結婚とは義務だ。

交換される指輪に込められる思いは、幻想の欠片もない実利と合理性の塊。

有態に言えば、結婚とは家門と家門の契約なのだ。

当事者たちの意思や希望など、周囲にとっては雑音程度にしか考慮されない。

アレク

義務、責務、責任。

言葉は違えども、全てが生まれながらにして決められているルート。

鳥篭の鳥と、何が違うというのだ。

古の格言に曰く

『恋愛とは、年頃の子女がわずらう病であり
或いは年頃の子弟が陥る錯覚である』

アレク

……はぁ。

強いられた結婚への嘆きも故にありふれていた。

猫の子のようにやり交わされることを嘆く悲嘆の詩や歌のなんと多いことか。

だが、私にはその気持ちが分からなかった。

なにしろ……私には結婚という機会すら与えられないであろうと知らされていたからだ。

アレク

はぁ……。鳥篭の鳥に飛び立てとはまた、なんとも……。

私は、自分の一生が鳥篭で終わるであろうことを齢6歳にして悟っていた。

王族を閉じ込める為の、壮麗で……空疎な鳥篭。

王の子供として生まれた者は、王位継承者以外が誰もが直面する運命であった。

外の世界のことなど、何一つとして知らされない。
ごく少数の宦官と老僕と共に、何も代わり映えのない日々を送るだけの一生。
或いは、王となった兄の温情だろうか?

本だけはふんだんに読ませてもらえたが、見果てぬ世界のことを思うだけで胸が苦しくなるだけであった。

外のことに興味を持つのを、私は何時しか自制するようになる。

アレク

飛べない鳥に、外を見せることがなんと残酷なことか。

アレク

いや、違うか。

アレク

兄上のことだ。

……せめて、眺めさせてくれようとされたのだろう。

悪意ではなく、純粋な善意で。

アレク

兄さんらしいや。

あの人は……。 きっと、良かれと思って何時だってうっかりやらかされていた。

それは残酷な善意だった。

知らなければ、きっと渇望することもなかっただろう。

見果てぬ外に思いを馳せて、恋焦がれる衝動を余人がどうして理解できようか。

禁断の果実なのだ。

味わってしまえば、味わってしまえば、それを忘れることなど夢にも思えない。

アレク

アダムとイブに禁断の果実を勧めた蛇、か。聖書のたとえ話を思い出す。

知らなければ、それを欲することすらありえない。

知ってしまえば、もはや知らなかった心に立ち返ることはかなわない。

だが

どうして、予想することが出来ただろうか?

自分が、鳥篭から連れ出されて王冠を被らされる日がくるなどと。

鳥篭から自由に飛べる世界へ連れだされた自分が、寄る辺を求めて不安に苛まれると。

アレク

いや、そもそもそれ以上だ。

ああ、なんと心とはままならぬものだろうか。

アレク

病……か。

恋とは、まったく恐ろしい。

なるほど、これは病だ。

死に至る恐るべき病だろう。

思い出すだけでも、動悸が乱れるのだ。

沈んでいたはずの感情。

こんなにも、もどかしく、そして苦しい。

思い出すのは、彼女の作り物じみた表情。

エーファ

アレク陛下、初めまして。

アレク

ん? 汝は?

グレゴール

陛下、こちらはロートリゲン王国のエーファ・ロートリゲン王女殿下であらせられます。

養育係だった老執事が自分の下へと案内してきた女性。

彼女への第一印象は……実のところ『無関心』であった。

アレク

グレゴール?

聞いていないぞ。

隣国からの客人について、自分に知らされていないという一事。

それも、小なりとはいえ隣国の王女。

彼女個人に対する好悪以前の問題として、心を占めたのは『自分が蚊帳の外』に放り出されているという事実への憤りだ。

アレク

老臣どもめ、また、私を抜きにして何事かを計らっているのか?

自分がお飾りであることなど、とうの昔に承知している。

兄王どころか、父王の時代から宮中に使える貴族ら。

海千山千の彼らにしてみれば、自分など……。

グレゴール

陛下、失礼ながらお客人ではありません。

……私もつい先ほど、宰相閣下よりお伺いいたしましたが、陛下の婚約者であらせられます。

アレク

こ、婚約者だと!?

知らぬぞ、と吐き捨てつつ零すのは蔑ろにされることへの憤り。

また、だった。

また、自分の知らぬところで物事を決められている。

グレゴール

はい、陛下。

先立ってロートリゲン王国との修好と停戦の架け橋として、陛下と王女殿下のご婚約を条件に講和が成立しておりました。

湧き上がってくるのは憤り。

知らされてないどころの話ではなかった。

アレク

なっ。……では、それは!?

戦争が終わったことだけは知っていた。

だが、その条件など……自分は知らされていない。いや、兄上が停戦のときに王だったのだ。

……本来であれば、つまり、彼女は兄上の婚約者となったことだろう。

老臣共が、兄上の代わりとして自分を即位させたとき、自分はすべてを兄上からのお下がりで即位した。

ある程度は覚悟していた。

やむをえないだろうとも理解していたつもりである。

だが、自分が『兄』の『代用品』としか見做されていないという事実は流石に耐えかねた。

……気が付けば、感情のままに口走ってしまっていた。

アレク

私には、婚約者まで兄上のお下がりだというのか!?

エーファ

……

グレゴール

陛下! 
お言葉が!

アレク

グレゴール! お前まで、私を!

自分はあの瞬間、彼女を、エーファの存在を、完全に忘れてしまっていた。

気付いてさえ、気を配ることさえできていれば、あの結果を避けることは出来たのだろうか?

エーファ

グレゴール様をあまりお責めになられませぬように。

……陛下、ご不快を強いること、ご容赦願うばかりであります。

アレク

酷く不快な物言いだな。

エーファ

……はい、陛下。

悲しげに呟く彼女の言葉を、義務感で自分に語りかけてくる彼女の怯えた瞳を、私の言葉が生んだと気付いてすらいなかった。

あの瞬間、ただただ、自分だけが被害者であるかのように憤っていた自分の心は現実を見ようともしなかったのだ。

籠の鳥は、自分の世界しか知らない。

そう言い訳したところで、結局は自分の醜さをさらけ出すだけではないだろうか?

なんとも悲しい話だ。

グレゴール

へ、陛下!

アレク

グレゴール!

エーファ

ご無礼の程、ご容赦ください。願わくば私たちの出会いが、両国の古い遺恨を乗り越える架け橋とならんことを。

怯えた表情のエーファが、感情のこもらぬ言葉を投げかけ、一礼すると同時に立ち去った瞬間のことは今でも思い出せる。

……日々、鮮明に悔いと共に思い出せる。

あの時、自分が何を口走ったか理解している。

叶うことならば、あのときの自分を殴り飛ばしたいばかりだ。

あんなことを、あんな言葉を、自分が彼女に浴びせたのだ。

幾ら詫びようとも、彼女に自分の言葉は届かないだろう。

……自分には無縁だと思っていた『恋』は、それと悟る間もなく自分自身の言動で摘み取ってしまっていた。

なんと、愚かな男だろうか。

籠の鳥は、自分の世界しか知らない。

そう言い訳したところで、結局は自分の醜さをさらけ出すだけではないだろうか?

なんとも悲しい話だ。

グレゴール

陛下? 

アレク

ん、ああ、グレゴールか。

グレゴール

いかがされましたか?

アレク

なんでもないとも。
少し、考え事をな。

グレゴール

ならば、宜しゅうございますが……お急ぎください。

宰相以下、皆々様がおそろいです。

アレク

ああ、分かっているとも。

グレゴール

ご婚礼の日程についてです。

……陛下、あまり御気に病まれますな。

すべてが手遅れだろう、という言葉は飲み込んだ。

……叶わぬ恋、握りつぶした当人はなんと間抜けなことに自分自身。

愚か者とは、まさに自分の為に在るような言葉。

この苦しみ。

この葛藤。

……恋とは、正しく死に至る病である。

プロローグ ~死に至る病~

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