紗菜の悲鳴。
悪霊が言葉にならない雑音を発しながらヨタヨタしながら、だが異常なスピードで近づいてくる。
きゃああああああ!
紗菜の悲鳴。
悪霊が言葉にならない雑音を発しながらヨタヨタしながら、だが異常なスピードで近づいてくる。
紗菜! 行くぞ!
紗菜の手を引っ張って俺は刑事部門の展示場所へ向かう。
タマシい! タましイ! ヨコせ! ヨこせ!
水っぽい湿った声がする。
クソ! 魂の味を覚えやがった!
だいすけくん。
手!
手掴んでます!
知ってる!
実は霊能使えば触れるよ。たぶん、おっぱいもな!!!
だがセクハラに能力を使うなど言語道断!!!
俺は紳士だからな!
ヌハハハハハ!
刑事部門に到着すると穢れを確認する。
黒い塊が吹き出している場所があった!
この一角のどこかに違いない。
苦しいヨ! なんで俺が……殺してやル
なぜ私が……
苦しいヨ……タスケテ……
辺りから男や女。
何人もの声がした。
展示物から声がしたのだ。
だ、だいすけくん!
そこら中から声がします!!!
クッソ!
展示物が穢れに当てられやがった!
これで展示物は実際に使われたことがある曰く付きの品である事が証明された。
って本物置いてんじゃねえよ! 怖いだろが!
その時だった。
俺たちの前方で、いきなり展示物が浮き、ガラスケースを突き破った。
同時に館内に警報が鳴り響く。
ポルターガイストが荒ぶってる!
手も触れずに物理現象に影響を与えるレベルの穢れだと!
おかしい早すぎる!
紗菜だって今のようにものを動かるようになるにはそれなりに時間がかかってるはずだ。
それを手も使わずにここまでやりやがっただと!
前にはポルターガイスト。
後ろには悪霊。
絶体絶命じゃねえか!
だいすけくん! あそこ!
紗菜が指を指している。
その方向、刑事部門の一角に黒い塊まみれの塊が見えた。
何か特別な場所に違いない!
うおおおおおおおおッ!!!
俺はそこを目指し一気に駆出した。
途中、十手や刺股、それに石の塊が飛んで来る。
死ぬやろが!
そう思いながらも俺はスライディングでそれをかわす。
うはははは!
俺SUGEEEEE!
ひゃっほー! カッコイイ! 結婚してぇッ!
……と思ったら、目の前に石の塊が飛んでいるのが見えた。
展示のプレートが目に入る。
石抱責……
マジかよ……
なるほど……本物か。
じゃねえ!
ふんがッ!!!
俺は泣きそうになりながら横に飛ぶ。
げぶッ!!!
だが石はそんな俺の脇にぶち当たる。
強制的に排出される肺の空気。
勝手に流れ出る鼻水。
同時に俺の体の中でブギュルと言う音が響いた。
それは俺の骨が折れた音だった。
折れた! 痛えええええ!
本気で痛い。
マジで痛すぎて動けない。
呼吸ができねえ!
だいすけくん! 後ろ!
紗菜の声が聞こえた。
次の瞬間、はらわたを触られるかのような悪寒が俺を襲った。
俺の背中から腹を突き破る手が見えた。
後ろを見ると黒い塊から白い女の手が俺に伸びていた。
悪霊に追いつかれていたのだ。
実体がないせいか痛みはない。
く、くっそ!!!
俺は大急ぎで立ち上がり走る。
体から手がするりと抜けた。
俺の体の中に腹を刃物でかき回されたかのような不快感だけが走った。
なにがあったんだ!
俺は悪霊の手を見た。
悪霊の手には光るものが握られていた。
あれは俺の魂だ!
幸いなことに一部だけだが。
あれだけだったらまだ死なない量だ。
黒い塊が割れどこを見ているかわからない目をした女の顔が現れた。
そして俺の魂を一口で飲み込む。
タマシイ……おイしい
クソ!
喰われた
一部だが魂を食べられた。
ヨこセ!
もっとよこせええええええエ!
スピーカーのハウリング音のような不快な音をさせながら悪霊が叫んだ。
クッソ!
死んでたまるかあああああああッ!
俺は悪霊の反対側、前方の黒い塊、穢れに突っ込んでいく。
あと一メートル。
俺は懐から瓶を取り出す。
俺は瓶を穢れへ放り込んだ。
瓶の中身は若水。
元日の朝早く、人に会う前に汲んだ井戸水だ。
邪気を払う効果がある。
メイドインジャパンの聖水である。
一気に穢れが散り散りになっていく。
穢れが霧散していくと悪趣味な拷問具がそこに見えた。
女性像の中にトゲが生えた道具。
拷問具ではない。
処刑具だ。
それはいわゆる鉄の処女だった。
たしか大学のものはレプリカのはず……
俺は恐る恐る、だが同時に迅速に中を開けた。
中には目を見開いた無残な姿の遺体があった。
あうううウ。タマシイよこセええええエ!!!
だいすけくん! 早く!!!
背後から悪霊が迫り、紗菜の悲鳴が上がる。
またもや悪霊の手が俺の体に差し込まれる。
だが俺は冷静だった。
やることは決まっているのだ。
今助けてやる!
俺は体の名状しがたい不快感を振り払い、体に残ったわずかな力をこめた。
実は俺の目的は金じゃない。
悪霊の解放だ。
でも紗菜には言わない。
恥ずかしいから。
俺は懐から剣を出す。
剣と言っても道教などで使われる古銭を束ねた銭剣と呼ばれるものだ。
俺は第六感、いわゆる霊能力で死体を見る。
いくつもの黒い糸が見える。
それらは全て床や天井に繋がっている。
これが悪霊化させた原因。
憎悪、後悔、恨み。
いわゆる怨念といわれるものだ。
本来、きちんとした儀式で浄化され、埋葬がされていれば出ないものだ。
光の中に影の力あり!
俺は銭剣を振り一気にそれを立ち斬っていく。
横薙ぎの剣が何本も何本ものこの世への憎悪、それを斬り払った。
あああああああッ! ぎゃあああああああああッ! イタイイタイイタイいた……
悪霊の悲鳴が上がる。
黒い塊をまき散らしながら苦しそうに暴れる。
女の顔が現れた。
目から血のように黒い塊。
いや穢れが流れ落ちる。
これでいい。
全ての穢れが外に出れば浄化されるはずだ。
俺の思ったとおり、穢れは消えるかのように散っていった。
もはやそこに穢れはなかった。
穢れが固まっていたところに女子学生が倒れていた。
肩まで伸ばした茶色い髪。
白いが血色のいい肌。
その目は正気を取り戻していた。
全て元通りになったはずだ。
いや……失った命だけは元通りにはできない。
ああ。そうか……私……
女子学生がそうつぶやいた。
もう大丈夫なはずだ。
一人で家に帰れるな?
俺は確認のために聞いた。
うん……
女子学生が微笑んだ。
余計なことは言わない。
死者の背負った哀しみなんて俺のように死んだこともないやつが理解できるはずがないからだ。
ありがとう……
ああ。じゃあな。
俺もつられて笑い、手を振った。
次の瞬間、女子学生の幽霊が消えた。
家に帰ったのだろう。
安心して息をついた俺の耳に間の抜けた声が聞こえてきた。
うわあああああん! だいすけくん! 死んだかと思ったー!
紗菜が抱きついてきた。
すんません。紗菜さん。
マジで骨折れたっぽいのでハグは勘弁してください。
さっきまで格好つけてたけど俺ちゃん死にそう。
吐きそうなくらい痛い。
俺は震える手で携帯を取り出し電話をかける。
このままだと博物館で暴れたバカとして社会的に死んでしまう。
役所にはこういうときに揉み消してくれる機関があるのだ。
はい。文部科学省。霊能者相談センターです
登録番号 へ-777番です。
XX大学の博物館で悪霊と交戦。
遺体発見し浄化完了も怪我人多数……遺体は他殺……A級災害です。
処理班をお願いします。
あと俺も死にそう……
そこまで言うとなんだか意識が遠く……
もう無理……俺……少しがんばりすぎた……
っちょ! だいすけくん! だいすけくん!
紗菜の声が聞こえた。
……ジークおっぱい……。
俺の意識は深い闇に落ちていった。