任の先生に告げました。
担任の先生は、岸谷さんが自分に相談もせずに電話をしていたことに大変驚き、岸谷さんに注意をしました。
「もう佐川の家へ電話をしてはいけないぞ」
それに対して、岸谷さんは憤慨しました。
「自分は正しいことをしているのに、先生に注意をされるのは納得が行かない! そもそも、佐川さんに電話をしたのに母親だけが対応して、本人と話させてくれないことがおかしかったんだ!」

岸谷さんが自分の正当性を証明するために考えたのが、学級裁判です。
学級会を開き、合唱の朝練を休みがちな人の名前を列挙して、みんなで注意をしようというものでした。
岸谷さんは声高らかにこう言いました。

「このままじゃ、うちのクラスは合唱コンクールで最下位になりますよ? 朝練の不参加を決め込んでいる人がいますが、そういう人はどうすれば朝練に出てくると思いますか? みんなの意見を聞かせてください!」
それは明らかに友里恵ちゃんのことを指していました。
個人の意見としてではなく、クラスの総意として『佐川さんが朝練に出ないのは良くないことだ』としたかったのでしょう。
親友をそこまで貶められて頭にきた私は、岸谷さんにこう聞きました。
「さっきから岸谷さんが言っている『朝練に不参加の人』というのは、佐川友里恵ちゃんのことですか?」
岸谷さんは当然とばかりに「そうです! 他にそんな人いないでしょう」と言い放ちました。
更に私は言いました。
「友里恵ちゃんは、生まれつき身体の弱い子です。学校を休まずに来ていただけでも、立派だったと思います。それが今では、合唱の朝練のために早起きをしないといけないというプレッシャーで、学校を休みがちになっています。私も合唱の朝練は嫌です。眠い目をこすって学校に来たら、『声が出ていないのはやる気が無いからだ』と集団で責められます。私はそれでも耐えきれますが、優しくておとなしい友里恵ちゃんにそれを耐えることは無理です。これ以上、友里恵ちゃんを責めないでください」
私が言い終わると、岸谷さんはそれを鼻で笑い、こう呟きました。

「その身体が弱いっていうのも、本当かなあ……?」

その途端、叫び声が上がりました。
私よりも先に、担任の先生が怒ったのです。
「岸谷! 浅井! ちょっとこっちの部屋に来い!」

担任の先生は、岸谷さんと私を連れて誰もいない理科室へ入りました。
そして私たちが席に着くなり、担任の先生が岸谷さんに向かってこう言ったのです。
「岸谷! お前がさっき言ったのは、どういう意味だ?!」

それを言われた岸谷さんは、急に泣き始めました。
明らかに自分にとって不利な状況と悟り、泣き落としにかかったのです。
岸谷さんの思惑通り、担任の先生は困った顔をして黙ってしまいました。
私の親友を誹謗中傷した岸谷さんは、一転して大人に恫喝されたか弱い子供……つまり、被害者に変わったのです。

理科室には、岸谷さんがすすり泣く声だけが響き渡りました。
担任の先生はオロオロとしてしまい、何と声を掛ければよいのかと悩んでいる様子でした。

それを見ていた私は、一息吸ってからこう言いました。
「岸谷さんが泣いているということは、自分の間違いに気づいたのでしょう。泣くほど反省してくれたのなら、私はもう十分です。これからは友里恵ちゃんのことで、あんなに酷い言い方をすることは無いでしょうから」
その瞬間、さっきまで泣いていた岸谷さんが鋭く目を光らせて、私を鬼のような形相で睨みつけました。
岸谷さんから反論があるのかと思い待っていましたが、岸谷さんは私を睨みつけたまま、泣くことも忘れてただ沈黙していました。

そうしている内に、担任の先生が安堵の表情を浮かべて私に言いました。
「そうか、浅井がそう言ってくれるなら助かる。岸谷、お前もそういうことでいいな? 浅井の言っている通りだな?」

すると岸谷さんは、再び大声をあげて泣き始めました。
しかし、岸谷さんは気づいていないのです。
事態は逆転してしまったことに。
岸谷さんはもう被害者ではなく、他人を傷つけた前科を許された立場なのです。

泣いてばかりで何も語ろうとしない岸谷さんを横目に、私は更に言いました。
「今の岸谷さんは罪悪感で胸が一杯で、泣くことしかできないのでしょう。もうこの話は、終わりでいいんじゃないですか?」
岸谷さんは泣くのをピタリと止めて、無言で私を睨みつけました。
しかしその眼光に、先ほどの鋭さはありませんでした。
担任の先生は、最後に岸谷さんに確認しました。
「最後に岸谷から何か言うことがあれば、言っていいぞ」
岸谷さんはもう泣くことはせずに、かと言って謝罪することもなく、ひたすら黙り続けました。

そうしてから三人で教室へ戻る途中に、担任の先生が小さな声で私に言いました。
「浅井、ありがとうな」
私にすれば、友里恵ちゃんのために怒ってくれた先生に感謝の気持ちこそあれど、逆に感謝されるなど思ってもみませんでした。
とても驚いて上手く言葉を返せなかったことを、今は少し後悔しています。

それからも合唱の朝練は続きましたが、岸谷さんが以前のように誰かを責めることはなくなりました。
陰では何か言っていたようですが、みんなの前では肩身が狭そうにしていたのを覚えています。

彼女は大人になった今でも、自分が窮地に立たされると泣いてごまかしているのでしょうか?
私とぶつかったあの一件で、泣くというのは議論の壇上から降りてしまうのと同義だということを、学んでくれていれば良いのですが……。

泣くという最強のカードを切った女を、反論の余地も与えず黙らせた話 #原作コン22冬

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