登場人物:QE(葵・茜)

ゲリラ公演を終えた私たち『QE』は 会場からほど近いビジネスホテルに泊まることにした

『QE』は匿名アイドル 徹底的にプライベートを隠す必要がある
各地に現れ 去る時はそこにいた痕跡ごと消える
それが日常だ

私 茜は寝る支度を済ませたところだ
明朝にここを出ていくから手早く準備をしなければ

そんなわけで 部屋の隅でお菓子を齧っている相棒……葵に声をかけた

葵 洗面所空いたぞ

うん

葵はいつも通りの小さな声で応えて洗面所に向かっていった

『激辛チップス 期間限定! ゾウが気絶する辛さ!?』……
よくこんなの食えるよな

もともと他人の趣味に関心はないが 一応相棒としてやってきている葵の好みには理解しがたいモノがある

葵は極度の人見知りさえ除けば(そこが一番の問題なのだが……)『事務所の方針』に協力的だ
それもまた理解しがたい……

おっと 洗顔の後に化粧水をつけるんだっけ

プロデューサーを名乗る調子づいた奴が言っていた
いかに照明の暗さや『拘束具』で顔が見えづらくとも スキンケアを欠かすな と

殴ってやろうかとも思ったが アイツのプロデュースの実力は確かだ

面倒くせえな……

私は洗面台にある化粧水をわざわざつけに行くことにした

ん あかね
……化粧水? えらいね

チッ だりぃな
黙って歯ァ磨け

歯磨き粉で口の中がもふもふとしている葵は舌足らずに声をかけてきた

『えらいね』だと……?

お互いに プロデュースされることに慣れてきた
そう突きつけられている気がして 胸の内を引っ搔かれるような気持ちになる

そのまま立ち去ろうとした私はふと 葵から嗅ぎなれた匂いがすることに気付いた

……葵
間違えて私の歯磨き粉を使っているんじゃないか?

ふえ? そんなはずは……

葵はきょとんとしながら歯磨き粉のチューブを手に取った
……見慣れたパッケージだ

で でも茜
茜のはここにしまっているでしょ?

そこにしまっていると伝えた覚えはないが葵には分かっているようだ 

……まぁ当然だな
お互いの考えそうなことくらい何となく分かるものだろう?

さておき 戸棚を開くと私の使っていたコップや櫛なんかが顔を出す

葵と私とで色分けされていて それぞれの嗜好によってデザインが異なるそれらの中に……

……歯磨き粉は同じものを使っていたんだな

葵のものと一致するパッケージ 私のだ
チューブの残りも同じくらいだろうか

ほんとだ 知らなかった

歯磨き粉は辛くなくていいのか

唐辛子は歯磨き粉に入っていないもの
茜こそ……甘くなくていいの?

甘くてネコ柄の歯磨き粉なんて子供用しかねーんだよ

味だけでも変えたらいいのに

しばし会話が途切れた
しゃかしゃかと歯ブラシの音 私は化粧水のべたつきを洗い流したくなるのをこらえる

歯磨き粉……名前書こうか?

いらねーだろ
失くすわけでもなし

そうだね

プロデューサーは「もし名前が漏れたら困る」とか言いそうだが そもそも私たちは下手を打たない

ただ 私たちだけが互いを分かっていればいい
だから 名前なんていらない

……茜 片付け始めよう

……ああ

『QE』は匿名アイドル 徹底的にプライベートを隠す必要がある
各地に現れ 去る時はそこにいた痕跡ごと消える
それが日常だ

明日も 明後日も
二人で歌い続ける

 

~続く~

pagetop