私は猫である。
名前はいくつもあるが、そんなものはしょせん人間が私を識別するためにつけた記号でしかないので、別段気にはしていない。

例えば、ほんわかとした雰囲気の主婦からレトルトパウチのツナ
──どうも一袋で一食分らしいのだが、年を食ったせいか量が多すぎるように思う──
を貰うときの私は、

はーい、ミーちゃん。ごはんですよー

と呼ばれているが、彼女の家から三軒隣の老夫婦宅に赴けば、

ほら、見てみろ、ばあさん。久々に黒が来ておるぞ。

おやまぁ。
サンマの匂いを嗅ぎつけてきたのかしらねぇ。

と極めてオーソドックスな名前を賜りつつ、旬の魚を相伴に預かることとなる。

彼らのような老人は私に対して過剰なスキンシップを図ることがほとんどなく、平穏に食事を摂ることが可能である。
しかし、タイミングを見極めなければ味噌汁ご飯に削り節をふりかけただけのシロモノを食べさせられることもあるので注意が必要だ。

ちなみに、老人とは対照的に、やたらと私の体躯に手を伸ばしてくるのが子供であり、彼らの多くは私のことを「ネコさん」やら「ニャーニャー」などと呼称する。

わー! ネコさんだー!
せんせー! ほらネコさんだよー!

みくちゃんはネコさんが好きなのねー
じゃあネコさんに
「なでなでさせてー」
って頼んでみましょうか。

このとき、彼女らの無邪気な笑顔に騙されて容易く了承してはいけない。
なでなで、などと可愛らしく言いつつも、その実態は『しっぽを強く握りしめる』『脚を引っ張って振り回す』といった無遠慮な振る舞いだからである。

その上、彼らは私に無礼を働いたことに対する代金(個人的には削り節かタラのすり身を所望したい)を支払わずに去っていくのだ。
あとに残されるのは丹念に毛づくろいをしなければならないという手間だけであり、私は暫くの間を唾液まみれのカラダで過ごす羽目になるのである。

であるから、もし『ネコさん』や『ニャーニャー』という単語を耳にしたのであれば、一刻も早くその場を立ち去るのがもっともクレバーな行動であると言っても過言ではないだろう。

私には他にも「小太郎」「ショコラ」「デロリアン」など、様々な名前がつけられているが、それを列挙することに大した意味はないのでこのあたりにとどめておく。

閑話休題。
そんな私であるが、最近はとある少女の家に身を寄せている。

あらノワール。帰っていたのね。

この日常的にゴシックでブラックでロリータな衣装に身を包んだ人物が私の現在の同居人であり、私の首にこの鬱陶しい物体を括りつけた張本人である。

高級な食器のように艶やかな漆黒をたたえた私の体毛にはさすがにかなわないが、彼女の衣服や頭髪も評価に値するものであるのは疑う余地もなく、私と彼女が同じ部屋に存在している様子はさながらミロのヴィーナスにかけた両腕が戻ってきているような充足感をもたらしているものと自負している。

ただ個人的な意見を言わせてもらうならば、彼女の衣服は寝所として利用するには少々難があるので、私を膝に乗せる際にはもう少しカジュアルなボトムスを着用してもらいたいところである。

ちなみに、なぜ私が彼女と暮らすことになったのかというと、一週間ほど前に彼女の部屋の室外機に座って食後の顔掃除に勤しんでいたところに彼女が現れ、

貴方も私と同じ。どこまでも黒く染まることで闇に溶けてしまおうとしているのね。
ノワール。誇らしいまでに純粋なその黒に敬意を表して、貴方にこの名を授けるわ。

などと、気が触れたようなセリフを吐いて私を室内に引きずり込んだからである。

逃げ出しても良かったのだが、同じ黒いもの同士であることだし、ちょうど野良をやっていくのにも限界を感じてきた頃合いだったこともあって、そのままやっかいになることに決めたのだ。

………………………………

基本的に彼女は一日中、こうしてずっと部屋に籠もりっきりでキーボードをカタカタと叩いている。
彼女の職業は小説家であり、打ち込んだ文字を物語にすることでサラリーが発生するのである。

なので、彼女は決まった時間に起床し、決まった時間に出社し、決まった時間に食事するといった規則的な生活をしていない。
必然的に外出する必要もなく、せいぜい買い置きした食料が尽きかけたときか、担当の神田なる人物と打ち合わせを行うときにしか外に出ない。
だが、時折、

嗚呼……!
ダメ、何も浮かばない……! 筆が進まない……!!

と眉間に大きなクレーターを掘削したかと思うと、

こんな誘惑だらけの部屋で作業をしているからいけないのだわ。

と勢い良く立ち上がり、私を部屋に監禁したままフラリとどこか別の場所へと消えてしまったりする。

その時間に彼女がどこで何をしているのかはまったく検討がつかない。
が、ひとつだけ確かなことがあるとするならば、そういうときは脱ぎ散らかされたカーディガンに身を押しやって数時間も眠っていれば、

フッ……フフフフフ。やはり私には才能があるのだわ。
嗚呼、早くこの素晴らしいアイディアをプロットにまとめなければ……!

と、すこぶる上機嫌になった主人が帰ってくるということである。

ところで。
皿の前に着座し、渋谷に鎮座するブロンズ犬のような行儀良さで食事の配給を待機する私に対し、彼女はしばしば呆れたような表情を浮かべる。

……猫缶の匂いがする。
貴方どこかでご飯を食べてきたでしょう。
今日の夕食は無しね。

どうも私の健康に気を使っているらしく、私が一日二食以上の食事を摂ることを許さないのである。

今まで孤高の野良猫として日々を過ごしてきた私としては「食事は取れるうちに取れ」がこの世界の唯一にして真なる理であり、配給を中止される謂れはどこにもないのだが、どれだけ皿をカリカリ引っ掻き、反駁の鳴き声をあげようともツナが降ってくることはなく、クッションの上で身を竦めることとなる。

破壊衝動に身を任せ、柱に爪を立てて壁紙を引き裂いても良いのだが、そうすると翌日の朝食すら食べられなくなることを私は共同生活二日目で学んだ。

そんなわけで鬱屈した気分のやり場を探していた私であったが、つい先日非常に面白いものを見つけた。
それがこれである。

まったく、人の文明というものが発展する速度には驚くばかりである。
私の布団になるかならないかといった大きさしかないこの端末が、手軽に世界中との通信を可能にしているのだから、私の舌も毛糸玉のように巻かれまくりだ。

このオモチャの存在を知ってからというもの、家主が寝入ったあと目覚めるまでの、私だけのプライベートタイムは爪とぎや猫じゃらしなどとは比べ物にならない娯楽の時間となった。
そして、いまこのように家主の仕事を真似てみたりなどしているわけである。

いまこれを読んでいる人間諸君は「まさかネコがインターネットに進出してきているワケがないだろう」などと高をくくっていることだろう。
だが、ここで諸君らに衝撃の事実を伝えたいと思う。

なんと、タッチパネルは肉球に対応しているのである!

まったく、齧りかけ林檎の会社には感謝しきりである。こうして私が文章をしたためることができるのも、彼らがタッチパネル式のタブレット端末を発売してくれたからに他ならない。

私は猫である。
しかし、この広い電子の海において、そんなものはしょせん私が一方的に主張している自己定義にすぎないので、別段その真偽を気にしてもらう必要はない。

ただ私がこの文章の作者であることは揺るぎない事実であるので、最後まで私の文章を読んでいただいたことに深く感謝の意を表明すると共に、主人が目覚めそうであるのでこのあたりで筆を置き、お暇させてもらおうと思う。

──という感じなんですが…………どうでしょうか、神田さん。

都内の某喫茶店。
大して旨くもないコーヒーを大して安くない値段で提供しているその空間に一組の男女が居た。
女はフリルが過度にあしらえてある黒いドレスに身を包んでおり、明らかに人の目を引いている。

………………

そんな女の対面の席で、四十代半ばほどの男性がA4用紙の束に目を通していた。
その手つきは手慣れており、少なくない情報量が詰まっているはずのコピー用紙を次々と繰っていく。
そして最後のページまで目を通すと、机の上で紙の端をトントンと揃えてから口を開いた。

っていうかこれさ、『吾輩は猫である』のパクりだよね。
これじゃあ本にできないから、新しいの書いてきてよ。

私は猫である

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