腹部に走った衝撃。




 みっともなく身体を丸めて、攻撃される範囲を狭める。そうすることでダメージ範囲の減少と肉体的疲労を軽減するためだ。




 人間の身体は有る程度頑丈だが、その安い頑丈さで苦しめられる。



 何で来なかったとか、そんな声が罵倒と共に降ってくる。



 体育館の裏に、なぜ来なかったのかと。




 そんな理由で俺は殴られて蹴られてうずくまる羽目になっているらしい。








 いっそのこと、一思いにやってくれれば、人想いに殺ってくれれば楽だが、そこまでやってしまうと人間として色々なものをなくしてしまうのは嫌なのだろう。



 憂さ晴らしか苛立ちか、無くしかけている理性をギリギリ踏み留めているのは『正当な』という言葉を装飾した『罰』だから。





 人を殺さないだけマシだと、誰かを蔑むことで自身の中で生まれる快楽に浸れる。


 弱者ではないと言う安心感と、強者であるという優越。それらが織り上げられて生まれる快楽という衣は、きっと絹のように肌触りが良くてずっと着ていたくなるものなのだろう。


 それが、例えどんどん薄汚れても。


 それは心地よくて手放したくない。


 ずっと着ていたい。


 でも黒く汚れてしまっていて、あの頃と同じ着心地ではいられなくなる。




 だから、その衣を着たまま、あの頃を越える肌触りを求めて行為がエスカレートしていくんじゃないだろうか。







 気づいたら、人が死んでいた。



 自分が悪いことをしているとは思っていなくて、それで相手の方が勝手に死んでしまう。




 その過ちに気づくのは、他人の死を持って今まで着用していた衣を直視した時なのだと思う。


 その衣を汚していたのは『罪』という。





 最初のうちであれば、きちんと汚れを落とせただろう。だけれど、どす黒くなるまで汚れて染み付いた『罪』は……きっと、服だけじゃなくて身体にまで染み付いて落とせなくなってしまうのではないだろうか。

答えろ!
何で来なかった!?




 大きな怒鳴り声に心臓が一瞬だけ圧迫された。


 そのまま冷や汗が全身をひどく苛む。



 何が好きで、体育館裏に来なかったことを責め立てられるのか少し痛む頭の中で逡巡する。







 すぅっと、脳内に現れた薄紅色の封筒が口を開けた。



 そういえば、下駄箱に手紙があった。
 白い封筒だった。


 その内容は体育館裏に着てくれという呼び出しだった。

 筆跡からして女子生徒のものだった。





 きっと、ソレのことだろう。

 彼がそれを知っているということは……――

 そうか。





 差出人の宛名が不明だった。
 話が有るなら違う場所で話そうという申し出ぐらいしようと思ったけど、その肝心の宛名が無かったのだ。




 だから、結果的に無視することになった。





 つまり、これはよく作り物にある告白シーンを装って、何らかの理由で俺を呼び出そうとしたけど、それに応じなかったために本日、直接呼び出して昨日『やりたかったこと』をやっただけだ。




 誰でも良いから殴ったり、蹴ったりを隠れてやりたかったけど出来なかったから、本日、無理やり呼び出した。


 昔から有ることだから特に抵抗らしい抵抗もせずに、辿り着いた答えに耐えるしか出来なかった。




……今日はコレぐらいにしてやる!

 それはありがたい申し出だ……――。

 ぎしいぃぃ。

木がしなって軋む音。







 殴られて蹴られている間は気づかなかったけど、校舎裏のアスファルトはそんなに熱を持っていなくて心地い冷たさだ。



 しばらく、動きたくない。

 あぁ、いや。
 もう、生きて動きたくさえない。

 このまま息の根が止まれば、どれだけ楽だろうか……──。



 ぎしいぃぃ。

  木がしなって軋む音


この場所にないはずの『木』が
しなって軋む音

 『音』がもたらす、違和感。




 

 此処は、体育館裏。

 この学校は町のほぼ中心部で、あたりに林はない。




 有るのは無機質な白亜の塀。
 その向こうは道路。


 木々が生えて、生き生きと生きる場所はない。




 ぎしいぃぃ。
 ぎしいぃぃ。


 待ってくれ。

 むしろ、このまま息の根をどうか止めてくれないだろうか。



 俺の脳裏に響く。

その昔

この校舎裏で首吊り自殺した女子生徒がいる。





何でも、こっぴどい振り方をされたようで

今も彼女の怨念がそこに残っている。

 ぎしいぃぃ。

 ぎしいぃぃ。

聞こえてくる。

真上から。

  ぎしっ。
 


 更に身を丸める。

 見上げたら、視えてしまうから。

  ぎしっ。
 ぎしっ。
 ぎしっ。

軋む音の中、紐の擦る音が混ざる。

それは、さっきよりも激しく揺れている。

  ぎしっ。
 ぎしっ。
 ぎしっ。

 さっきからそこにいる奴が、道端に転がっているゴミを汚ならしいと見下すような目で見ている。


 そんな、侮蔑の目で見下ろしている。



 肌で感じる。

 そういう『気配』だ。



 俺を、見下ろしている。

 見下ろして、憎悪を向けている。




 『見』ていなくても、分かる。

 『視』ていなくても、分かる。



 背筋を氷が舐め上げる。


次は絶対に体育館裏に来い!
分かったな……――

させるだけ無駄だ。
ソイツ、絶対来ない。
何があってもな

 今まで聞いていた声とは違う声。

 降って来た言葉に、心臓がわし掴まれた気がして大きく震えた。


 真実を貫かれて、今までアスファルトから吸収していた冷気が破裂したように放出され、悪寒が体の隅々まで行き渡る。

 余すことなくつま先まで、届くところは髪の毛の先さえも。

生徒会長……!



 不自然に、俺は現実へ引き戻された。


 生徒会長……――生徒会長って、あの生徒会長だろうか。



 いや、生徒会長は学校に一人しかいないけれど、この学校の生徒会長はきっと異質だ。




 

ぎしっ。
ぎしっ。
ぎしっ。

 木の軋む音。


 それは決して折れることは無い、木。

 狂ったように叫ぶ木の悲鳴を聞きながら、俺は今まで丸めていた身体を仰向けにして、顔を上げていた。



 建物と塀の境に生まれている空間から、抜けるように青い空……――。


首吊り女学生

 そして、二階の窓からじっと俺を見下ろしている人。

……

 間違いない。
 あの人は、生徒会長だ。

 永年の。
 文字通り、永遠の。


 彼は、窓枠に足を引っ掛けると、そのまま窓枠に腰を下ろす。


 そうして。

窓から、飛び降りた。

 見る見るうちに落ちてくる。


 どんどん、彼の姿が大きく見えて。

 はっきりと、その整った顔も見えてきた。



 無表情だった。

 自分から二階の窓を飛び降りたからだろうか。あんまりにも表情は動いていなかった。


 そんな彼が落ちてくる。


 そこでようやく気づいた。


 あんまりにも綺麗に降りてくるものだから、

 その整った顔に、男ながらにも見惚れていたから、
    、、、
 彼の着地点について、全く考えていなかった。




 生徒会長は、落下して着地した。

俺の、腹の上に。

校舎裏、二階から降って来る麗人

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