魔王、ねぇ……前の住人さんなら、詳しい場所は聞いてないですけど、南の方にあるリゾート島に引っ越したとか何とか

彼がぽつりと呟くなり、ベキィッと、エリオルの背後で凄まじい音がした。振り返ると、サラが手にしていたメイスをへし折って地団太を踏んでいる。
ごく普通の回復術師ならば、素手でメイスはへし折れるものではない。本来後衛タイプは非力であり、メイスは金属製なのだから。

サ、サラ?

エリオルが背中に嫌な汗を滲ませつつ、サラの様子をそっと伺う。

悔しい! なにそれ悔しい! こっちはお洒落もしないで汗と泥にまみれながら辛い苦しい冒険してるっていうのに、なんで魔王みたいな悪者が南国リゾートとかっ? 私だって南の島でエステに買い物、ビーチでトロピカルドリンク飲みながら、グッドルッキングガイでもはべらして、リッチでゴージャス気取りたいわよ!

サラは目尻に涙を滲ませて地団駄を踏み続ける。

分かる! サラ、僕もその気持ち、すっごい分かる!

アイアリスがサラの手を掴んで涙目になる。エリオルはぎょっとして二人から一歩後退さる。

こっちはいきなり王様に呼びつけられて、貧相な装備と小銭投げ渡されて上から目線で『魔王倒してこい(笑)』だよ? 魔王と渡り合えるだけの装備を買うのにどれだけ必死に働いたか! 妙に腰の入った領主に色目使われたり、クソ偉そうな商人にペコペコへつらってアイテム譲ってもらったりしたのに! なのに魔王は配下をアゴで使って人々から巻き上げた汚いお金でレッツエンジョイ・ブルジョワ・リゾート! 悔しい! 超悔しい!

あの、アイアリスくん? 怒るところ、そこ? サラもちょっと怒りの方向、間違ってない?

突如結託して悔し涙で見つめ合うサラとアイアリスを見て、エリオルの頭に昇っていた血が一気に覚める。先ほど頭の中で一気に組み立てた真・魔王討伐プランも一瞬で白紙に戻る。

エリオル、サラ、今すぐ南の島へ行こう! 僕たちもエンジョイ南国リゾート、ヒア・ウィ・ゴーだ!

いいわね、アイアリス! エステとグッドルッキングガイが私を呼んでるわ!

いや、あの……だから目的変わってない? 魔王どうするの? 世界の平和は? 俺たち勇者のパーティーだよね?

もはやエリオルの弱々しいツッコミは、南国リゾートに目が眩んだ二人に聞き入れてもらえない。

あのぉ……

魔王城の現在の主が、遠慮気味に声を掛けてくる。手にはなめこの味噌汁が入ったお椀。

そちらで随分盛り上がってるみたいですけど、お話してる間に、ぼくの晩ご飯、すっかり冷めちゃったじゃないですか。なめこもぬめりがすっかり溶けて、お汁がドロドロになっちゃいました。なめこのお味噌汁はあったかい内が最高に美味しいんですよ。ぬめり成分のムチンが溶けだしたお味噌汁は、ムチンと味噌が層になって沈殿するし、飲んでも喉に絡むだけだし、全然美味しくないんです

あ……はぁ。すいません。あまりに影薄くてモブっぽいので、存在忘れてました。ええとー、勘違いで飯時に突然押し掛けちゃって、すいませんでした

エリオルは勇者の剣を後ろ手に持ち、頭を掻きながら彼に詫びる。

ほかほかご飯もすっかりカピカピ冷やご飯。せっかくのぼくのささやかな晩餐が台無しじゃないですか。扉も蹴り破って壊すし。修理代いくら掛かると思ってるんですか? 特注品なんですよ、あれ

彼はちゃぶ台になめこの味噌汁を置き、すっかり冷えたほうじ茶をずずっと啜った。

ああ……ええと、すみません

ごめんなさい

意識が現実に戻ってきたアイアリスとサラも揃って頭を下げる。

謝ってもらっても、冷えちゃったご飯は戻ってこないんですよね。ウチ、電子レンジ無いから、結局これ全部捨てて作り直しにですよ。あーあ、一食分損しちゃった。もったいない

はぁ……そうしたら、どうやってお詫びをすれば?

そうだねぇ……

彼はジャージのポケットに手を入れ、中を探る。目的の物を見つけたのか、ゆっくりと手を出し、エリオルたちの前で指を開いた。その掌には、くりくりと赤い目をした、白い毛並の愛らしいハムスターがちょこんと乗っている。

なんでポケットからハムスター……

ぼくのペットのケルベロス君です。この子は物凄く舌が肥えてるんです。贅沢フードしか食べないんですよ

はぁ……?

彼は指先でハムスターの頭を愛しげにナデナデする。そしてエリオルたちの方に向き直り、屈託なくニコリと微笑んだ。
ちなみにケルベロス君は『君』までが正式な名前である。

じゃあ、晩ご飯の代償に、キミたち死んでね。丁度ケルベロス君も餌の時間だったし

へ?

ほら、ウチって魔王城じゃない? さっきも言ったと思うけど、それっぽくするための “小道具” が必要なんだよね。白骨とか、血痕とか。せっかくだから死体になって、その辺に転がっておいてくれるとありがたいなぁ

なっ……

エリオルが驚愕で目を見開いたまさにその時、彼の掌に乗った魔ハムスター・ケルベロス君が、カパッと小さく可愛らしい口を開いた。刹那、その小さな口から、灼熱に焼けつく熱線を吐き出す。熱線はまっすぐにエリオルの心臓を射抜いた。
一言も声をあげる事なく、その場に倒れるエリオル。ひと呼吸置いて、サラが悲鳴をあげた。

凶悪で獰猛な魔ハムスター・ケルベロス君の吐き出す殺人熱線がサラを、アイアリスを次々と焼き殺し、その場に焼け焦げた三つの死体が積み上がる。
手際よく全ての仕事を終えると、魔ハムスター・ケルベロス君は満足気にジジッと小さく鳴いてエリオルだった肉の塊の上に飛び降りた。そして強靱な鋭い齧歯で新鮮な焼きたての肉を貪った。
愛らしいハムスターの容姿をしてはいるが、ケルベロス君はこれでも立派な魔界の獣。新鮮な肉しか食べない、グルメな肉食魔獣の魔ハムスターなのだ。

ああ、そうだ。言い忘れてたけど、ぼくの名前はグレゴリー・サタニノス七世。魔王を世界に派遣した魔界の王とはぼくの事で、簡単に言っちゃえば、ぼくは魔王より格上の大魔王や覇王ってトコかな。でも大魔王とか覇王って肩書き、ぼく、あんまり好きじゃないんだ。だから気さくにグレゴリーって呼んでくれていいよ。あ、もう聞こえないよね。自己紹介が遅れてゴメンナサイ

彼──グレゴリーは三つの死体の足や腕を掴んで、ずるずると広間の外へ歩き出す。

えーっと、廊下とか隠し小部屋の〝小道具〟は間に合ってるから、玄関とかに置いておいた方が、魔王城っぽいかな? 次にやってくる勇者とか宅配のおじさんも、〝玄関開けたら三歩で死体!〟だなんて、絶対びっくりするよね? 面白そう!

彼は細身の体だが、三つの死体を軽々と引き摺っている。彼を決して侮ってはいけないのだ。ジャージを着ていようと、地味なモブ顔だろうと、彼は正真正銘、魔界の覇王なのだから。
グレゴリーはポイポイと、まるでゴミを扱うかのように、三つの死体を正面入り口のホールへと放り出した。
その時、彼の背後でギギギと扉が開く重い音がホールに響く。

んもう……。今日はお客さんが多いなぁ。晩ご飯まだなのに

面倒臭そうに振り返ったグレゴリーは、扉を開け放ち、そこへ佇む者の姿を見て、一瞬で顔を真っ青にして頬を引き攣らせた。
そのまま目にも止まらぬ勢いで両手を頭の上で合わせ、全力ダッシュからの飛び込み前転スライディング土下座を決め、腹の底から叫んだ。

すみまっせん、大家さんんん! 今月の家賃、あと三日待ってくださいいぃぃぃっ!

pagetop