おいお前。そこのお前、便意は遊びじゃねぇんだぞ。わかっているのか? 有名なネタと状況が酷似していたとしても、本人にとっては至って深刻な問題なんだ。
便意の絶対性はマジ神にも等しい。便意を本当の意味でスルーできる人間はいない。一度目の前に現れたからには絶対に避けて通れなくなるのが便意だ。
帰り道で唐突かつ激烈な便意に襲われたら、家への最短ルートから外れてでもトイレを探すのが理性を持つ人間のすることだ。
そう、この理性こそが便意を絶対たらしめていると言っても過言ではない。
トイレ以外の場で、ためらいもなく排泄できる人間は少ない。赤子という特例がいるがあれは別物だ。子供という存在が真実のところ人間ではないという説は、このあたりから来ているんじゃないかと考えている。
聖人だろうが悪人だろうがブサイクだろうがイケメンだろうが美少女だろうが男だろうが女だろうが勝ち組だろうが負け組だろうが便意には決して勝てない。
どんなに崇高な作業、労働をしていても便意が来襲すればそれに従って然るべき場所に駆け込み、排泄しなければならない。そうでなければ便意に責め立てられ続けながら、集中できない作業を続けるしかない。その最果てにあるのはいろんな意味での負け戦だ。