それは、夏休みの始めのことだった。

お兄

茜。俺、ゲームのテストプレイ権当たったからしばらく部屋にこもる。家のことよろしくー

 両親は二人とも海外赴任。半ば放任ではあったけれども何かと世話になっている実の兄と事実上二人暮らしの子子家庭。まあなんとかやっていけていると思っていた。

お兄

 今まさに自室のドアを開けようとしていた兄に声をかける。

お兄

うん、なに? 茜ちゃん

都合の悪い時だけちゃん付けするお兄。ゲームで夕食当番スキップする気?

 まるで油さしてない機械みたいにぎくしゃくと振り向いた兄の顔はやはり引きつっていた。

お兄

休んだ分だけあとで埋め合わせするから!

それだけ?

お兄

……プラス一週間俺が当番担当する!
あと、毎日コンビニの小悪魔的デザートシリーズ買う!

……

お兄

あ、茜ー

いいよ。行ってよし

お兄

ありがとう!!! じゃ、そういうことでっ

 そう言って自分の部屋に戻った兄は、その夜夕食を食べに来ることはなかった。

 翌日になっても、部屋から出てこなかった。

 一日が過ぎて朝になっても起きてこない兄を不審に思った私が部屋の中に入ると、なんかヘルメットをかぶった兄がベッドで寝ていた。

お兄? お兄!

 大声を出しても反応を見せない。急いで駆け寄って、呼吸も心音も普通だったことに安堵した。でも、なんで起きないんだろう。

ん、なんだこれ?

仮想現実型ゲーム説明書……? ヴァーチャルリアリティ……ってやつ……?








葉隠さん

それで弊社に連絡を入れてくださったんですね

はい。最長5時間で強制的に目を覚ますって書いてあったのに、ぜんぜん起きなかったんです。先に救急車呼びました

葉隠さん

正解だと思います。栄養失調による衰弱が心配なので

 病院の個室の中。何やら専用の機材だというよく分からない黒い箱に囲まれて、未だに兄は寝ている。私は兄が搬送された直後来てくれたゲーム会社のお姉さん、葉隠さんと話をしている所だった。

葉隠さん

こちらの解析用機械でもお兄さんが今どんな状態なのか分からないんです。同じようなアクセストラブルは過去にもありましたから、対処方法は分かっているんですが……

 割とやばいトラブルだと思うんですが。こちらの空気を察したらしく葉隠さんが慌てる。

葉隠さん

あの、どうか勘違いなさらないでください。弊社がこの界隈に参入する以前、別の会社で起きたんです。VR体験者が起き上がらなくなる事故が。その方も今は目を覚ますことができたそうですし、その後こんな事故起きなかったんです。……今までは

じゃあ、兄も目を覚ましますか?

葉隠さん

はい、このトラブルはハードの内部システムがユーザーをPC(プレイヤーキャラクター)ではなくNPC(ノンプレイヤーキャラクター)として認識してしまったために起こっているんです

え?

葉隠さん

ですから、貴女のお兄さんは今プレイヤーではなくゲームの登場人物の中に埋め込まれてしまっているんです

 どういうこっちゃあ。

……それで?

葉隠さん

助ける為には正規の方法でゲーム内にダイブして登場人物の中に隠されているお兄さんを探し出す必要があります

そういうのって、会社のコンピューターで登場人物を全員調べたりとかできないんですか?

葉隠さん

弊社のキャラクターにはすべてAI、つまり人工知能を搭載しているのですが、未だコンピューターは人工知能と生身の人間の挙動を区別することができないんです

直接人間が調べていかないといけないんですか!?

葉隠さん

はい。しかし何が原因で誤作動が起こったのか確認できない今、立候補してくれる人がなかなかいなくて救助が、遅れるかも知れません

そんな……

葉隠さん

ただでさえ今朝方『起き上がらなくなった』スタッフが出て人員不足で……

 お姉さんはそこで口をつぐんだ。話しているうちについ口を滑らせてしまったようだった。会社内でも被害が出てるって、本当にやばいんじゃ。
 ……でも、そしたら誰がお兄を起こしてくれるんだ。今はお兄の大学も夏季休業だけどそれ以上長引いたら? 父さんも母さんも忙しくて二人の邪魔になりたくない。

……あの、それって私でもできますか?

葉隠さん

え……特に技術は必要ありませんが……ミイラ取りがミイラになる可能性があるんですよ

それでも、一緒に暮らしてきた家族です、兄がいたらすぐわかります。私個人で勝手にやったことにしますから接続方法を教えてください

 険しい顔をして黙り込むお姉さん。やっぱりダメか。待つしかないのか。

葉隠さん

悪魔の誘いですね

 小さくつぶやくのが聞こえてしまった。悪魔てひどいな。反論できないけど。

葉隠さん

独り言です。独り言をつぶやきます。この装置って丁度プレイ準備整ってるんですよねー。ヘルメットをかぶって、手元のボタンを押したらもう始まっちゃうんですよねー

 葉隠さんが棒読みで喋る、のに合わせて急いでヘルメットを持ち上げる。

ボタンって……このリモコンについてるやつかな?

葉隠さん

そうです。これも独り言です

 病室内にかちゃかちゃとVR専用機を初期設定する音が響く。

葉隠さん

……ところで、このゲームの内容はご存知ですよね?

 一応、という感じで葉隠さんに聞かれた。そういえばタイトルすら知らない。

え? ロープレか何かじゃないんですか? MMORPGとかって最近よく聞くんですけど

葉隠さん

違います。RPGでなくSLG……シミュレーションです。それも恋愛もの

ああ、いわゆるギャルゲーですか? そりゃ兄も妹には教えづらいですよねぇ

葉隠さん

いいえ、ある種真逆の乙女ゲームです

は?

葉隠さん

いらっしゃるんですよ、お兄さんのような男性乙女ゲーマーって


 丁度その時、ヘルメットをかぶりログインしてしまった私はツッコミを入れる暇がなかった。お兄が乙女ゲーム!? そう言おうとした瞬間。

うわ、なにこれ! 揺れてる! 
すごくきついよこれ……。

うううわあああ……



 のちに、それがVRゲーム特有のダイブ現象と言われているのを知った。

お兄がゲームで寝たきりになっちゃったよ!?

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