少女は全力疾走していた。


なぜ走っているのか?


どこへ向かっているのか?


それらを明かすのは、もう少しだけ後としよう。


とにかく、少女は死にもの狂いで走り続けていた。


まるで、走ることで救われる何かがあるかのように……


走らなければ、世界が終わってしまうかのように……

うートイレトイレ!!

一刻も早くわが家へ!

おや、愛佳(あいか)ちゃんじゃないか

公園スーツおじさん!

何をそんなに急いでいるのかな?

実はわたしの家のトイレに魔物が出たの
ちまたでうわさのダークドラゴンよ

ダークドラゴン

だから、急いで倒さなきゃと思って……

それは大人気ストリエエピソード
『ボブとマックスの通販地獄変』で
最近やってたやつだね

ぎくっ!

おじさんの目はごまかせないよ
実際のところ、愛佳ちゃんは今……

尿意を我慢している!

ぎくぎくっ!

それをそのまま言うのは恥ずかしいから
トイレに行きたい理由をでっちあげた
というわけだね

ぎくりんこ!

おじさん一本取っちゃったな
おじさん一本取っちゃった

ワッハッハッハッハ

大声で笑わないでください

お腹にひびく

そう言うおじさんは何してるんですか

おじさんは、そうだね……

いつものようにブランコで遊んでいたら……

内股で走る愛佳ちゃんを見かけて……
これは……と思ってね

急にジョギングをしたくなってきた
というわけさ

どうだい愛佳ちゃん
おじさんも家まで並走していいかい?

かまいませんけど

グッド!

じゃあ、わたしもう行きますよ

立ち止まってる方がきつい

立ち止まったらそこでおしまい、か
実にいいじゃないか

おじさんも昔は結構走ったんだ
置いて行かれたりはしないさ

はあはあ……

はあはあ……

はあはあ……

はあはあ……

ところで愛佳ちゃん

なんですか

正直もう喋るのもきついんですけど

わき腹にくる

まあそう言わずに聞いてくれないか

聞くだけなら、まあいいですけど

こんな考え方をしたことはないかな……

この世界で本物の人間は自分だけで……

他の人はみんな
人の形をした作り物なんじゃないかって……

そう考えると、おじさんから見て
愛佳ちゃんは作り物ということになる……

けれど、愛佳ちゃんから見れば
おじさんの方が作り物……

おしっこを我慢する本物の人間と
その隣を並走する作り物のおじさん……

そういう風に、考えたことはないかな?

…………

ある…………

正直めっちゃある………!

わたし以外は人間の振りした宇宙人とか……
自動でお喋りする人形みたいな……

ひとりで考えてたら怖くなってきて
朝まで寝られなかったときとかあるよ!

うわー何なのこのオッサン……
忘れてたのに……とんだ作り物だよ……

やめましょうそんな話

お気に召さなかったかな

今はとにかく走りましょう

ああ、そうした方が良さそうだ

はあはあ……

はあはあ……

はあはあ……

はあはあ……

愛佳ちゃん

呼べば何でも応えるのは犬くらいですよ

なんですか

こんな考え方を

あ、手短にしてください

本当にやばい

こんな考え方をしたことはないかな……

今いるこの世界は、ある小さな『物語』で

おじさんと愛佳ちゃん以外には誰もいない

愛佳ちゃんが目指している
『家のトイレ』も最初から存在しない……

ゆえに、この物語には結末すらなく……

少女は永遠に疾走し続ける……

やがて少女は自らの目的をも忘れ去り……

ただ走るために、走る……

少しでも早く走るために
その身体はどこまでも軽くなり……

風になるのさ

黄金の尾を引く風にね

そういう風に、考えたことはないかな?

…………

……………?

ない

ちょっとよくわからないですね

あそこの角を曲がったらもう家だし

ふふふ。言うじゃないか

だが果たして本当に、そうかな

愛佳ちゃんが言う家とは、本当に家なのか

この角を曲がれば、その概念ももろく……

はい

ここがわたしのお家ですね

なるほど勉強になる

それじゃわたしはこれで

あ、あの

最後の話は正直よくわかんないですけど

気がまぎれて助かりました

ありがとうございます

それじゃ

…………

おじさんもまた走ってみるか

少女疾走中

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