ラル、今から食事だよね?
この時間だと思った。相席しても構わないかい?

まだ肩に雨しずくを乗せたまま、パーメントールが食堂へ入ってきた。

鋼で出来たような金髪にも水滴が輝いている。
雨の中、またパティスリーへ行っていたのか、手にはケーキの箱があった。

甘いもの、好きなんでしょう?
マヤノに聞いたよ。

裏切ったなマヤノさん。

しかし昨日までの私とは違う。

パーメントール撃退のための対策は整っている。

昨日は共通語しか書けずに泣きを見た。
そこで付け焼き刃ではあるが、ラニー語を学んでおいたのだ。

僕文字には興味ないんだよね。

ぺしょ、とメモ帳を押しのけられる。

こいつの荷物にラニー語の小難しそうな本を見たことがある。読めるはずだ。読めよ。

…おなか、すいてるんだけど…

手に持った皿と、パーメントールとを見比べる。

せっかく作ったベーコンエッグ、冷めてしまうのはもったいないけど…

仕方ない!

ラル?

皿をテーブルに置き、走って逃げる。

パーメントールがどこかへ行った頃合いを見計らって食べに戻ろう。

延々話しかけられながら食事なんて、精神が削れるっての…!

私は自室へ駆け戻った。

ねえパーム。どうしてあんな娘を構うの?
これまでは、全然気にしてなかったじゃない。

ああ、キュラシー。
そうだね、僕自身不思議なんだ。

どうしてこんなに惹かれるのか。
だけどどうしようもなく魅力的で。
一言一言を大事に発するから、胸に重く響くんだろうか。あの複雑な声の震えをずっと追いかけていたくなるんだ。

声? あの娘の声が好きなの?

そうだ。女の子同士の方が、心を開いてもらえやすいかもしれないね。
キュラシー、彼女と仲良くなったら会話に僕も交ぜておくれよ。きっとだよ。

え、ええ。

…そうするわ。

あーあ、雨、やんじゃった。

そりゃ、じめじめするのは嫌だし、出かけるのも億劫になるけど…
洗濯当番が先送りになるのはありがたかったんだよな。

あー、重い!
ちょっと休憩!

私は洗濯かごを床に置いた。

たまっていた洗濯物を一気に運ぶのは無謀だったらしい。
休憩はこれで七回目だ。間隔もどんどん短くなっている。

これ、押して行った方が早いんじゃないか…?

ラル!

っ!?

顔を上げると、そこにいたのは、

ヴェストリアのキュラシー。
観光客だっていう親子連れの。

今日の洗濯当番、あなたなのね。
一人で運ぼうとしないで、誰かに手伝ってもらえばいいのに。手を貸しましょうか?

…………

ブンブンと音がしそうなくらいに首を振る。
しかしキュラシーは構うことなく、洗濯物を奪っていった。

問答無用で行動するなら、なんで質問なんかするのか。人間は不思議だ。

ほら、半分こした方がずっと楽でしょう。それに次からは、かごは使わない方がいいわ。あなた力が弱すぎて、かごの重さにも負けちゃってるから。

ねえ、話しながら行きましょうよ。
それとも歩くだけでも息が切れてしゃべれないの?

…………

大きくうなずく。プライドなどない。
キュラシーはつまらなそうに口を曲げた。

実は、パームのことを聞きたいの。
突然あなたに興味を持ったみたい。
一体何をしたの?

私、パームと仲良くなりたいのよ。
秘密があるなら教えてちょうだい。

ああ、そういう…

下心を見せない人間は怖い。
しかし逆に、下心が何かわかってしまえば怖さは一気に薄れる。

私は八回目の休憩を取ることにして、ドサッとかごを置いた。
いつも持ち歩いているメモ帳に共通語で書く。

あいつは多分、よくしゃべる人が好き。
あなたはきっと好かれてる。

キュラシーは私の会話方式にいぶかしげな顔をしたが、深くは問わなかった。

でも彼、あなたのことばかりよ。

一時的なものだよ。

希望的観測もあるが、きっとそうだと思う。
しゃべらないと思ってたやつがしゃべったから興味を持っただけだ。そのうち飽きる。

そうかしら。

キュラシーは眉をひそめる。
私は、かごを押していくのと引っ張っていくのではどちらが楽だろうかと考えたが、結局持ち上げた。

よくしゃべる人が好きっていうのは、本当でしょうね。会話してるときの彼、すごく楽しそうだもの。

でもなんとなくわかるの。それじゃ彼の特別にはなれないって。
だって彼、しゃべる人なら誰でも平等に好きなんだもの…男でも女でも小人でも。

あなたが初めてなのよ。彼が無視して冷たくしたのも、逆に目を輝かせて追いかけたのも。
会話好きなはずの彼が、無言なあなただけ特別扱い。こんなの逆じゃない。

…面白くないのよ。

ようやく裏庭に着いた、と思った瞬間。

!!

キュラシーの手が、かごのふちを引っ張ったので、私は引きずられて前に倒れ込んだ。

雨が上がったばかりの泥の地面だ。
放り出してしまった洗濯かごからも、中身がこぼれ泥に触れていた。

ああ、ごめんなさい…
外がまぶしくてよろけちゃったの。
わざとじゃないのよ?

洗い直し、大変そうね。
…でも私、お母さんに呼ばれてるからすぐ部屋に戻らなきゃいけないの。
一人でがんばってね。

ご丁寧に、自分が抱えていた分も水たまりの中に投げ込んでいく。
薄暗い廊下を戻る足音は、一度も止まらなかった。

…………

はっ。

バッカらしい。
こちとら親に売られた嫁ぎ先から金品強奪の上脱走逃亡した身だぞ。

その後の半年間ではスラムの暗黒街と棺桶とに片足ずつ突っ込んで、その両方から抜け出して今があるんだ。

人の悪意というやつには、これ以上傷つく部分もないほど傷つけられてきた。
今さらこんな子供っぽいいじめを受けたところであくびが出る。

…だけど、まあ。

どうせ意地悪するんなら、優しいフリなんてしないでほしかったな。

洗濯物を拾わなきゃいけない。
だけどなんでだろう。力が出ない。

…立てない。

泥の中を急ぐ足音が近づいてきた。

かと思うとそれは、私を見つけて止まった。

…泣き声のうるさい赤ん坊がいるね。

…泣いてないですぅ。

泣いてるよ。

…遠くにいても聞こえたくらいだ。

マヤノさんは早足に近づいてきて、

私を胸に抱きしめた。

ま、マヤノさん?

あんたにも人の心が聞こえればよかったのに。

こんなつらい目に遭わされて、人を信用しろって方が無理な話だ。
どれが毒入りでどれがそうじゃないか、あんたに教えてやりたいよ。

…………

毒杯じゃないものなんてあるんだろうか。
あるわけない、と思いかけたとき、頭に一人の人物が浮かんだ。

…マヤノさんの言ってたこと、なんとなくわかる気がする。
パーメントールは悪人じゃないって。

あいつは毒じゃない。
…空っぽの器に、毒は盛れないから。

常にひとつのことしか考えていないパーメントールの生き方は、ある意味筋が通っている。

自分に利をなす相手には報いを。それ以外には「無関心」。
みんながあいつみたいなら、世界はずっとスムーズだろうに。

ラニー人って、みんなパーメントールと同じ感じなのかなあ。

回る洗濯機を眺めながら、私はマヤノさんと話していた。

いや、そうでもないよ。
言葉を食べる種族と言ったって、他人を食糧としか見てないのはパーメントールくらいだ。あの性格は身内にも気味悪がられてたらしいし。

あ。これは『盗み聞き』したわけじゃないよ。ちゃんと本人に尋ねたんだ。

へえ。マヤノさん、パーメントールとよく話すの?

ひとつアドバイスしたくて、話しかけたことがあってさ。それからちょくちょくね。

あいつって留学生だろ?
ラニー人にないものを学ぶための留学なのかと思って、聞いてみたんだけどさ…

僕に欠けたものがあるとしても、ラニー人全体がそうなわけじゃないよ。
僕は故郷でも変わり者だったようだから。

曖昧な言い方だね。
自分のことだろうに。

だって自分が変か普通かなんて、自分でわかることじゃないでしょう。
周りに指差されて笑われて、初めて気づくことだ。

人が容易く理解することを、僕はどうしてもわからなかった。家を継げなくなったのもそのせいだろう。
他星系への留学なんて普通は二、三年だけど、僕は十年帰れない。その間に弟が家督を継ぐんだろうね。

あんたはそれでいいの?

いいも何も、決められたことだよ。

それに幸い、食べるには困らない体質だからね。知らない土地でも生きて行くくらいできる。
この追放も、僕、楽しんでいるんだよ。

アドバイスしたいことって何だったの?

洗濯物を再び裏庭まで運ぶ道すがら、私はマヤノさんに尋ねてみた。

体質のこと、隠しといた方がいいよって言ったんだ。宇宙船に乗ってきたあいつの心の声が、全然そんなこと考えてなかったものだから、ほっとけなくてさ。

ラニー人の『食事』は、食べられる側に影響はない。そうはいっても理屈と感情は別物だからね。自分が『食べられてる』なんて知れば気味悪く思う。おおっぴらに言わない方がいい。

そのために、偽装の食事を取った方がいいとも教えたんだけど…

私は食堂でのパーメントールの様子を思い出す。

あれ…? あいつ、何も食べてなくないか?
お皿を持っていたとしても、いつも空っぽだ。

周りが細かいことを気にしないタチでよかったよ。

まあ…よく出かけてるから、外で食べてると思われてるのかもしれない。

なるほど。

食堂の横を通りかかる。
にぎやかな声の中心にいるのは、相変わらずパーメントール。

今日は客人も来ているらしく、アルコ人特有のキンキン声も聞こえてきた。

君かね、うわさのラニー人は!

いや私は村長の友人でね。
ラニー人が来ていると聞いてぜひ会いたかったんだよ。

パーメントールが愛想よく受け答えをする。
その声をさえぎるように、客人は熱心に続けた。

ラニー人といえば、言葉を食うという種族だろう?
ここでも腹いっぱい食ってんのかい。いいねえ!

しん…と。


パーメントールの周りが静まり返ったのは、私の知る限り初めてのことだった。

 

つづく

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