拝啓、何時も私に無関心な貴方へ。

 本日のお天気は、貴方の目にはどう映っているのでしょう。なんて、天気の話はどうでも良いか。

 今回、こうして手紙を送るのは、他でもありません。

 貴方に対する、私の思いを伝えようと手紙を書いたのです。

 貴方にとっては、随分と厄介なものかもしれませんが、どうかこの手紙が開かれ、貴方の目に、そして心に届いていますように。

 貴方と初めて出会ったのは、近所の路地裏でのことでした。

 その時路地裏では、とある青年が、数人の男たちからカツアゲをされている所でした。そこへ偶然見かけたのが、私でしたが、生憎この体。私が行っても助けられる程の力は無く、それどころか、立ち向かった末に相手に返り打ちにあってしまいました。

 そこへ颯爽とやって来たのは、ひんやりとしたオーラをまとった貴方でした。

 貴方は性別の違いなど感じさせぬようなたくましく、そして素早い動作でカツアゲをしていた男達を一網打尽にしていきましたね。それが余程恐ろしかったのでしょう、カツアゲされていた青年だって逃げていったんですから。まさか、覚えていないとは言わせませんよ?

 もし仮に貴方が忘れていたとしても、私は覚えている。あの感情の無い瞳、凛とした顔つき、そして、大きく揺れる胸に、趣味のカポエラで鍛えられたたくましい脚……って言うと、貴方にまた、「馬鹿にしてるのか!」と叱られてしまいますね。

 そんな貴方ですが、私が特に惹かれた部分がありました。

 背中です。背の高さは私とさほど変わらないのに、私よりもはるかに大きく、そして広く見えました。悪口じゃありませんよ?

 貴方の背中越しの冷たい横顔を見た瞬間、キュンと胸が高鳴りました。彼女のことをもっと知りたい。始めはそんな探求心から、貴方にしつこく頭を下げ、連絡先を交換したんですよね。

 そして、連絡先を教えて頂いてから、私は貴方と一緒にいさせてもらえるようになりました。

 ですが、私達の間には恋愛のれの字もありませんでしたね。

 何せ、私ももうすぐで七十にもなる男。こんな男に、うら若き二十代の女性が振り向くはずなんて無かったのです。

 けれど、それでも良かった。

 貴方と一緒にそれぞれ好きなメーカーのタバコを一服して、貴方から、「おい、じいさん」って呼ばれる。その時間が大好きだったから。

 無論、その時間と同じくらい大好きなものがありました。

それが、貴方です。

 ……などと、大文字で失礼致しました。せめて、見てほしい所は大きく書いて目立たせようと試みているのです。ですのでもう一度。

貴方が大好きです。
何時如何なる時も、
そしてこの先も。

 私は貴方と出会って、当初はその冷たい瞳に見せられていました。しかし、貴方の本当の姿は、不器用だけど、とても優しい

 この言葉を伝えられるのは、最後になるであろう。その思いで、今回は貴方への思いを綴らせて頂きました。

 ですからきっと、貴方がこの言葉を見る頃には、私は生きていないでしょう。

 そうそう、屋敷のことですが、貴方が自由に使って下さい。それが、私に出来る貴方への唯一のプレゼントです。

 身勝手な手紙で大変申し訳ない。それでもどうか、この手紙が届きますように。宜しくお願い致します。

敬具

 老人の手紙を見終えると、その手紙をパタンと二つに折り、女性はため息をついた。

女性

じいさん……今日はどうやら雨らしいぞ

 女性が老人の手紙を見た、その日から一年後、女性が一人で住む屋敷に、一人の男性が入って来た。

男性

会いたかったよ、千恵(ちえ)

 男性はそう言うとすぐに、千恵を抱きしめようとした――ものの、持ち前のカポエラの足前を見せつけられ、その場にひれ伏す。

千恵

お前は誰だ! 勝手に人の家に侵入しやがって

 男性は、いててと腹を抑えながら起き上がる。先程大打撃を食らっているはずなのだが、表情はとても清々しい。

源次郎

私ですよ、私。源次郎

千恵

源次郎? ふざけるな、アイツはお前なんかよりよっぽどクソジジイだったんだよ

源次郎

はは、悪いね。そのクソジジイが私。要するに、生まれ変わったってことさ

千恵

頭おかしいのか?

源次郎

手紙は読んでくれたかい? 返事が聞きたいんだよ

千恵

何故手紙のことを知っている?

源次郎

だから言ったろ、私は源次郎なんだって。

千恵

……知るか、さっさと出てってくれ

源次郎

目、腫れてますね。もしかして、私が死んで、泣いてくれてたのかい?

千恵

うるさい。眠いだけだ。だからさっさと寝かせろ

 そう言って、千恵はだだっ広いテーブルの上に腕枕をして眠り始めた。

 やれやれ。源次郎と名乗る男性が毛布を探しに行こうとすると、ふと、テーブルに置かれていた千恵のメガネが汚れていたことに気づいた。涙の乾いた後が、メガネに残っていたのだ。

 源次郎はくすりと微笑んだ後、毛布を取って戻ってきて、彼女の背にかけてやった。

 そして彼女の顔を近づけてみる。その長いまつげ、淡い唇が、何よりその大きな背中がどうも魅力的で。源次郎は、思わず彼女の唇を奪っていた。長い、長い時間。

千恵

……ピースのライト

源次郎

千恵

あの人の吸ってたタバコ。んでもって、アタシの大嫌いな臭いだよ。アンタの口からした

源次郎

あは、そうでした? すみませんね

千恵

でも、徐々に、慣れてった。それどころか、染みついちゃったかもしんないな

源次郎

ええ、そうかもしれませんね

千恵

……もしアンタが源次郎だって言うなら聞いて欲しい。

源次郎

ええ

千恵

私にとっても、アンタは大切な存在、いや、それ以上だったのかもしれない。そうと気づいたのは、アンタが亡くなっちまった後だったよ

男性

ええ

千恵

アンタがいなくなって、世界がこんなにも変わるとは思っていなかった。常に孤独で、寂しかった。タバコだって、本当のこと言ったら、ケントから苦手なピースに変えちまったりした。こんな大きな背中なのに、だ。こんな弱弱しい私を、逆に愛してくれるのか?

源次郎

……勿論、そんな君もひっくるめて、全て愛しているのさ

源次郎

……勿論、そんな君もひっくるめて、全て愛しているのさ

千恵

……!!

 今の源次郎と、当時の源次郎の姿が、重なって見えた。

 暫しの沈黙の後、千恵は、ポケットに入れていたピースライトと、ライターを使ってタバコを吸おうとした。

 するとまた、源次郎も同じタバコを吸い、千恵と同時に煙を吐く。

千恵

おい、じいさん

男性

何ですか、千恵

千恵

愛してるよ。なんてな

男性

ふふ、私もですよ

 煙とタバコ臭さに塗れた部屋で、二人は口づけをしあった。

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