夏が来る。

--------ひとりっきりの、夏が来る。

時任

おーい、家入!!

青すぎる空を背に、髪色だけでも目立つ男が、大声をあげながら駆けてきた。

読んでいた本を閉じてベンチから立ち上がり、二年ぶりの田舎町を改めて眺めた。

うだるような暑さ、山から吹き降りてその熱を緩和する涼しげな風、鳴り響く蝉の声。

なにも変わっていない。

……恐ろしいくらいに、なにも。

家入

遅かったな

時任

悪かったよ、待ったか?

家入

バスは、三十分前にここに着いたからな

時任

うっ……

家入

まあいい、俺のほうこそ、急に連絡して悪かった

時刻表を把握しているだろう時任への嫌味はこの辺でやめておいて、こちらも謝罪をする。

時任

は!? 明日!?

家入

そうだ、明日、帰ろうと思って

時任

急だなあ……っていうか、明日の何時ごろに着くの

家入

夜行バス、電車、バスの乗り継ぎで昼頃だな

時任

よく予約取れたな

家入

いや、それはもうだいぶ前に

時任

じゃあもっと早く連絡しろよー

家入

……悪い、直前まで、迷ってて

時任

…………

時任

……いや、悪い、そうだな。
わかったよ、待ってる

時任

いいって、気にすんな

時任

ってかお前、めっちゃ髪染めてんじゃん!!
変わりすぎだろ~

家入

それお前が言うのかよ……

久しぶりに会う時任は、察しの良さも、気のいい笑顔も、何も変わっていない。

それはずっと気が張っていた俺にとって、少しの安堵をもたらすものだった。

時任

お前、実家はどうすんの?

家入

いい。言ってないからな、帰るって

時任

お前がいいならそれでいいけど……

家入

言ってないだろ、まさか

時任

言ったらお前怒るだろ

家入

怒らねえよ

時任

笑顔、こっわ!!

今回の帰省の目的は、ひとつしかない。実家に帰る気など、起きなかった。

目的地へと歩みを進める。時任は自然と、遠回りの道を選ぶ。その気遣いがもどかしく、だがそれは俺のためのものだと痛いくらいにわかるから、なにも言えなかった。

時任

古賀は元気にしてんの?

家入

ああ、あいつの髪は、金色だぞ

時任

マジで!? みたいわー、あいつも全然帰ってこないもんなあ

俺と古賀は、田舎を出て、大学進学をした。家入はこの町からバスで二時間ほどかけて、短大に通っている。

帰るという話は古賀にはしていないが、したとして、あいつは帰るとは言わなかっただろう。

……きっとあいつは、まだあの夏を、受け入れられていない。

時任

しかし暑いなあ、今日は

家入

夏は暑いだろ

時任

いや、だってさ……

時任

……こんなに暑いと、あの夏を思い出すんだよ

雲ひとつない青空が、脳裏を埋め尽くす。



吹かない風が、感じる熱の温度を上げる。

あの夏の温度が、体にまとわりついて、離れない。

家入

自販機、どこかにあったよな

時任

物忘れかよ……この角を曲がったら、あるだろ

水を飲み、手に持った供花を改めて握りしめる。

あいつはもう、すぐそこだった。

時任

……やっぱり、思い出す?

家入

……去年の夏なんて、ノイローゼになりそうなほど、な

時任

俺の赤い服をみて思うことは?

家入

最悪な色だ

時任

……俺も、そう思うよ

鼻孔にこびりついた臭い。どこからともなく香って、どうしようもなく記憶を刺激する。

青空と、蝉の声、真っ白な雲に、赤。

どうしたって思い出さずにはいられない、

すえた臭いを伴う暑い暑い夏が、

いつだって、脳裏にある。

君を失くした夏のことを思い出すたび、
容赦なく突き射す日のように、
様々な最後の君の面影が、

俺たちの体を、刺す。

ねえ、忘れないでね

わたしのこと、覚えていて

こんなに暑い夏のこと、みんななら、忘れないよね

わたしは忘れないよ

じゃあ、またね

空で、待ってる

時任

ここ、ほんと見晴らしいいよな

家入

……ああ、いい場所だ

時任

よっ、小夏

家入

……久しぶり

花を供え、合掌する。吹き抜ける風が、鼻孔に残っていた臭いを少しだけ攫っていく。

時任

俺は一昨日ぶりだな

家入

……全然帰ってこなくて、悪かったよ

時任

そういうつもりで言ったんじゃないんだけど……

家入

いや、でも、ありがとな

時任

……ああ

三年前の夏、小夏は飛び降り自殺をした。……俺と時任の目の前で。

古賀はその場には居なかった。……古賀は、小夏のことが好きだった。

冷たく、綺麗になった小夏の目の前で、絶句した。

止められなかった俺たちを、恨みきれない気持ちのまま、責め立てて、泣いた。

俺と時任は、泣けなかった。

だが、小夏の死が現実であることを、誰よりも理解していた。

フェンスに駆け寄って見下ろした先に居た小夏は、笑っていた。

忘れないでと飛んだ彼女のことを、何度も何度も忘れようとして……忘れられなかった。

家入

掃除とか、お前がしてんの?

時任

まあな

家入

……マメなやつだな、相変わらず

時任

小夏は可愛かったからな!
綺麗で可愛いまま、居てほしいんだよ

家入

…………

家入

時任、お前……

家入

そんな恥ずかしいこと、よく本人の前で言えるな

時任

じっ、事実だろ!! じゃあなんだ、小夏は綺麗でも可愛くもなかったってのか!?

家入

そうは言ってないだろ!!

時任

…………

時任

……珍しく、正直だな

家入

っ、黙れ!

時任

…………

時任

……正直、家入が帰ってきてくれてよかったよ

家入

……なんだよ、急に

時任

だってひとりだと、俺はまったく別人になってしまったんじゃないかって不安になるだろ

時任

自分が、ありたいままの自分かなんて、ひとりじゃ確かめられないだろ

家入

…………

家入

……ああ、そうだな

二年前町を出るときには出来なかった、再会の約束をした。

強烈な青も、鼻孔を漂うあの臭いも、焼き付いて離れないままだ。

それでも、確かめたいなにかがたくさんある。

ひとりだと思っていた、喪失感だけに襲われた去年の夏が嘘のようだった。

失くしたものに支配されていた夏が、塗り替わる。

夏が来た。

だがもう、ひとりっきりではない。

ひとりっきりだと思っていた夏は、
確かに終わりを告げた。


fin.

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