アイラさん、まだ具合が悪そうね。

本隊との合流を目指して歩きながら、ワルダートさんが、ちらりと私をうかがった。

矢傷を受けた彼は、傷薬が効いたみたいで幾分か楽そうにしているけれど…
アイラさんの方が重症になっちゃったわね。

ギュンツくん、解毒は本当に成功したんでしょうね?

死んでないんだから成功だろ。
もっと時間がありゃ完璧に解毒できるが、あの短時間で作れるクスリじゃその程度。あとは自己回復に頼るしかねえ。

できることと言えば動かず安静にすることくらいだな。本隊に戻る前に、一時間ほど休んでいくか?

ううん、平気。
というか、ザナバクさんに運ばせて自分では歩いてないんだから、休んでもそんなに変わらないよ。

また襲撃があるかもしれないのに、ザナバクさんの背中を借りていていいのかなあ。戦える人がマルヤムさんだけになっちゃうよ。

心配は不要でしょう。
砂嵐に乗じて、姿を隠してしか、襲いにこれぬ者どもです。この視界が開けた中で、再びの襲撃はありえません。

その通り。
アイラ殿は暗闇用の目薬のせいで、目もよく見えていないのでしょう?
気にせず背負われていてください。

それでも万が一のときには、投げ捨てて戦いに行ってください。
受け身は取れるので心配なく!

わかりました、投げ捨てます!

わかるな、ザナバク!
そっと下ろせ、そっと!

ところでよ。
オレたちは弓矢から逃げる形で、グールの巣に飛び込んだわけだが…

偶然だと思うか?

わざと追い込まれたんじゃないかってこと?
そこまで計算できないと思うよ。

砂嵐に合わせて襲撃することは決めていたにしても、そのとき近くにグールの巣があったのは、偶然じゃないかな。

砂嵐がいつ起こるかなんて、予想できないものね。

巣の近くで砂嵐が発生したのは偶然としても、襲撃の際、近くにグールの巣があることを思い出し、あわよくばを狙ったということは考えられます。

ルートを外れたとはいえ、私たちがいつも通る場所の近くです。砂嵐に紛れて襲撃する予定でいたなら、この辺りの地理は知り尽くしているでしょうから。

マルヤムの言うことも一理あるかと。
今考えてみれば、あの弓矢は、私たちを誘導しているようでした。

そのためには、矢の飛ぶ方向をある程度でもコントロールしなきゃいけない。
あの風の中で、それができたんだとしたら、すごい腕だな…

止まってください。

マルヤムさんの鋭い声で、私は話をやめて口を閉じた。

遠くに本隊が見えてきました。
ワルダート様を殺そうとした輩が何者でも、隊商に紛れていることは確実。
隠れながら近づくべきでしょう。

そうね。ここから先は話さずに行きましょう。
ラクダの足の鈴も外してちょうだい。

わかりました!

ラクダ使いのリーダーが答えて、ラクダの足から鈴を外す。
私は、光る砂の向こうに目を凝らした。

…私には、遠すぎて見えないです。

向こうに、天幕がたくさん張られているんですよ。

誰がいますか?

先駆け班の者、ハジャル班の者…
他の班の者の姿もあります。
我々以外は、すでに合流が済んでいるようです。

あっ。今、天幕から出てきた人、ハジャルじゃないかしら。
目立つ色のターバンを巻いているから、すぐわかるわ。

誰かと連れ立って歩いている。あれは、護衛隊長ね。
話している内容が知りたいわ。声の届く位置まで、近づきましょう。

ワルダートさんがそう言って、私たちは、砂丘に姿を隠しながら、本隊へ近づいた。

あ、本当だ。
確かに、ハジャルさんの声…

あの、かなり近くありませんか?
これ、私たちが隠れている砂丘のすぐ向こう側にいるんじゃ…

ちょっと近づきすぎたわね。

と言うより、ハジャル様たちが我々の方に歩み寄ってきたんですよ。
まさか、我々がいることに気づいているのでは…

いや、その様子はない。人目を避けて話をするために移動したのだろう。
ここらは、天幕のある位置からは、死角になっていて、見えないからな。

今オレたちの側に何人いる?
ラクダ使いの四人を含めて、九人か。

この至近距離で、この人数が隠れるのは無理があるだろ。
気配を読みづらくするクスリを使うが、文句言うなよ。

それって、ジャマシュが使ってたやつ?

そ。巻物にレシピがあったから、作っておいたんだ。
こんなすぐに使うことになるとはな。

しいっ…
何か、話し始めたわ。

ハジャルと護衛隊長だけじゃないわね。
もう一人いる。この声は…

私が、すべて悪いのでございます!

ルムス…!?

ルムスさん!?
本人ですか?

ええ…パニックになって走って行ったラクダ使いと、確かに同一人物よ。

砂嵐の中で、何に怯えたのかラクダが逃げ出し、私はそれを追って…
ワルダート様と班の皆様は、そんな私を追いかけてくださったのです。

しかし砂嵐が激しくなって、岩場に逃れることにしたのでしょう。やっとラクダをつかまえた私が見たのは、岩穴へと入っていく皆様の後ろ姿でした。

私も、岩場へ向かいました。しかし、ラクダが嫌がり時間がかかってしまって。やっと、狭い入り口から岩穴を覗き込むと、そのときにはもう…

ウウ…そこはグールの巣だったのです。
グールどもに八つ裂きにされ、一人残らず食い殺されておりました!

わかったぞ!
あの女、嘘をついて――むぐっ

一つ目の嘘はわかる。
自分ではなく、ラクダが怯えて逃げたことにした方が、責任逃れしやすいだろうから。

だけど、私たちの死体を確認した、と嘘をつく必要はない。
本当に混乱して逃げただけなら…
あの襲撃や弓矢と無関係なら。

ルムスさん、いやルムスは、ワルダートさんが自分を追って砂嵐の中に飛び出すとわかってたんだろうか。

自分を助けに来てくれると、確信している相手を、その気持ちを利用して裏切ったんだろうか――?

ハジャル副隊商長。
これは悲しい事故だったと、わかっていただければ良いのですが。

ワルダート班につけた護衛隊の精鋭どもも、戻っておりません。
グールどもの餌食となったのでしょう。無念でございます。

…副隊商長?

すまない…すまない。
少し、狼狽しているんだ。

ところで…
ルムスくんと、いったかな?

君は、何か知っているかな…
ワルダートの運ぶはずの荷が、なぜか僕の班に紛れていたことについて。

狼狽している、という割には、落ち着いた声音だった。
脈絡のない質問に、ルムスの声には戸惑いが混じった。

ワルダート班の積み荷が…?
何のことやら、私には…

何の話か、本当にわからない?

砂嵐が晴れて、ここに天幕を建てたあと、荷物を確認したんだけどね。
ワルダート班にあるはずの荷物が全て、うちの班のラクダに乗っていたんだ。

調べさせたら、今朝、よその班のラクダ使いが、うちの班の荷物を整えていたと報告があった。

服装を変えていたようだけど、僕の家来は、人の顔を覚えるのが得意でね。
ワルダート班のルムスの顔も、知っていたよ。

よく覚えていないので、恐らくご家来が見間違えたのだと思います。

そうかもしれない。
唯一生き残ったのが君じゃなければ、僕も、こんなに疑うことはなかったんだろうけど。

怪しいと思いながら見てみるとね、君って色々不自然なんだ。

いちばん気になるのは、手の平だ。
ラクダ使いだって、大変な仕事だもの。手にマメができることくらいあるよね。

でも君のそれって、弓ダコだよね。
違いくらいわかるよ。君、何者?

弓ダコに似ておりますか?
手綱で擦ったあとだと思いますが。

ハジャル様、一体何をおっしゃりたいのでしょうか?
これは悲しい事故だったと、護衛隊長もおっしゃっているではないですか。

グールの巣に入り込んで、食い殺されてしまった事故か。

ワルダートは、洞窟の中を確認もせずにのこのこ入っていく人じゃないよ。急いで隠れなければならない事情でもない限り。

ワルダートと一緒に行動していた君なら、その事情を作ることができたんじゃないかな。どうやったのかまでは、わからないけど。

酷いですわ、そんな言いがかり…
ねえ、護衛隊長からも、何か言ってくださいな。

ルムス、貴様、暗殺者だったのか!

っ!

なんという卑劣な!
お逃げください、副隊商長!

…………。

そうですね。ろくな証拠もありませんが、事ここに至っては言い訳など無駄なのでしょう。荷のすり替えを目撃されたのが痛かったと申しましょうか。

人目のない所に移動していて良かったです。大勢の前で暴露されては口止めもできませんから。
護衛隊長も、そう思うでしょう?

なんだと、何を言って――

何を、とはまあ、白々しい。

ハジャル様、そこにいる護衛隊長は私たちのリーダーです。護衛隊はみんな私たちの仲間。私一人が工作員として、ラクダ使いに紛れ込んだのですよ。

この、裏切り者!

あら、先に私を切り捨てようとしたのはどちら?
実行犯一人が泥をかぶってめでたしなんて、ご免ですわ。

あとから助けるつもりだったさ!

そう言って今まで一度でも見捨てた仲間を助けに行ったことがありますか、あなたは!

仲間内で喧嘩しないでくれないかな。
今、君たちと喧嘩しているのは僕のはずだ。

あら、あら。
喧嘩だなんて、可愛らしい表現をなさるのですね。

聞かせておくれ。
ワルダートたちがグールに食べられたという話は、さっさとここから離れるように仕向けるための嘘かい?

お気の毒ですが、嘘はなるべく少なくするのが流儀なんです。

弓矢で一人を負傷させたうえで、グールの巣に追い込みました。
まず助かりはしないでしょう。

…もうひとつ、質問だ。
誰の命令だい?

荷物のすり替えが判明した時点で、気づいているのでは?
ワルダート様が運ぶはずの荷をあなたが届けることで、得をする人物ですよ。

わからないならヒントを差し上げます。
この護衛隊を、あなたに紹介したのはどなたでした?

息子のバドルか。
悲しいね、僕は息子に裏切られたということかな。

裏切った? とんでもない! ご子息はお家の繁栄を願ったまでです。
ワルダート様が多くの有力者と商売をしていたことはご存じのはず。

「運悪く」亡くなったワルダート様の代わりに「偶然にも」無事だった商品を、あなたの名前で届ければ、アルカマルの家のためになるのでは?

どうか我々の行為には、目をつぶって頂きたい。お家のためです。もちろんハジャル様個人にも、莫大な金子が舞い込みましょう。どうかお願いです!

家のため。金のため。
ワルダートを殺したのは、そんな、どうでもいい理由?

…どうでもいい?

君たち馬鹿だな。
僕は確かに老齢だけど、まだ砂漠を旅できるほどピンピンしているんだ。

隠居する必要なんて全くないのに、さっさと家督を息子にゆずったのは、なんでだと思うのさ。
自由になりたかったからだ。

ようやく自由になったのに、いまさら家のためだなんて、僕が考えると思うかい?
そんなくだらないもののために――

僕の相棒に手を出すなよ。

あら、あら、意外や意外。
我らの依頼人には、名誉と金子を何より愛するお方が多いので、お金持ちは全員そうだと勘違いしておりました。

ですが…家も金も、あなたの理由にならずとも、ご子息のことは大切でしょう。
告発すればご子息は、我々の道連れに死刑となりますよ。

…バドルのことは愛しているよ。

ワルダートを殺したりしなければ、今よりもっと愛していたろうね。
可哀そうな子だ。こんな身勝手な父親の元に生まれたとも気づかないで。

おや、気づいていましたよ?

親子ですもの。ハジャル様の本性は知っておいでのようでした。
そして親子ですから、あなた方はよく似ていらっしゃる。

追加の依頼を受けております。
もしもあなたが邪魔になるなら――

ついでに消しておいてくれ、と。

スラリ、と。
短剣が、鞘から抜かれる音がした。

しかしその刃は、目標を刺し貫くことはついぞなく。

カキンッ!!

っ!?

鋭い音を立てて弾かれ、ななめ後ろの砂丘に消えた。と、同時に。

ドスッ

私の膝蹴りがルムスの腹にめり込み、ルムスはうめきながら倒れたのだった。

ぐ…う…

――時を、少しさかのぼる。

ほんの少し前、ルムスが涙ながらに嘘の証言をしていたとき。
私たちは砂丘に隠れて、それをしかと聞いていた。

わかったぞ!
あの女、嘘をついて――むぐっ

ええい、わかり切ったことを自信満々に言うな馬鹿!
おまえは声がでかいのだから口を閉じていろ! 気づかれるだろうが!

クロ確定か?

だろうね。
グールの巣に誘導したのも、わざとで間違いなさそうだ。

ただ、獲物がちゃんと死んだことを確認せずに去るような間抜けではあったようだ。

マルヤムとザナバクの実力を知っていたのでしょうね。
グールを倒せるほどの腕ではないと…

ぐ…っ
修練いたします。

むぐぐ…

そろそろ、口から手を放してあげてもいいんじゃ…?

ところで、ルムスくんと、いったかな?
君は、何か知っているかな…

ワルダートの運ぶはずの荷が、なぜか僕の班に紛れていたことについて。

っ!?

ワルダートさんがとっさに、ラクダの荷を確認する。

…何これ、同じ重量のガラクタと入れ替わっているわ。
出発直前の慌ただしい時間にやられたのかしら。

ワルダートさんを殺すだけじゃなく、その荷物を、ハジャルさんに届けさせることが目的…?

だとしたら、暗殺の依頼者は、ハジャルさんの家、アルカマル家の関係者…

関係者というよりも――

ハジャルの長男、アルカマル家の現当主、バドル・アルカマル当人でしょうね。

息子のバドルか。
悲しいね、僕は息子に裏切られたということかな。

低く抑えたつぶやきが、予想が正解だと告げる。

ルムスはハジャルさんを味方に引き入れようと説得したけど、ハジャルさんは冷たく突っぱねた。
それを聞いて、ワルダートさんは、ようやく安堵のため息をついたのだった。

…………。

疑いたくはなかったけれど、立場上、疑わずにはいられなかったの。
あとで謝らなければならないわね。

相棒だと思っているのが、私一人じゃなくてよかったわ。

あの、ところで。
ハジャルさんって、戦える人なんですか?

…全くできないわ。

ええっ!?

商家のボンボンだもの。
血生臭いことに縁なんてないわよ。

じゃあなんであんな、挑発するような態度を!?

普段言葉を選びに選んでいる反動か、頭に血が昇ると後先考えずにしゃべってしまうようなのよね。

暗殺者の前でくらい後先考えられません!?

ザナバクさん、肩、失礼します!

うおっ

私はザナバクさんの肩に手を突いて、勢いよく前に飛び出した。

おいアイラ!
あんま激しく動くな!

と言うか、おまえ、目は――

ルムス、ハジャルさん、護衛隊長。
三者の距離と位置関係は声の聞こえ具合からわかっている。

多少見えなくても――

カキンッ!!

支障はない!

ドスッ

ぐ…う…

おまえはっ

なぜ生きている?
まあいい、死ね!

護衛隊長が剣を抜いた。
私はハジャルさんを後ろにかばい、護衛隊長の剣を、自分の剣で受けた。

ガキンッ

キンッ キンッ

この…しつこく防ぎやがって!
さっさと斬られ――

うあっ!?

四度目に剣が交わったとき。

私はわざと力を抜いて、剣を捨てた。
私の剣をねじ伏せようとしていた護衛隊長は、力の行き場を失って体勢を崩した。

ドッッ

鞘を、ガラ空きの鳩尾にたたき込み、

グ…ッ

泡を吹いてうずくまった護衛隊長の首筋に、素早く拾った剣の刃をひたと当てた。

今朝も、言ったはずだけど――

少なくとも私は、あなたよりも強いって。

それでも視力が万全じゃない状態で飛び出すとは思いませんでしたよ。

いつの間にか、マルヤムさんが、護衛隊長の背後に回っていた。

なっ、何をする! 放せ!

良いのか?
拘束を拒否するならば殺すが。

ぐうう…っ

仲間は護衛隊だけか?
私とマルヤムでかかれば、制圧できるか…

あのっ!
私も、手伝――っ

グラッ、と視界が揺れた。
あれ? なんか、覚えのある感覚。

あーもー、馬鹿が。

毒が抜けきってねえくせに、んな激しく動けばそりゃ倒れるよ。

ギュンツのあきれ声が、やけに遠かった。

つづく

第10話 砂丘陰の密談

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