それから夏休みも終わって、千恵と高校の生徒たちの生活も日常を取り戻したような気がした。
それから夏休みも終わって、千恵と高校の生徒たちの生活も日常を取り戻したような気がした。
来年の今頃は受験のシーズンだから、そうなってからあわてないように今から考えておいてね
最初のホームルームでそう釘を刺したが、切迫感のようなものはなかった。
世の中、子供が勉強しないと叱る親もいるのだが、千恵はそうしてもモチベーションは上がらないだろうと察して、『北風と太陽』の童話が示すように、やんわりと諭すことにしている。だが、それでも効果はない。
近頃は千恵が高校生の頃とは違って大学にも入りやすくなった。定員割れを恐れて多くの大学が推薦で早期に学生を確保するから、受験らしい受験を経由しなくてもたやすく大学に入れる。こんな状況では受験勉強に燃える生徒が少なくなるのも無理はない。
そんなことを思いながらも一日の日程がつつがなく終わり、帰宅しようとすると事務員から「早見先生、電話です」と呼び止められた。
それに応対すると、電話の声は「安達敦の母です」と答えた。安達敦は出席番号が一番だからという理由で何回か雑用を頼んだことがあるが、その両親とは面識がなかった。安達の母はこう続けた。
実は息子が学校を中退したいと言い出したんです。引き止めるよう説得してもらえませんか?
それを聞いて真面目に勉強しているという印象の安達がそんなことを考えていたのかと意外に思った。高校を中退する人なんてクラスに一人ぐらいはいるし、誰でも一度は中退したいと思うことはあるのだろう。それでも本人の口から思惑を聞き出そうと翌日の放課後、進路指導室に呼び出した。
進路指導室は受験や就職のための資料が置いてある部屋だが、することと言えば、どうせ大学の偏差値と生徒の成績を照らし合わせて受ける大学を決めるだけだ。指導というよりは高望みをする生徒に教師の意向で引導を渡すことの方が多い。それのどこが指導なんだろう。
そんな部屋に呼び出されたらネガティブな気分になるかもしれない。先に進路指導室に着いた千恵は、やっぱり他の部屋で話す方がよかったかなと少し後悔した。
やがて安達ドアをスライドさせて入室して来た。その目には迷いや不安はなく、自信にみなぎっているように見えた。安達が着席して差し向いになると、千恵は問いただした。
昨日、お母さんから電話があったんだけど、学校を中退したいんだってね。どうして?
ミュージシャンになる修行をするためです
予想通りなのか意外なのか数秒間、沈黙した千恵に安達は続けた。
今、バンドを組んで活動しているんですけど、メンバーの一人が高校を中退しました。だから僕もそれに続こうかと思ったんです
でも、だからと言って中退する必要はないんじゃないの?
このまま教室の隅に淀んでいても未来は開けないんです。前に進まなければ夢は勝ち取れません。今こそ未来を開く時なんです
若者らしい青臭さをにじませる安達に千恵は大人の意見でなだめようとした。
学校を中退したら必ずプロになれるならそうしてもいいけど、プロになれなかった時、学歴が中卒だとできる職業がかなり限定されるのよ。それを考えたら高校も卒業して、できれば大学にも進んだ方がいいんじゃないかしら
大学に進めば将来の選択肢は広がりますか?
それでも履歴書に何とか大学卒と書けるメリットはあると思うんだけど
世の中、勉強して一流大学に進めば将来の選択肢が広がるように信じられていますが、それは大企業や官庁に就職して立身出世を果たす場合だけです。しかし、僕のようにそんな道に何の魅力も感じない人もいるんです。最近、問題になっている学力低下も学歴神話や終身雇用制の終焉によって、勉強が魅力のないものに変わったからじゃないですか?
肯定の返事を即答しなかった千恵に安達はこう持論を展開した。
僕は教育は多様な可能性を持った若者を特定の狭い進路にしか進めない体質に変えることだと考えています。これは細胞の発生に喩えることができます。発生の初期の段階では細胞は何の組織に分化するかは決まっておらず、何にでもなることができますが、ある程度成長するともう同じ組織にしかなれなくなります。髪の毛の細胞は分裂しても髪の毛の細胞に、腸の内膜の細胞はやはり腸の内膜の細胞にしかなれません。これは人間の成長にも合致します。人は生まれた時点では様々なものになる可能性を秘めていますが、ある程度成長すると今の自分が延長したものにしかなれず、劇的に違う存在にはなれなくなります。
それは細胞が分化した組織になることと同じで、多様な可能性を失うことです。まず、人間は生まれてから数年間で言語をマスターすることができますが、大人になってからそれと同じ方法で外国語をマスターすることはできません。また、絶対音感というのも大人になってから教育を受けても身に付けられません。それは大人になってから専門的な学問に従事することになっても変わりません。例えばこの高校では二年生から文系と理系に分かれますが、僕は文系を選んだからもう理系の学部には行けません。さらに大学で国文学を専攻したら中学・高校の国語の教師にはなれるかもしれませんが、それ以外の教科の教師にはなれなくなります。
現代の教育は高次の段階に進むほど将来の選択肢が狭くなるんです。最近の若者はモラトリアム人間になったと言われますが、それもモラトリアムの初期の段階で持っていた多様な可能性を特定の職業に凝縮すること、つまり可能性を煮詰めて不可能に変えることを恐れているからです。最近の医学では特定の組織に分化した細胞を豊かな可能性を秘めた万能細胞に戻す研究が進んでいますが、人生もそうでありたいと思います。自分の進路が特定の方向に凝固する前にフレキシブルな可能性を追求したいんです
明朗に響き渡った声と筋の通った論理に千恵も思わず感服してしまった。確かに一理ある。そんな見方もできるのか。その説の華麗な雄弁さを前に千恵も二の句が継げなかったが、それでも何とか説得しようと試みた。
手塚治虫も初めは漫画だけで生活できる保証はないから、大学に通って医師免許を取得しながら執筆活動をしていたのよ。学校の勉強もミュージシャンになる上でも何かの糧になるかもしれないし、そんなに焦らずに長い目で人生を見つめ直してもいいんじゃないかしら
千恵がそう言うと、両者は十秒ほど沈黙して安達も少しは納得したように見えた。千恵は有効な説得をしたような感覚を覚え
近いうちに両親も交えて面談をするから考えをまとめておいてね
と言い渡し、取りあえず解散した。
電車に乗って帰宅する途中、千恵は考え込んだ。さっきはまさに先生のようなことを言ってしまった。普通に高校や大学に通う方が本人のためになるようなことを。
でも、そうだとしても本人が自分の人生に納得できるのだろうか。たとえ夢が叶わなくても、それに向かってひたむきに努力すれば、本人も自分の人生に納得できるのかもしれない。学校の存在は彼の夢にとって足枷でしかない。安定した進路を保証するために夢を犠牲にすることが本人にとって幸せと言えるのだろうか。
現代には「やりたいことをやろう」というメッセージが呪文のようにこだましている。けれど、学校はそのために何も寄与していない。学校が果たしている、たった一つの役割は若者を次の学校に送り出すことだけだ。ニートやフリーターになって社会のリアリティから逃走する若者が増えているのも、平凡なサラリーマンになることが自分のやりたいことと違うからなのだろう。しかし、最後までやりたいことを追求すれば本人が納得する形で幸せが訪れるのだろうか。
現代人の幸せって何だろう。一流大学を卒業して大企業に終身雇用されるのが幸せなんだろうか。それとも夢に向かってひたむきに努力することが幸せなんだろうか。それは人それぞれなんだろうけど、それ以前に幸せは結果として何が残ったかで決まるのだろうか。それともその過程で何をしたかで決まるのだろうか。
安達にはあんなことを言ったけど、本当はどうなんだろう。教師としては生徒が起伏に乏しい平坦な道を歩むことを望むのだろう。だが、若さゆえの情熱を募らせて走り出す方がいいのかもしれない。
『あしたのジョー』でも矢吹丈はこう語っている。
「そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない。ほんの瞬間にせよまぶしいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そして後は真っ白な灰だけが残る‥‥。燃えカスなんか残りやしない‥‥。真っ白な灰だけだ」
その言葉通りラストシーンで燃え尽きた彼は自分の人生に充足したはずだ。でも、ブスブスとくすぶりながら不完全燃焼している人の方が長い人生を堅実に生きていける。人間にとってどっちがいいのだろうか。
その問いは心の奥に秘めていた感情を呼び起こした。では、もし高校生の時の自分と対面したら「隆と別れて東京に行きなさい」なんて言うのだろうか。あの時、広島に残って隆と添い遂げる道を選んでいたら、今頃どんな人生になったんだろう。答えを求めて千恵の心は振り子のように揺れ動いた。
帰宅すると沙樹がダイニングのテーブルでお菓子を食べていた。これまで将来の悩みなんてなく能天気に生きてきたように見えるけど、本人はどう思っているのか興味を持って尋ねた。
沙樹は高校を卒業したらどうするの?
大学に行って卒業したら普通に就職するわ。やりたいことなんて特にないしね
子供の頃はなりたい職業があったでしょ。それはどうしてあきらめたの?
子供の頃はウルトラマンになりたかったな~。でも、大人になったらなりたいものよりなれるものを探し始めるのよ
ドライな人生観を聞かされて沙樹の人生はこれでいいのかと思ったが、口出ししようとも思わなかった。
確かに千恵も沙樹が安達のように一握りの人しか成功しない世界を目指したら反対するかもしれない。それよりも「バカなことを言ってないで普通に就職しなさい」なんて言うのだろう。
クラークは日本を去る際に学生たちに「少年よ、大志を抱け」と言ったが、今の時代、多くの人は我が子に大志を抱かなくてもいいから地道に堅実に生きて欲しいと願うのだろう。以前なら親としては娘に青雲の志を持って欲しいという気もないではなかったが、今はないことで取りあえず安心した。