ツン
え? いえ、
私はちがーー
ツン
……!?
また……線香臭が
えぇ……と? 住人の
方ではないんです?
それは失礼しました
怖い?はなしその3「線香を持つ男」
ーーいえ。住人です
どうかされました?
ホッ
お忙しい所すみません
俺ーーボクはAといって
かつてこの部屋に住んで
いた者の……関係者です
丁寧な物腰に
柔らかな口調
…………
……ぶっちゃけますと、
彼女がこの部屋で孤独
に亡くなってから既に
五年が経過しています
その間、ここが空き室の
ままなのはわざとなのか
ウワサのせいで人の入れ
替わりが早いのかは不明
ですがーー
んん???
ただでさえこのアパート
はなぜか事件がたびたび
発生しているようですし
左手の薬指に
光るリング
そして、涼しげな
雰囲気のイケメン
……かぁ
あ、あの? 聞いて
くれてます……か?
聞いてます
聞いてます
私は入居仕立てで事情が
よくわからないんですが
こちらで何か事件でも?
三十代の女性が、まぁ病死
のような亡くなり方を……ね
おなかの中の赤ん坊と共に
……まぁ……
お気の毒に
毎年この時季になると
こうして線香を焚いて
頂けるのはありがたい
のですが……
そのせいでこの界隈では
いつまで経っても奇妙な
ウワサが絶えないんです
「あの部屋で変死した女
が化けて出る」ーーと
お願いです……せめて住人の
方々だけでもそんな無責任
な噂を信じないで下さい
そして線香を焚くのも
やめて頂けたらと
でないと彼女は、毎年
この時季に嫌でも眠り
から目覚めさせられる
ようで……
真摯な態度……その
女性との関係性は
家族かな?
……とは思えないん
だよなーこれが
我ながら捻くれた
見方をするように
なったもんだわ
ええとAさん……?
大変失礼ですけど
ただのイチ住人に過ぎない
私にわざわざ声かけされる
くらいでしたら、決定権の
ある大家さんを直接訪ねて
そう話されてみた方がいい
のでは……?
……はぁあ"!?
ギョッ!!
……失礼
……大家さんによろしく
お伝え下さい。ボクは
また来ますから
……こ……
怖かったあぁあぁ
〜〜〜……
佐藤様、落ち着きを
取り戻すためにまず
は一杯どうぞ
ンめーっ!!!!
じいやさんの麦茶
サイコーッ
な、じいや。言ったろう
佐藤は稀に見る超合金な
精神の持ち主なんだから
気を使わなくっていいと
ーーで?
悲鳴あげながらうちに
駆け込んでくる位だ、
残りたった3部屋しか
ない当アパートで何が
起こったのだ?
千駄木探偵は毎夏恒例の
里帰り中、梨元刑事殿も
長崎へぶらり旅とお聞き
しておりましたがーー
な? だからどうせ、
無駄足になったことを
後悔しながらスゴスゴ
戻ってくると読んでは
いたんだ
半分アタリで半分ハズレ
ですよぉ〜梨元刑事には
旅立ち直前に出会えて、
ちゃーんとお話を聞けた
んですけどぉ
実は102号室で奇妙な
ことがあってーー
102号室は千駄木探偵の
部屋である。そして、今
彼は里帰り中とのこと
(佐藤さんは千駄木不在
を知らなかったが)にも
かかわらず、ドアには鍵
が掛かっておらず、少し
開いてさえいた
危ぶみ、のぞいた室内には
横たわる細い足とかたわら
でぐったりとなった小さな
人影があった
家主である千駄木探偵と彼
の助手、今林少年がもしや
熱中症を患って倒れている
のかとあがり込んだ室内は
無人で、片すみにはなぜか
線香の燃え尽きた線香立て
が置かれていた
不安になり、後退しながら
出てきた背中にいきなり声
をかけられ、おっかな吃驚
ふり返ると、そこにはAと
名乗る礼儀正しい若い男が
いて、ここには悪いウワサ
が立っているから供養?を
やめろと言ってくるーー
ふーん……
そいつは怪しさ
大爆発だな?
で、私なりに考えてみた
ことがあるんですけど、
その前にまずは、102で
起きた女性の変死事件に
ついて御手洗さんは何か
ご存知じゃありません?
……どの事件だ?
千駄木の部屋では人が
コロッコロ簡単に死に
過ぎで思い当たる節が
多過ぎるんだが
五年前くらいの事件
だそうです
と、なると、僕らは勿論
千駄木も越してくる前の
案件か。ーーじい
は。K山Y子という38才
の女性が当時借りていた
102にて、不幸にも餓死
するという事件がそれに
該当するのではないかと
すごっ!!
じいやさん、何も見ずに
五年も前に起こった事件
をスラスラと暗誦した
当然だ。じいは僕専用
の生けるデータベース
だからな
主たる僕にまつわること
ならすべてにおいて網羅
していると言っても過言
じゃない。例えば、この
アパートに関しても発生
した数々の事件だけでは
なく住人の詳細なデータ
や家賃の増減、建てる際
に大家が組んだローンの
返済計画まできっちりと
把握しているぞ
個人情報とは……
知るかそんなもん
じい、構わんから
言えるところまで
その件の詳細を
都内の中堅会社に勤務
していたK山嬢は、女性
を食い物とする悪い男に
騙され借金まみれとなり
……風俗に沈められます
しかし年齢のせいもあって
指名などはほとんど入らず
、生活は相当に苦しかった
ようでございます
そのわずかな稼ぎでさえ
男に吸い尽くされていた
ようで、発見された時の
体重は30キロにも満たぬ
ほどであったとか
ひ、ひどい……っ
飽食の現代で餓死とか
惨すぎるよ、そんなの
……佐藤が102で垣間見た
細い足はK山嬢のそれで
まず間違いないと言える
だろう
ただ、その足がいわゆる
超常現象だったにせよ、
千駄木自身はそんなもの
を一度も見たことはない
ようだぞ。奴はいわゆる
霊感体質なのに
さて、実際にそれらを
目の当たりにしてきた
佐藤はどう考える?
ーーはい!
佐藤みつき、僭越ながら
未熟な推察をば語らせて
いただきます!
私が違和感を持ったのは
Aという男から線香臭が
したこと!
おかしくないですか?
別におかしくはないだろう
そいつは線香の束を持って
いたんだしそこから匂った
のでは?
そうじゃないんです
線香臭はAの衣服から
匂ってきたんですよ
ああ、髪の毛や衣服の
匂いは強烈ですよね
焼肉を食べてきた方は
服に染みついた匂いで
一発でわかりますから
じいやさんナイス☆
フォロー!
火も点いてない、ましてや
紙で包まれている線香臭を
嗅ぎ取るのは難しくても、
衣服に付いた匂いは簡単に
わかりますよね
そして、それすなわちAが
“線香の焚かれている空間
にいた”という証明になる
のではないでしょうか!
Aは毎年これくらいの時季に
102で線香が焚かれることも
その部屋が無人になっている
こともなぜか知っていた!
それは、彼が毎年忍び込んで
いたからじゃないでしょうか
空室のままと勘違いしていた
のは、千駄木さんが同時期に
帰省されていたのと、お部屋
が、その、あまりにも殺風景
いや、こざっぱりしてるせい
でそう思い込んだのかも?
彼は線香を立てるイコール
供養をどうしても阻止した
がっていた
ドアが開いていたのは線香を
立てた主が換気のために少し
開けていたのか、あるいは、
絶賛不法侵入中のAが廊下の
様子見、兼、脱出用に細めに
開けておいたのかーー
どちらにせよ、小さな
開閉音が佐藤の注意を
引いてしまったわけだ
……呼ばれたのかも、
しれませんね
亡くなられたK山嬢に
そう、かも
しれません
ーー続けます
私が声かけしながら迫って
くることに気が付いたAは
焦りました。そこでイチか
バチかの賭けに出たんです
私が入る直前に玄関横の
このクッソせまい下駄箱
置き用の隙間ーー千駄木
探偵はそんなもの置いて
はいませんからーーに身
を隠して
私が室内に思わず足を
踏み入れたタイミング
ですばやく、音もなく
外へと出ていったと
それとなく全身コーデ
チェックをしましたら
彼は革のサンダルばき
でした。あれなら音を
最小限に抑えることが
可能そうです♪
そうして、佐藤様が
後退りしながら出て
きた所へ、何食わぬ
顔で話しかけてきた
というわけですな
では、Aはなぜ君に話し
かけてきた?
折角危ない賭けに勝った
んだ、速やかにアパート
から立ち去るべきだった
ほんとうに自分が見られて
いないかを確認したかった
アンド、あわよくばここの
住人の口から大家さんに「
気味悪い供養はもうヤメロ
!!」と伝えさせたかった
ーーのではないで
しょうかケチョン
ケチョン!?
しゃ、しゃべり過ぎて
喉にキターッ!!
ケチョンケチョン!!
ケチョンケチョン(略
あ〜ん、中途半端なとこで
切ってごめんなさい!
喉飴持ってくれば良かった
な〜探偵役ってハード!!
無理なさらず沢山お飲みに
なって下さいませ。自家製
ハーブをまぜた蜂蜜喉飴も
ありますからどうぞどうぞ
ちょん切れたところを僕が
少々補足しても良いだろう
か? チラッチラッ
え? あ? はいっ
もし可能であれば
でもいいんですか?
任せておちぇ(←噛んだ)
ここで口を挟んでおかないと
今回僕の出番がないからなっ
Aはでは102にわざわざ忍び
込んでまで一体何をしていた
のか?
もしかすると去年までは噂に
ある怪異と遭遇するかを確認
しにきていたのかもしれない
して、その結果は
……遭遇したのだろうな
佐藤が見たものより、
何倍も強烈なヤツかも
しれん
みずから怪異に近付いて
おきながら、供養の停止
を望むA氏の真意をなか
なか測りかねますな……
怪異の元となった事件が
れっきとした事実である
こともまた事実なのだし
すぐに掘り返せるような
情報をこのネット時代に
隠蔽しようとしたって、
土台無理な話だ
ならば“怖い話”として尾鰭
付きでこの時季に嫌でも拡散
される事実をヒトの情に訴え
かけてひっそりと封印するか
ーー
根本から書き換えて
しまうか、の二択だ
…………
五年経っても怪異の消える
気配がないことに焦れたA
は今年いよいよ危険な手段
に出ようとしたーーなぁ、
そうなんだろう佐藤?
……そのとおりです!
さすがおぼっちゃま!
ここまでの情報でよく
推理できましたねぇ!
……これでも探偵の
はしくれだからな
佐藤様、お喉のほうは
もう平気なのですか?
ありがとうございます
お蔭様ですっかり治り
ました〜♪
では引き続き、私が
Aは持参した線香の束に
点火して線香立てに置き
そのまま放置して火事を
起こそうとした!
根源である部屋ごと丸っ
と消し去るために!
ほほぅ。なぜにそう言い
切れるのですかな?
線香供養を阻止したいAが
手向ける目的で線香を持参
するわけがありませんし、
線香立ての灰はすでに冷え
切って固まっていました
それなのに、室内には濃厚
な線香臭が漂っていた!
Aが自分の線香に火を点けた
からですよ。げんに線香立て
の下の畳には真新しい焦げ目
が付いていましたし!
あと指!!
指輪チェックの際にチラと
見えたんですけど、親指と
人差し指に痛々しい水脹れ
ができてました! 二本の
指で必死に揉み消したから
でしょうね
千駄木の奴、自分の知らん
うちに部屋を燃やされそう
になってたのか……気の毒に
ーー線香の束は新品じゃ
ありませんでした
何本か火が点いたせいで
長さがマチマチになって
いたのも証拠の一つです
線香に火が点いて安定する
までには実はわりと時間が
かかりますからな
線香から灯油等に引火する
という方向へ頭が働かずに
済んで幸いでした
そこへ佐藤様が現れて
下さったお蔭であわや
出火を食い止められた
のですね……いやお見事
いえ、褒めていただける
ほどのことでは……
ほんと、たまたまですし
ーーで? Aは結局どんな
奴だったんだ? 哀れな
K山嬢との関係は?
さぁ、そろそろまとめ
に入ってくれ
佐藤さんはうなずき、厳かに口を
開いてフィニッシュに取りかかる
ーーK山嬢が身ごもっていたのを
知れる立場にいた人は二種類です
司法解剖の結果を告げられる家族
か……彼女を酷使し、なおかつ妊娠
させた本人か
Aは明らかに後者ですね
……彼は一見爽やかな外見の内側
に、そりゃあもうドロドロした
ヘドロみたいな穢れというか業
を宿しているように見えました
最初に自ら名乗って(当然偽名
でしょうけど)警戒心を解かせ
ようとするところとか、相手に
情報を与えすぎないような喋り
とか、時折弱気を浮かべる表情
とか、そのすべてが事前に梨元
刑事から聞かされていた詐欺師
の特徴っぽく思えちゃいまして
いえ、一瞬だけ剥き出しになった
激昂こそが彼の本性だったのかも
今はどうだか知りませんけど反社
的な組織に属していたこともあり
そうな堂に入りっぷりでしたよ
そこまで狡猾そうな奴が
こんなところへみずから
ノコノコ乗り込んできた
理由は?
ーー指輪です
左手の薬指に光る
マリッジリング
今も女性たちを餌食とする仕事
に就いているなら、そんな物を
付けていられるはずがない
ならば彼は現在、堅気の女性と
幸せな結婚をし、良き夫の地位
にいるのかもしれません
しかしそんなこと、汚れ切った
過去が許すと思いますか?
思いませんよね?
K山さんだけじゃなく、散々女性
を食い物にしてきて、あまつさえ
死者まで出しておきながら、自分
だけが幸福な生をぬくぬくと歩む
だなんて、A本人だって心の奥底
ではけして許されないと悟ってた
罪の意識の具現化?
単なる幻影?
それとも本物の怪異?
いずれにしろ
そのどれかは、K山さんと彼女
が産むはずだった我が子の姿と
いう最悪の形をとってAの前に
現われた
アレは、まったく無関係な私に
すら見えてしまうほどはっきり
くっきりしていました
そうか!
K山嬢と赤子のセットは
102に憑いているのでは
なくて、A自体に付いて
回っているのか!
たぶん……そうだと
思うんです
だったらAが忍び込んで
いた102に現れても何ら
不思議ではありませんね
単にくっついてきただけ
なのでしょうから
どおりで千駄木が見た
ことないはずだ
彼女らは102の地縛霊
ではないのだからな!
けど、Aはそうは思わなかった
いつまで経っても102のウワサ
が消えないから霊も消えない
アレを消すにはいっそのこと、
元から断たなきゃならない
精神的に追い詰められていたA
はそう判断したのでしょう
それはーーかなり
まずいな?
線香は千駄木探偵がお留守
の間、許可を得て焚き続け
ていますからね、チャンス
はまだあと二日はあります
一度失敗している分ヤケクソ
になって、もっと過激な方法
に出る可能性もあるしな
ですです!!
……じいや、頼む
では土奴目鬼警部に連絡を
入れて、ここいら辺を特に
重点的に巡回してくださる
ようお願いしておきます
え……
まるで「わたしのかんがえた
じけん」みたいにあやふやな
推理で警部さんたちにご迷惑
をかけちゃっていいのかなぁ
……?
? いいのではないか?
良いと思います
で、でも……
佐藤様、通報は市民の義務
ですし、何もなければない
で、そのほうが当アパート
の住人も安心できるという
ものでございますよ
それに、佐藤様の推理は
大変素晴らしゅうござい
ました。どうぞ、自信を
お持ちになって下さい
……!
じいやさん……♡
ーー翌日ーー
ポリタンク入りの可燃燃料
と線香を箱ごと102号室に
持ち込んだAこと安田慈夜義
(やすだジャギ)が逮捕された
取り調べに対し、安田は黙秘
を続けているそうだが、
「これでやっと楽になれる」
と安堵したような笑みと共に
一言だけつぶやいたそうだ
ちなみに年上キラーとして
鳴らしていた安田の実年齢
は48で、妻との間には八人
の子どもがいるらしいーー
こっわ!!!!
あ! 大家さーん!
お、佐藤ちゃんこんちは
今日もクソあちぃねぇ!
……未遂だったとはいえ
この前の102号室の件
は大変でしたね
気遣いあんがとね
でも平気、ここじゃ
あんなん日常茶飯事
だからね!
あんな奴が火種を持って
こようがミサイル抱えて
こようが、あたしゃ気に
せずK山ちゃんの命日の
供養を続けるよ
……そっか……
当然だけどお線香は
やっぱり大家さんが
焚いてくれてたのか
あ〜、そうそう
佐藤ちゃん!
はっ、はいっ!?
あんたがいっくら誘っても
入居してくんないからさぁ
202に別な人入れちゃうよ
構わないねっ!?
へ? ……は?
い、いや……私はすでに別な
アパート暮らしですし全然
構わないんですけど……
一体どこの物好きが、
いやいや、どんな方が
ここをわざわざ選んで
入られるんですか?
ビミョーに引っかかる
言い方ね。ま、いっか
前科何犯ついてるかも
わかんないぐらいの元
犯罪者よ。ナイショに
しといてね!
〜〜〜〜っ