゚・*:.。. 少年よ野望を抱け.。.:*・゜

 今日から、進路相談が始まる。

 もう高校三年、まだ春の初めとはいえ、そろそろ希望の進路を決めておかなきゃいけない時期にきているのだ。
 ずっと前から決まっている人も、まだ自分が何がしたいのかいまいち分かってない人も、ここ数日は皆そわそわしている。

 僕も同じだ。

恵吾

緊張するなぁ……

 出席番号が若い順に、一日五~六人ずつ。
 放課後の時間を使って、二週間ばかりの日程が組まれている。

 相田恵吾(あいだけいご)、なんていう名前のお陰で、僕はいつだって出席番号一番。
 つまり、トップバッターだった。

恵吾

でも大丈夫、昔から決まってるもんね

 ノックをして、声をかけて、進路指導室のドアを引き開ける。

恵吾

失礼します

 中には担任の神埼先生が居た。

神崎

おう、来たか相田。そこ座れ

 神崎先生は、手にしたボールペンで一組の椅子と机を指差した。
 先生の机と顔を突き合わせる形でセットされている。

恵吾

宜しくお願いします

 座って、ぺこりとお辞儀を一つ。
 先生は満足そうに頷いた。

神崎

よし、じゃあ始めるか。
先ずお前の成績だが。申し分ない。
昨年の年度末は、学年で五番だったな

恵吾

たまたま、ヤマが当たったんです

神崎

そうか?
ま、そういうことにしといてやる

 先生は豪快に笑った。

神崎

そんなわけで。
マサチューセッツ工科大学に留学したい!
なんて大それたこと言わない限り、問題ないだろう

 先生なりの冗談なのだろう、悪戯めいた顔で口の端を吊り上げて見せる。
 それから手元の資料に目を落とした。

神崎

生活態度も良好。全て問題なし。
ああでも、推薦を希望するなら早めにな。
枠の制限あっから

恵吾

大丈夫です。
推薦は使いません

 断言すると、少し不思議そうに顔を上げる。

神崎

やけに自信満々だな。
希望する進路、もう決まってるのか

恵吾

はいっ!
バッチリあります!

神崎

そーかそーか。
そうハッキリしてくれてると、先生も助かる

恵吾

昔からの夢があるんです

神崎

へえ、最近の若者にしては感心だ。
何になりたいんだ?

恵吾

犬です!

 ちょっとだけ、空気が固まった。気がする。

神崎

……あ?

 先生は笑顔だけど、なんだかよくわからないような気の抜けた声を出した。
 よく聞こえなかったのかも知れない。もう一度、言ってみる。

恵吾

犬です

神崎

……イヌ?
それは、何かの通称とかか?

恵吾

通称? 
えっと、先生知りません? 犬

神崎

いやー、俺の知ってる犬ってーと、
フサフサした耳と尻尾持ってる獣しか
思いつかないんだが

恵吾

そうです、それです先生

 頷くと、先生は急に困った顔をした。
 どうしたらいいものか、と迷うように僕と手元の資料を見比べ、握ったボールペンの端で頭をかく。

神崎

えーと、あのな。
自分が将来なりたいものの話を
聞きたいんだよ、俺は。
分かってるか?

恵吾

勿論ですよ! 僕は真剣です!

神崎

真剣に、犬になりたい、と

恵吾

できれば柴犬になりたいです!

 子供の頃からずっと変わらない、この夢を他人に喋ったのは初めてだ。
 しかも、柴犬、なんて具体名まで出してしまった。物凄くドキドキしている。

神崎

あのなー、相田

 先生はますます顔を曇らせて、溜息をついた。

神崎

俺の知る限りでは、
人間は犬にはなれない、多分

恵吾

ええっ!?

 嘘だ、そんなの。だって。

恵吾

ちゃんとなってる人居るじゃないですか!
ほら、先生も知ってるでしょ、あのCM!
柴犬じゃなくて、北海道犬らしいですけど!

神崎

ああ、あれな

恵吾

アノ白いヒトだって、元は人間なんですよ!
職業が『犬』なんだって言ってましたもん!

神崎

そういう設定、だったかな

恵吾

設定もなにも、そうなんです

 妙な沈黙が流れた。なんとなく気まずい。

神崎

……えーと、つまりあのCM見て、
お前も犬になれるって思ったんだ?

恵吾

ええ

神崎

ガキの頃からの夢だって言ったか?

恵吾

はい

神崎

御両親はなんて?

恵吾

小さい頃、無理だって言われました

神崎

だろうな

恵吾

でも、あのCM見て感動したんです!
頑張ればなれるんだって思いました

神崎

あー……
そこでそういっちゃうのかー

 純粋というか、なんというか。
 先生は呟いて、またボールペンで頭をかき、壁にかかった時計を見る。

神崎

そろそろ、次の奴が来ちまうな

 大きな溜息をついた。

神崎

悪い、相田。時間切れだ。
その話は改めて、個別に聞いてやる。

恵吾

……わかりました

神崎

まあ、基本的には、
考え直したほうがいいと思うぞ

 困り顔の先生に送り出され、納得がいかないまま、僕は進路指導室を後にした。
 

゚・*:.。.旅は道連れ世は世知辛い.。.:*・゜

恵吾

はあ……

 誰も居ない屋上で独り、溜息をついた。
 まさかこんな展開になるなんて。

恵吾

やっぱり、言わなきゃ良かったかも

 昨日の夜、お風呂に入りながらずっと考えていたのだ。
 親兄弟に、けなされても否定されても小さい頃からずっと温め続けてきた夢を、口に出すべきか否か。

 悩みに悩んだ末、どうしたら本当の犬になれるかわからない以上、知識人の意見を聞くべきだろうと、意を決した結果の今日だったのだけれど。

神崎

…………


 先生の可哀想な子を見るような目を思い出すと。

恵吾

黙っとけば良かったのかなあ

 なんて気になってしまう。

恵吾

どうやったらなれるんだろう……
柴犬

恵吾

ふわふわで、もこもこで
ちょっと凛々しくて

 いいよなあ、と空を見上げたところで、

 背後で勢い良く、廊下に続く扉が開いた。

栄太

…………

 立っていたのは、クラス一、いや、学内一の不良の名をほしいままにしている、絵に書いたような悪ガキそのまんまの不良少年、朝倉栄太(あさくらえいた)。

恵吾

!?

 その鬼のような形相と、突然の乱入という事実に、二重に驚いて声も出せない。

栄太

おい、優等生

 咄嗟に周囲を見渡した。
 誰も居ない。僕と彼の他には、誰も。

栄太

おめーだよ。相田恵吾

 余計にキツイ表情で睨まれる。

 やっぱりですか。そんな気はしてたんですけど。

 頭に浮かんだ軽口は、音になって出ては行かない。
 代わりに、

恵吾

な、なん、ですか

 震えてへろへろの声が出た。

 僕を睨んだまま、不良少年が近づいてくる。
 新学年でクラス替えをするまでは同じクラスになったことが無かったし、今年度に入ってから今まで、一回も会話した記憶なんて無い。
 だから用事なんてあると思えないんだけど。

 それともカツアゲですか。ジャンプとかさせられちゃう感じですか。
 あるいはムシャクシャしてるから殴らせろ、とかですか。昔よく見た猫型ロボットアニメに出てきた、いじめっ子を思い出す。

栄太

…………

 すぐ目の前、胸倉をつかもうとすればつかめる近さで、見下ろされる。
 僕よりも頭半分ほど背が高く、筋肉質に見える相手に、腕力ではどうやったって勝ち目が無さそうだ。

栄太

お前さあ

恵吾

はっ、はい?

栄太

犬になりたい、
って、マジ?

 冷や汗が出た。心の中は大絶叫。

 うわあ聞かれてたあああああああああああ!

 一気に気分がどん底になる。

 僕はどうなるんだろう。
 このことを他の奴にバラされたくなかったら、大人しく言うことを聞けとか脅されて、これから一年つつがなく過ごすはずだった、最後のワンダフル高校ライフを不良の下僕として捧げることになるのか。
 ああ、ついてない。

栄太

どうなんだよ

 いや、でも待てよ。
 僕は真剣かつ純粋に犬に、もっと言えば柴犬になりたいわけだし、この夢を親族以外の人に打ち明けたことは確かに無かったけど、それは別に犬になりたい想いを恥じた結果ではなくて、つまり誰かにバラされたところで、痛くも痒くも……
 ないわけないじゃないですか。

栄太

おい、聞いてんのか

 わかってるんだ。この夢が、いわゆる普通の夢ではないことくらい。今まで散々親にたしなめられてきたんだから、そりゃあ身に染みるほど知っている。

 大変だ。このままではクラスの皆に、確実に変質者っぽい目で見られてしまう。
 今まで一応そつない言動を心がけてきて、親しい友達も両手で数えられるくらいはいて、結構楽しいと言える高校生活を送ってきているのに、新学期のクラス替えをしたばかりのこのタイミングで痛い奴扱いされてしまうのはキツイ。というか、マズイ。

栄太

無視すんなコラ

 けど、なんで彼が知ってるんだろう。
 まさか、神崎先生が喋ったのか? ああ、担任教師を信じた僕が馬鹿だった!
 今まで何年も、それこそ十年以上秘めてきた夢だったんだから、大人しく心に仕舞って鍵をかけておけば、こんなことにはならなかっ――

栄太

いい加減にしろよ!

 胸倉をつかまれて、引き上げられる。
 ああ、ついに殴られるのか。観念したところで、

栄太

『犬になりたい』っつってたのは
本当なのか、嘘なのか!
どっちなんだ!

 また聞かれた。
 息が吹きかかるほどの近さで。

恵吾

す、すみません!
本当です。嘘じゃないです

 謝った挙句に、正直に答えてしまう。
 誤魔化したらバレて、それこそ酷い目に合わされそうな予感がした。

 ああ、これで平穏な高校生活も終わりか。
 ちょっと遠い目になってしまった僕の視界から、不良少年の不機嫌面が遠ざかる。

栄太

ふうん

 そして、ちょっと愉快気に笑い始めたのを、見た。

 これは確実だ。確実に、脅される。
 すっかり諦めに染まりきった僕は、怯えていた。一体何を命令されるのかと。

 しかし、想像は現実にはならなかった。
 彼は悪巧みをしているようにしか見えない微笑を貼り付けて、言ったのだ。

栄太

こんな近くに
似たようなこと考えてる奴がいるなんて、
思いもしなかったぜ

恵吾

ふえ?

栄太

俺もさ、
なりたいなーと、思ってたんだよ

恵吾

な、何にですか?
まさか、犬に?

栄太

違えよ、馬ぁ鹿

恵吾

ですよね、
すみませ……

栄太

ウサちゃんだよ

恵吾

栄太

ウサちゃんだって。
ウ、サ、ギ

恵吾

ええええええええええええええー!

 こうして僕らは、奇妙な共犯者ということになってしまった。

 柴犬になりたい僕と、兎になりたい不良少年、朝倉栄太の進路活動計画が、始まる。



to be next trouble...■|

僕らの奇妙な進路活動 - 1

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