ひとりの絵描きがいました

しかし彼の絵はどれもこれも金にはならず

周囲の人々も飽きれて

何処かへ行ってしまいました



いつの間にか

彼自身も自分は本当に絵が好きなのか、

何故、描き続けているのか、

分からなくなっていました…

「僕は
いつかのあの場所から一歩も動けずにいる

答えを探してずっと迷ったまま

何度もチャンスはあったはず

ここから出るチャンスはあったはずだ

がむしゃらに駆けたこともあった

しかしいつもここへ戻ってきてしまう」


「僕にはきっと
目指す場所がなかったのだ

僕は空っぽだった

何処かへ行きたいと願いながら、
行きたい処など本当は無くて、

行きたい処を探してさ迷っている

ずっとこの行き止まりから抜け出せない

もうずっと迷子なのだ


今日も僕は何処へ行けばいいのだろう」



日がもうだいぶ昇ってしまった頃に
彼はやっと目を覚ましました

しばらく布団に入ったまま
窓の外を見ています

青く、どこまでも遠い空に
白い雲がゆったりと流れてゆき

窓の隙間からは
ふわりと温かく優しい風が吹いています

もうすぐ夏か…
などと、ぼんやりしていますと

暗く曇った彼の頭がどろりと沈み
いつも知らないうちに
「あちら」へ来ているのです

薄暗いこの世界には
風も温度もありません

ここにあるのは真っ暗な洞窟と
その入り口に静かに佇む青い生物だけ

こんにちは

こんにちは

また来たんですね

君もいつもここにいるんだね

はい、私はいつもここにいますよ

君とまた会えて僕は嬉しいよ

よく分からないけど…君といる間は嫌なこと全部忘れられるんだ

でも本当は私になんて会わない方がいいのですよ

そろそろ夜が来ます
君は返った方がいい

僕はもう帰りたくはないんだ、もううんざりなんだ

ねえ、この先には何があるの

この先には何もありはしません
君は帰らなければいけない

…わかったよ
それじゃあまた来るね

さようなら














僕はいつもここにいる



君がここから先へ行かないように



この先には何もないから…



ギラギラと輝く世界の中で
彼はふらふらと原っぱをさ迷いました


”世界は僕を置いてけぼりにして
遠くへ行ってしまった”

陽炎が輪郭を探しゆらゆら揺らめくように
彼も自分の形を探していました







道の途中

大きな人が振り返り
優しい声で彼に言いました


“君のその苦しみは決して無駄にはならないさ”


“諦めず歩き続ければいつか必ず辿り着ける”


彼はそれを信じて少し安心しました

いつか何処かへ行けると信じ
遠い水平線を見ていました

今日

という1日もまた
何の躊躇いもなく僕の上を通り過ぎて
昨日へと変わっていく

未だ僕の景色は変わらない

ちっとも変わっていない


しつこく残った未練が気持ち悪くて眠ることもできない

夜の途方もない静けさに怯え

明日がまた昨日に変わってしまう終わりない恐怖に
泣いていた

そこから逃れたいという思いが

僕をまた“あちら”へ連れて来ていた

でもあの青い生物はいません

青い生物は夜が苦手なのです

そこにはただ真っ黒な洞窟があるだけです

「ここではない何処かへ行きたい」
という気持ちが彼を洞窟へと誘いました



しかし
不思議なことに歩けど歩けど
目の前にある洞窟の入り口へ辿り着けません

走ってみても、飛んでみても、
まったく辿り着けないのです


「僕はもう何処へも行けないのか
こんなに探しているのに答えは何も見つからず、
こんなに歩いているのに何処へも辿り着けない」

そう諦めた瞬間でした


不意に
何処からかヨタカの歌が聴こえてきました

それは世界からはぐれた者の歌





コマドリになれなかった
ツグミのことなど知らないで
誰もがコマドリの歌を聴いている


コマドリになれなかった
ツグミのことなど知らないで
誰もが青空のタカを見ている


コマドリになれなかったツグミに
だーれも気付きやしない


ツグミを知らない呑気なツグミが
タカになりたいと歌ってる




やあ、君はどうしてそんなにつまらない顔をしているんだい

それは僕の人生がとてもつまらないものだからさ。僕は自分がどこへ行きたいのかすら分からないんだ

ふーん、そうかね

君は遠くばかり見ているから自分を見失っちまうのさ

どんなに世界から逸れていても
自分らしい道を生きてる者は迷ったりしない

その穴へ落っこちる前に
もう一度戻ってみなよ
そこで頭を空っぽにするんだ
そしたらきっと忘れ物が見つかる


彼が目を覚ますと
辺りはしんと静まりかえっていました

窓の外を見ると
彼を待ち侘びたかのように朝日が顔をのぞかせ
世界は忽ち光に包まれてゆきました


遠い遠い日の思い出
幼い僕は温かな陽だまりの中でうとうとしている

そんな他愛のない思い出の中に
1曲の歌が流れていた


「自分を探すと出ていったお前は
どこかで覚えた似合わない歌を口ずさんで

ごまかし続けたその姿はもう誰だか分からない

お前は自分自身と逸れてしまった
お前は好きだった歌を忘れてしまった

もう一度帰っておいでよ

自分を探すってのは新しい何かを見つけることじゃない
ゴミに埋もれてしまった遠い昔のお前を思い出すことだ

お前は自分自身と逸れてしまった
お前は好きだった歌を忘れてしまった

もう一度帰っておいでよ

いつだって
本当の自分の歌はお前の中に流れてる」


それは僕が幼い頃聞いた歌
毎日が楽しみにでならなかった
あの日々の中で流れていた
とても懐かしい歌である


『僕だけが知っている大切な思い出』


絵描きはあの日の風と光と自分自身を
キャンバスに描き始めました


彼の表情にはもう一点の曇りもなく
遠いあの日のように輝いておりました







-END-

はぐれものの歌

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