第４話　庭先

俺の家の庭には柿ノ木が一本有った。　子供の頃にそこに登っては良く母親に叱られたものだ。

柿ノ木の枝って言うのは折れやすいので、例え子供の体重といえども安心できないせいなのだろう。

母親が怒るのも無理無い事なのだ。

だが、遊びの邪魔をされたと思った俺は、子供心にもやもやとした物を感じ、不貞腐れていたりしたものだ。

そんなある日、柿の木の枝に白く長い物がぶら下がっているのが見えたんだ。

それは只、柿の枝にぶら下がりユラユラと揺れている。　見た感じ只の長い白い布の様に見えた。

俺は傍で針仕事をしている母親に、その白い布を指差しながら聞いた。

母親は白い布をジッと見ていたはずなのに、そう言って元の針仕事の続きに戻った。

俺は確かにそこに見えているのに、見えないと言われる理不尽さに抗議した。

現に目の前で揺れている。

子供というのは自分の言い分が通らないと癇癪を起すものだ。　そんな事に付き合いきれない親は怒り出すものだ。

揺れている白い奴に目を向けず、自分の手元を見ながら強く叱るように言う母親に、俺はビクッとして何も言えなくなった。

俺は母親の余りの権幕に驚いて俯き、俺は白い布が垂れ下がっていた柿ノ木を盗み見た。

すると視線を戻した時にそれは消えていた。

唖然として母親を見上げたが、彼女は何事も無かったかのように針仕事を黙々と続けていた。

その夜に悪夢を見た。

俺は柿ノ木の林の中に居た。　空を見上げるとどんよりとした曇り空。　周りには人っ子一人誰も居ない。

風がゴゥゴゥと上空を駆け抜けて、低い雲が流れて行っている感じだった。　空気は張りつめた感じで耳を圧迫する気がしていた。

そんな林の中に俺は一人ポツンと立っていた。

右を見ても左を見ても柿ノ木だらけだった。

訳も分からずにジッとしている事も出来ない。　取り敢えず、家に帰ろうかと思い、柿ノ木の間をぶらぶらと歩いていた。

しかし、違和感を感じた。　何かが変なのだ。　俺は周りをキョロキョロと見回し違和感の正体を探ろうとした。

そして、気が付いたんだ。　よくよく見ると全て同じ柿ノ木だ、樹に生ってる柿の実の位置まで同じなのだ。

俺が記憶している限りでは、こんな場所は近所には無い。

自分はいきなり迷子になってしまったのではないかと不安になっていた。

トボトボと歩いていたのが、少し早歩きになり、やがて駆け足になっていった。

それでも柿ノ木の林から抜け出る事が出来ない。　同じ柿ノ木の間を何度も駆け抜けている感じだ。

俺はいよいよ、不安になって立ち止まってしまった。

ふと、足元を見ると大きな柿の実が一つ落ちている。　それを何気なく拾おうとした時に目の隅に何かが見えた気がした。

何だろうと、そちらを見ると紺色の作業着を着た男が、柿ノ木に梯子を掛けて登っている。

柿の実を収穫しているのだろうかと思ったが、紺色の作業着を着た男は梯子の上でじっとしていて動きがない。

ぼんやりと輪郭しか見えて無い男だったが、俺はその男と目が合った気がしたのだ。

しか、違和感を覚えてその男を見ていると、紺色の作業着はたしかにこっちに背中を向けていた。

でも、視線は感じる。何より身体をこちらに向けていないではないか。

俺は違和感の正体に気が付いた。

そして、もっとゾクッとする恐怖がそこにある事にも思い至った。

男は振り向いていたんじゃなくて、ガックリと首を後ろに倒して、首だけがユラユラと揺れていて、俺を見ているのが解ったのだ。

言葉を失っていると紺色の作業着の男は梯子を降り始めた。

俺は恐怖で動けない。梯子を降りた男は地面に降りて、俺に近づいて来たんだ。

後ろ向きのままにスタスタと言う感じで歩み寄って来る。頭はユラユラと揺らしたまま、俺を睨みつけている。

その時に気が付いたんだ、紺色の作業着の男は顔は般若のお面にそっくりだった。

俺は悲鳴を上げながら起きた。

しかし、自分の居る部屋の中は静まり返り、自分の吐き出す荒くなった息の音だけが聞こえてきていた。

もちろん部屋を見回しても何もいない、部屋の窓に掛けられたカーテン越しに、月明かりが入ってきているだけだった。

俺は外が明るくなるまで蒲団に潜り込んでジッとしていた。　ひょっとしたら部屋の隅の暗闇に何かが居る気がしたからだ。

そして、いつの間にか寝てしまった。朝、目が覚めた時には陽の光の中で安堵した。

その年に母親が死んだ。自宅の風呂場で発作を起こして気絶したらしく、湯船の中で溺死してしまったそうだ。

何の発作なのかは聞いてはいない。至って健康だと思っていたので、周りの大人たちはビックリした。何しろ病気らしい病気をした事が無かったからだ。

俺には葬式の時の記憶は無く、母親を探し回って泣いていたのは覚えている。

後、大人たちが何か騒いでいたのは覚えているが、憔悴しきったお爺ちゃんの横顔しか覚えて無い。