ーーそれはある日、突然の事だった。


 今日もいつものように仕事を定時に終わらせた俺は、アパートの鍵を開けて誰もいない家の中へと入った。

 玄関に飾られた写真に、そっと指で触れる。

ただいま、美希

 ポツリ、小さく一人呟く。
 写真の中で、婚約者の美希が俺に向かって笑顔を見せる。



 ーー俺たちは一年前、結婚するはずだった。

 結婚式を一週間後に控えた俺に知らせが届いたのは、そろそろ仕事を切り上げて会社を出ようとしていた時だった。

 今しまったばかりの携帯が鳴り出し、俺は鞄から携帯を取り出すと画面を見た。
 そこには、知らない番号が。誰かと思いながらも、俺は画面に触れると携帯を耳にあてた。

ーーはい

『ーーーー』


 電話口からの知らせに、携帯を持つ手が震え出す。
 俺の手に握られた携帯は、ついに力をなくした手から滑り落ちた。

 美希がーー美希が、交通事故で亡くなったとの知らせだった。
 それは、あまりにも突然の出来事だったーー。





 あの日から、俺は美希のいなくなったつまらない人生を、ただ生きる為だけに淡々と過ごしていた。
 今日もそう。それは変わらないはずだった。

 テーブルに鞄を置き、ジャケットを脱ぐとハンガーに掛けようと寝室の扉を開けた。
 寝室の前で突っ立ったままの俺の手から、ジャケットがゆっくりと床へ向かって滑り落ちてゆく。


 ーー俺は、目の前の光景にただただ驚愕した。

ーーおかえり、京ちゃん


 ベッドに腰掛けた美希が、俺に向けて笑顔でそう言う。
 俺は震える身体でゆっくりと近付きながら、小さく震える声を出した。

美希……? 本当に……美希なのか……?

うん。京ちゃんに会いに来たよ

 そう言って俺に微笑みかける美希。


 どんなに会いたいと、毎日願った事かーー。

 俺は小さく震える手で目の前の美希に触れると、その存在を確かめるようにキツく抱きしめた。

美希……っ美希……っ。会いたかったよ……美希っ

私も、会いたかったよ。京ちゃん


 美希はそう言うと、俺を優しく抱きしめ返してくれる。

 これは一体、どういう事なんだとか疑問はたくさんあるけれど、そんな事どうだっていい。腕の中にある確かな存在に、俺はただ喜んだ。


 ーー美希がいる、それだけでいいんだ。


 ーーそれからの俺の日常は、ガラリと変わった。

 モノクロでつまらなかった日々がカラフルに色付き、俺は毎日美希と過ごせる事に喜び、感謝した。

 もうこれ以上のものは、何もいらない。
 心からそう思えた。

 家から出る事ができないと言った美希に、それでもいい、ただ側にいてくれるだけでいいと俺は言った。
 俺は毎日キッチリと定時に仕事を終わらせると、美希の待つ家へと帰った。



 一年前、俺達は結婚して初めて一緒に暮らす予定でいた。
 その果たせなかった未来を今、俺は美希と一緒に叶えているのだ。

ーーただいま、美希

おかえりなさい、京ちゃん


 笑顔で俺を迎えてくれる美希。



 ーーそう、この笑顔さえあれば俺は幸せなんだ。
 
 俺は顔を綻ばせると、笑顔の美希を抱きしめた。



 美希が戻ってきてから一カ月が経ち、俺もすっかり今の生活に慣れてきた。
 家に帰れば笑顔で美希が出迎えてくれ、俺達は一緒に夕食を取り、夜は美希を抱きしめて眠る。そんな日々。

 俺は手に持った小さな箱を見ると微笑んだ。

 ーー今日は、美希と付き合って十年目の記念日。

 高校の同級生だった俺達は、俺の一目惚れで交際をスタートさせた。
 イチゴの乗ったショートケーキを嬉しそうに食べる美希の姿を想像すると、俺はケーキの入った箱を持って家路を急いだ。

 家の近くまで着くと急に周りが騒がしくなり、嫌な予感がした俺は家へ向かって走り出した。
 角を曲がると沢山の人集りと二台の消防車が止まり、俺の住む木造アパートが燃え上がっていた。

ーー美希!


 俺は人集りを押し退けると家の中へ入ろうとした。

君! 危ないから下がって!

美希が! ……美希が中にいるんだ!


 制止を振り切ると、急いで自分の部屋へと向かう。

美希っ……美希っ……! 無事でいてくれ……っ!


 燃え盛る炎の中、俺は自分の部屋の扉を開くと美希を探した。

美希っ! ……っ美希!

……京ちゃん


 微かに聞こえたその声に目を凝らすと、そこには泣きながら蹲る美希がいた。
 俺は美希の元へ駆け寄ると、その小さな身体を優しく抱きしめた。

……美希。もう、大丈夫だよ

京ちゃん……


 泣きながら、震える手で俺を抱きしめ返した美希。

 美希が俺の元へ戻ってきた日、美希は俺に言った。

『この家から出たら、私は消えてしまう』と。

 俺は腕の中にいる美希をキツく抱きしめると、美希の耳元で囁いた。

……大丈夫。もう、美希を一人にさせないよ


 俺は抱きしめている身体を少し離すと、目の前の美希を見つめてその唇にそっと優しくキスをした。

ーー愛してるよ、美希


 そう告げると、美希を見つめて優しく微笑んだーー。

ーーーーーー

 ーーーーー

……酷いわねぇー

木造だから、火のまわりが早かったみたいよ

煙草の不始末が原因らしいわね。でも犠牲者がいなくて良かったわよね

それがね……。一人いたらしいのよ、二十代の男性が

可哀想に……。まだ若いじゃないの

……なんでもね、自分で飛び込んで行ったらしいわよ

え?! 自分で? ……命より大切なものでもあったのかしら

変な話しだけどね……。その亡くなった男性、ウェディングドレスを抱きしめたまま亡くなってたらしいのよ

ウェディングドレス? ……何でそんなもの

さぁ……

まぁ、他に燃え広がらないで良かったわよね

そうね。うちの旦那にも煙草は気をつけてもらわなきゃ。うちの旦那ったらねーー

ーーーー

ーーーーーー





「恋慕」心を奪われる愛慕。



それ故に見えた夢か幻か。はたまた、一人寂しく生きる彼を不備に思った彼女がお迎えに来てくれたのか……。
悲劇と捉えるか、これが彼にとっての幸せな結末だったと捉えるのか。
それは読者様次第になるでしょうし、その本当の答えは彼自身にしかわかりません。

ーー愛のカタチや幸せは、人それぞれ。

恋慕~もしも死んだ愛する人が、生き返ったとしたら

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