日々の仕事をこなしながら笙野に抱かれる。

それは変わりない事なのに、
もやもやとした気持ちは一向に治まらない。
今まで感じなかった感情が洵を支配する。

小鳥遊っ

その日。珍しく総務係長の怒鳴り声が部屋中に
響いた。

これはどういう事だ?

険しい表情の係長を前にして洵は項垂れていた。

教育委員会との面会時間が重なっている。
聞くとどちらもお前にアポを取ったと言う。
どういう事だ?

ダブルブッキング。初歩的なミスだ。
時間を確認せず、
アポを受けたのは洵の失態だった。
面談時間が重なってしまった事を知らない
教育委員会の役員2人が、2つの応接室で
待っている。

も、申し訳ございませんっ

頭を下げた洵の前で係長が深く息を吐いた。

それを耳にした洵は唇を強く噛み締めた。

笙野の事ばかりに囚われて
仕事を疎かにしてしまった。

社会人として失格だ。

最近おかしいぞ? ぼんやりしている。何かあったか?

いえ、何でもありません

思いがけず優しい言葉を掛けられて
洵は目を見張った。

まぁいい。片方は手嶌くんに任せよう。お前は頭でも冷やしてこい。いいか。2度目はないぞ

はい

話は終わりだ、とばかりに受話器を上げた
係長に洵はもう1度頭を下げて部署を出た。

 
***  ***  ***

失敗したな……

食堂の自販機で缶コーヒーを買って屋上に
向かった。

屋上に出るとすっきりと晴れた空が眩しくて、
洵は手を翳して眉を顰める。

金網に凭れて缶コーヒーのプルトップを開ける。

ひと口飲むと冷たい液体が喉を潤した。
深い息を吐いて空を仰いだ。

笙野と初めて身体を重ねてから約1年が経った。

毎日のように抱かれていたが、
仕事が忙しくなり笙野との触れ合いは少なくなった

身体が淋しくないと言えば嘘になるが
不満があるわけではない。
このすっきりとしない感情が何であるかも
知っている。

もしかしたら、と思う気持ちを認めてしまうのは
勇気が必要だった。

ん ―― っ

ふと自分のものでない呻き声が
風に乗って耳に入った。

矢嶋 瑛之

あっ ―― とお、る……っ。こんなとこでダメだっ……

清水 享

何を言ってるんですか。矢嶋さんのここ、もうカチカチですよ?

今度はハッキリと名前まで聞き取れた。

とおる、って ”清水享”? それに、矢嶋さんって……

洵は目を見張り、思わず出そうになった
驚きの声を手で塞いだ。

この声の主、2人は同じ総務課の社員さんだ。

清水 享

瑛之さん。ここ、気持ちいでしょう?

矢嶋 瑛之

んん……っ

この声はまさに行為の最中。

どうやら洵の目の前の壁の向こう側に
いるらしかった。

やば……っ

悟られないようにそっと立ち去ろうとした。

だが突然の甘い囁き声に驚いた洵は
持っていたコーヒーの缶を落としてしまった。

地面に落ちた缶が派手な音を立てる。

一瞬の静寂。

衣擦れの音は2人が身繕いをしているのだろうか。

2人が姿を現す前にこの場を立ち去らなければ、
と思うのだが足が竦んで動けない。

そうしている間に壁の向こう側から、
見知った顔が洵を見つけた。

清水 享

マコちゃん!?

ハ、ハ~イ……

驚く彼らに、洵はバツが悪そうな笑みを
浮かべて手を上げた。

矢嶋 瑛之

小鳥遊?

もう1人の声の主がひょこっと顔を出す。

矢嶋 瑛之

お前、こんなとこで何やってるんだ?

矢嶋の言葉に、
洵は

それはこっちの台詞ですよ


苦笑いを浮かべた。

矢嶋 瑛之(やじま てるゆき)は洵より
4つ年上で、洵がアルバイトを始めたばかりの頃、
かなり世話になった先輩だ。

彼の隣に立っている長身の男は清水 享
(しみず とおる)。
同い年だが、彼は帰国子女で海外の大学の
博士課程を飛び級で修了し、覇王に社員として
入社した。

2人がそういう関係だったとは知りませんでした

矢嶋 瑛之

別に公言してるわけじゃないしな

清水 享

マコちゃんが3年になってからだよ

紫煙を吐く矢嶋の隣の享が言葉を繋げた。

矢嶋 瑛之

ま、何にせよ見つかったのがマコちゃんでよかった。他のヤツだったらもっと慌てた

清水 享

矢嶋さんが誘うから止まらなくなったんですよぉ

矢嶋 瑛之

嘘つけ。先に手ぇ出したのは享の方だろ

痴話喧嘩にしか見えない言い合いが
微笑ましくて洵は目を細めた。

あ、俺、誰にも言いませんから。俺も同じだし ――
あっ

洵は慌てて口を抑えるが、
2人の反応は素早かった。

矢嶋 瑛之

何 なに? お前もそういう相手がいるのか?

清水 享

ふ~ん。マコちゃんの相手も男なんだぁ

あ、ちが……っ

慌てて否定しても時はすでに遅し。
白状しろ、と迫る2人を前にして告白させられる
ハメとなる。

洵は相手が誰なのか伏せて、
ポツリポツリと話し始めた。

この曖昧な気持ちが少しでも
すっきりすればいいと思ったのだ。

矢嶋 瑛之

なんだ。それは恋じゃん

矢嶋にずばりと指摘されて洵は唖然とした。

こ、恋 ……?

そんな洵を前に矢嶋は頷く。

矢嶋 瑛之

マコはそいつが好きなんだよ。それしかないだろ

俺……

洵は身体を熱くした。
そして自分の気持ちをハッキリと自覚した。

身体から始まった付き合い。

何度セッ*スをしても満足できない。
もっとめちゃくちゃにしてほしい。

ホントは手嶌に向けた熱い思いを、何の躊躇もなく
受け入れてくれたのが笙野だった。

洵以上の強さで求め応じる。

身体が満たされれば心も満たされると
思っていた。けれど…。

体は繋げなくてもキスは欲しい。
激しくなくていい。甘く優しいキスが欲しい。
それと、出来たら笙野の気持ちもほんの少しでいい
から欲しかった。

俺……好きなんだ

言葉にすると身体が震えた。

矢嶋 瑛之

今頃、自覚したのか?

矢嶋が笑う。

清水 享

相手は誰か分かんないけど、何かあれば相談に乗るぜ

矢嶋 瑛之

あ~、享の癖に生意気

矢嶋にからかわれた享が

清水 享

ちぇっ

と口を尖らせる

その様子を羨ましそうに見つめた洵は

その時はお願いします

と頭を下げた。

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