05 カボチャパンツの王子さま2
05 カボチャパンツの王子さま2
あわわ……
………
………
少年は苦悶の表情を浮かべ、歯を食い縛りながら渾身の力で殴っている。
しかし、目の前のソルには自分の力が通じない。
こんなにも激しく殴っているのに、彼は微動しない。
彼は、まるで嘲るような視線を投げかける。
な ぜ だ ……
圧倒的な実力差なんて、認めたくない。
もうすぐ自分は覚醒するのだ
そして、本気の一撃がソルを打ち負かすのだ。
赤子の手を捻るように、圧倒的な力でもって………
……と、少年は考えていた。
そんなことは知らないエルカは、ハラハラとしながら両手で胸を抑えていた。
ソルは少年を殴ることを耐えてくれた。
しかし、少年の拳はソルのお腹に当たっている。
ソルが怪我を負うかもしれないと、ゾッとしたのも一瞬だけ。
ポカポカ
ポカポカ
か弱い力だが、一定のリズムで少年はソルのお腹の辺りを叩いている。
本人は殴っているつもりだろうが、叩いているとしか見えない。
歯を食いしばって必死の形相を浮かべているが、聞こえてくるのはポカポカという優しい音。
だが、ソルにも限界がある。
一方的に殴られるなんて耐えられるはずがない。
ジワジワと眉間の皺が深くなる。
(このまま、耐えて欲しいという望みは私のワガママだけど……)
我慢の限界が来たら、ソルは怒り暴れだすだろう。
これだけ我慢したのだから、怒りは大きく爆発する。
手が付けられないぐらいに大暴れするだろう。
そうなったら……ここの本棚が倒れる。
エルカの脳裏では、暴れるソルと倒れる本棚の姿が浮かび上がった。
(………そうなったら…………貴重な本が読めないのは困る)
それを回避しなければならない。エルカは思っていた。
本棚が倒れたら自分やソルや、この少年がケガするかもしれない。
だが、そんな心配はエルカの中にはない。
すぐ手の届くところにたくさんの本がある。
それらの本から知識を得られなくなる恐怖の方が勝っている。
先ほどまではオロオロしていたエルカだが、今は唇を噛み締めて、ギューッと拳を強く握りしめた。
ソルの我慢の限界はすぐそこまで来ていた。
そして、彼は声を荒げる。
……い、痛いだろ?
糞ガキが!
糞ガキですって?! お酒も飲める大人の男ですよ
どこが大人だ。ただのカボチャパンツだろ
また言いますか? この最先端の大人の男の着こなしに対して失礼ですよ!! じっくり見てください。ほら、頭から足の先まで大人です
どう見てもガキだろ、どこが大人だ
そういう貴方こそ、どこの迷子ですか? ママを呼んできましょうか? お酒じゃなくてジュースでちゅか?
うるさい! 酒ぐらい飲めるさ
オレンジジュースで酔いそうですがね
何だと、カボチャ頭
何ですか、童顔!
チビ!
ガキ!
なんだと!
やりますか!
目の前で睨み合う二人の会話。
お酒も飲める大人同士だというのに、やっていることはまるで子供の喧嘩だった。
エルカの視線は付近にある本棚に向けられている。
ガタガタと揺れる本棚。
納められている本が落ちそうになる。
このままでは埒が明かない。
ここの本棚を、本を守らなければ。
誰が守る?
それは、自分しかいないだろう。
気が付いた時には、身体が勝手に動いていた。
や、やめてよ! 本棚が崩れるよ!
咄嗟にエルカはソルと少年の間に割って入った。
普段ならばソルと誰かの間になんて絶対に入らない。
それも殴り合う寸前の二人の間なんかに。
だから、巻き込まれて殴られても文句は言えなかった。
反射的に閉ざしていた目を、静かに開く。
覚悟していた痛みは……なかった。
ソルが直前で止めてくれたのだろうと、エルカは考える。
その考えも停止してしまった。
目の前には金髪碧眼の少年の顔。
割り込んだとき、エルカは少年の前に飛び出していた。
それに驚いた少年の拳は、そのままエルカの身体を抱きとめる。
身長はエルカと同じぐらいだから、それだけで視線が合ってしまった。
……
……
長い睫毛に陶器のような肌。
この少年は綺麗だ。
カッコイイかどうかは別としても綺麗な顔をしている。
見た目だけならば、王子様という代名詞は確かに当てはまるだろう。
好きか嫌いかと問われたら答えに困るのだが。
エルカは首を傾げながら少年を見る。
何ですか? 美しいからって見つめないでください
………変な顔だなって思ったの
何ですと!
それと、痛くないけど……手、離して欲しい
は! ごめんなさい!
でも変な顔は酷いです!
少年は顔を真っ赤にしながら、エルカを離した。
申し訳ないと思ったが、エルカには他の感想が浮かばなかった。
絵に描いたような王子様面なんて見たことがなかったのだ。
現実味のない顏をしている。だから、『変な顔』と告げただけ。
ごめんなさい。貴方の見た目は私のタイプではないから……当たり障りのない感想を言ったつもりだったのだけど
き、傷つきますよ……色んな意味で
………………ハァ
ソル……
背中の大きなため息に、エルカは振り返る。
ソルが大げさに肩をすくめていた。
オレの間に入るなって……危ないだろ、やめてくれって
ご、ごめんなさい
何で、こんなことを
本棚倒れたら、その……危ないと思ったの
エルカはソルを見上げる。
自分たちより、本棚の本を心配していたということは黙っていることにした。
今のソルの表情はとても真剣だった。
怒っているような、安堵しているような、何だか不思議な表情をしている。
いつものソルなら、確実にエルカは巻き込まれて殴られていたはずだ。
だけど直前で拳を止めた。
それが出来る余裕はあるということ、今の彼は思っている以上に冷静らしい。
本棚が倒れて一番危ないのはお前だろ……
そ、そうだね……ごめんなさい
気にするな。オレも熱くなり過ぎた。大丈夫か? 風圧でケガとかしてないか?
うん……何ともないよ……ケガするような風圧もなかったし
………まったく、冷や冷やしたぞ……ケガさせたら、オレ……地獄に落とされる。奈落の底に落とされて、そこには針山が待っているんだ……
そ、そんなことにはならないよ
オレも我慢するからさ、お前も無茶するな
うん、わかってる
ソルの声が落ち着いていた。
気遣う言葉を口にするなんて珍しい、なんて言ったら今度こそ怒りそうだったので、今の感想は喉の奥に飲み込む。
そして、彼のその優しさが嬉しかったということ。
その気持ちもエルカの胸の奥にしまっておくことにした。