――その館は深い霧の中に在った――

お邪魔するわね
さて、何が出てくるかしら

ーーん?

……ようこそ……
お越し下さりやした……

庭師の男……
いや、違う?

まだうら若ェお嬢さん……
ああ、もしやアンタさんは……

うら若いお嬢さん?

なるほど
キレイな手……というより
幼い手になっているわね

アンタは坊ちゃん嬢ちゃんたちの
遊び相手として招かれたーー
違いますかい?

ええ、そのとおりよ
よろしくね!

私の名はイブリン
イブと呼んで欲しいわ

…………

さ、中へ案内していただける?
早くここの方にお会いしたいわ

……こちらへ……

ありがとう

どうにか先へと
進むことができた

庭師への答えを間違えると
また霧の森へ戻されていたに
違いない

……ひどく静かだ

…………

庭師は黙々と先を行く

かすかに見覚えのある回廊は
掃除が完ぺきに行き届き、
素晴らしく美しい

そうあるのも当然だ
これは、現実の光景では
ないのだから

ーー着きやした
奥さまと坊ちゃんがたは
こちらにいらっしゃいます

階段?
どこへ繋がっているの?

……地下です
奥さまがそこにこもりっきりなんで
坊ちゃんがたも離れられないんです

そう、わかったわ!
後は私にまかせて

……さまを……

ん?

奥さまたちをどうか……
……お救い下せぇ……

そう言い残して庭師は消えた

地下室への階段はジメジメと
土臭かった

この館は〈過去を投影する鏡〉
に過ぎない

つまり、美しい回廊も階段も
ただのイメージであって、
真実の姿はーー

……あなたはだぁれ?

ーー!?

誰だか知らないけど……
母さまが目覚める前に
立ち去ったほうがいいよ

深い深い穴のそばで
気怠げに寄り添う二対の影

それは、かつて〈天使〉と
呼ばれ皆から愛されていた
双子のフィとルネだった

母さまはずっとずっとお身体の
調子が悪いの。かわいそう

だからずっとずっと穴の中

フィたちは母さまのおそばに
いる。もう二度と離れない

無垢で無邪気な愛情

黄金の髪と悲しいほど
まっしろな死装束

彼らはまさに天使であり、
こんな暗い穴倉に
留まっていていい
存在ではない

ーー出ておいで!
穴の中から我が元へ、さぁ
出てきなさい!

なので私は容赦はしない

庭師からも想いを託された

死んだものは私の命令から
けして逃れられない
穴底の哀れな女とて
例外ではない

…………

…………

双子は諦めたように、
ぼんやりとこちらを
見つめてくるだけーー

たとえ闖入者から母親を
守ってやりたくても、
子どものまま死んだ彼らに
そんな力などないのだ

湿った土の匂いに
夥しい腐臭がまじる

ゴソリ ビチャリ

穢らわしい音とともに
それは現れたーー

ガ……アァァ……
デデ……ユゲ……

いいえ、出ていくもんですか
せっかくあなたたちを救いに
きたのに

ヤラ……ナイ!

ゴドモタチ……ヤラナイ……
グ……ググ……ハナレナイ……
ニドト……ハナレナイ……ッ

駄目よ。あなたもそろそろ
逝くべきところへ逝かないと
エリザベーサ領主さま

あらんかぎりの力を言霊に
こめてぶつける

このまま永久に引き裂かれる
さだめとなる親子への
憐憫と祈りもこめて

60余年前の古き霊は
ひとたまりもなかった

恐らくは何が起こったのかも
わからぬままに砕け散り、
魂の重みに引かれて、
地の底へと消えてゆく

ーーまばゆい白光が消え去ると、
あたりの様子は一変していた

付近の住民を長らく
不安と恐怖に陥れていた
幻の館はすでになく

跡には古い墓石と、
少し離れた場所には
ボロボロの麦わら帽子が
ポツンと残されていた

ししょー!
あっ、いたいた!
イブリン師匠ー!!

おやおや

お前な役立たずな助手の
パスパルトゥー
今までどこをほっつき
歩いていたのかしら?

あら、館消失と共に60余年前の
すがたが解けてしまったようね
……ふふっ、束の間の若返り旅か

いや〜食堂ハシゴしてました!
師匠の故郷ってイイトコっスね
緑と食文化が豊かでゲップ

こっちはその間にひと仕事
こなしてきたというのに、
のんびりも度が過ぎてない?

高名な退魔師イブリン様の
凱旋なんつったらもーう、
ド田舎民どもは大歓喜の
酒池肉祭っスね!

ーーもう用は済んだわ
腹ごなしと節約を兼ねて、
次の町まで徒歩で行くわよ

え〜っ!! いいんスか!?
そんな……せっかく……ねぇ?
ここまで来て勿体ない……

…………
パスパルトゥー、昔話に
少し付き合ってくれる?

へぁ?
へ、へいっ!!

緑と食文化豊かなこの土地の土台を
築き上げたのはかつての女領主でね
当時は名君として名高かったの

はぁ??

疫病が爆発的に流行した年、
彼女は領民たちをひとりでも
多く救うために献身的に
動き回り走り回りーー

そして

ようやく館に帰還できた時には
すべてが手遅れだった

家族同然だった使用人たちと
命よりも愛しい双子が病に冒され
すでに事切れていた

この世の地獄とも言える光景を
目の当たりにした領主はその場で
発狂し、我が子の骸を抱き続けた

気のふれた哀れな女の末路は
誰も知らないーー

以来、〈遠い昔に朽ちたはずの
領主の館が霧の森に忽然と現れる〉

そんな噂が流れるようになった

ーーおそらくは死ぬまでずっと
願い続けていたんでしょうね
幸せな時に戻りたい、我が子と
ふたたび暮らしたいと

ううぅ〜!
な、何と不憫な……
グスグスグッスン

そら、ハンカチ使いなさい

ーー皮肉にも、死んでから彼女の
願いは叶ってしまった
凄まじい怨念に呼び覚まされた、
追憶の館という形でね

冥府の穴に半ばひっぱり込まれて
いながらも、子どもたちをけして
解放しようとはしなかった
わかっていたのね。怨念が消えても
同じ場所には逝けないことを

怖っ! 怨念こわっ!!

奥さまたちをどうか……
……お救い下せぇ……

庭師のすがたを取ってはいたけれど
あれは死んでいった使用人たちの念
の集合体……
彼らは長い長い間、主人たちの魂の
解放を待ちわびていたのだわ

私は疫病が流行り出す前にここを
離れていたけど、情けぶかい領主
一家のことはずっと忘れずにいた

館の噂を初めて耳にした時から
どんなに時間がかかってもいい
強くなって必ず自分の力で彼ら
を救うと心に誓っていたのよ

淡い初恋でもあったし、ね
一領民の娘なんて向こうはまるで
覚えちゃいなかったけれど……

師匠! 続きマダ〜!?
ハンカチもあるし、こちとら、
号泣する準備はバッチリコン
なんスけどねっ

え? あ、もう終わったわよ
そもそもソレ、私のハンカチ

……っ
…………っっ

出立の前にやることがあったわ!
開いた口をさっさと塞いでお前も
手伝いなさい

うぇーい
……ンで、何やれば?

そうね、まずはーー

ーー花を摘んできましょうかーー

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